手に入れ続けたものと、移り変わる心。
私は、中学生の頃からアイドルとかにキャー!となってる友達を横目に、あるバンドにはまっていた。
ただ、音楽の事など何も分からずに。
(誰だって最初は、そう。)
ファンクラブに入ってライブに行き、グッズを買う。CDを買う。ビデオを買う。
雑誌が出れば表紙でなくとも、買う。
対象が移り変われど、同じ感じだった。
バンドだったり、役者だったり、芸人だったり。
音楽はずっと好きだった。
でも流行は分からないからカラオケに行っても人前で歌える曲はなかった。
洋楽はあまり聴かなかった。
映画にハマったときもある。
それも邦楽のミニシアター系ばかり。
パンフレットとかも買った。
今も好きだけれど、演劇にもハマった。
好きな劇団の芝居を観に行く。
あればグッズも買う。パンフも買う。
書籍も買う。気に入れば脚本も買う。
だんだん売れてきてテレビで見かければ録画する。映画に出れば映画を観に行く。
パンフも買う。
お笑いにハマれば、劇場に通う。
グッズも買う。雑誌も買う。
小さなイベントにも行き出す。
今ほど情報が何でも溢れてるわけではないので、欲しい情報は自分で掴みに行かなければ手に入れられなかった。
どれだけ早く正解な情報を手に入れられるか。ネットワークが出来上がっていく。
でもそれも、今とは違い割とアナログ。
文通とかもまだあったし、売り買いだってもっとアナログだった。
初めて会う人とも共通の話題があるので仲良くなれたし、私がすきになる対象は少し偏りがあったので、私が出会う人は、どこか通じるものがある人が多かった。
今ほど、疑い深くもなく、ただ、人を見分ける目や勘は養えたと思う。
音楽やエッセイ、写真、言葉。
表現されたもの と共に生きてきた。
大げさでなく、救われたことも何度かある。
ライブに行くために働く。と思っていた時期もあった。
その時は夢中だから、どんどんハマる。
うまく移り変わり、対象が変わりつつも今もずーっと好きな人やバンドはあるし、
新しい出逢いも日々ある。
ただ、昔のように、何でも手当たり次第に手に入れることはしなくなった。
いつからだろうか。
欲しくないものはいらない。
とも思うし、いつか処分するのだろう。というドライな自分が生まれた。
ほんとに、欲しいか見極めて問い直すようになった。
あれほどの収集癖が嘘のよう。
ついつい、欲しくなるけれど現実は生活があるので折り合いをつけなければやっていけない。
大人になる。
とは、こういう事だろうか。
夢をみなくなる。
とは、こういう事だったのだろうか。
自分の中に吸収して、内側にそれが存在していることが大事だと思うようになった。
作品として世にでているモノだけで十分だと思ったりもする。
解説とかインタビューとか、批評とか人柄とか関係なく。
もちろん、ファン心理でのパーソナルな興味は湧いてくるし、元からの知りたい欲求が疼く。今は何でもすぐに調べられる。
手軽に嘘か真実か分からない情報が手に入る。
昔は、情報を掴みにいく力が重要だった。
今は、インスタントに溢れるものを見極める力の方が重要になっている。
自分の頭で一旦考えなければ本質に近づけないと思う。そこを蔑ろに、全てを鵜呑みにするのは楽だけれど。
それは、情報が溢れている現代の、どんなものにも共通することなのかな、と思う。
なぜ、情報やモノを手に入れ続けたのか。
きっと、あるラインを境にしての執着と強迫観念だったのかな、と思った。
ファンなのだから、買わなくてはいけない。
これを持っていないなんて。
そんな声が聞こえてきそうな一種の強迫観念。
欲しくて欲しくて…ってものもたくさんあったので、全てがそうではないけれど。
今も大量にある書籍やCDやパンフに驚愕し、選別しながら、そんなことを思った。