飲み込まれる


妹と二人で歩いていると、
このまま二人で死んでいくのかな。
と、いつも思う。

一人で歩いていると、
このまま、ずっと孤独で居るのかな。
と、ふと思う。


知的障害で視覚障害の妹と、ずっと一緒に暮らすと決めていた。
けれど、去年あたりから、それがお互いにとってベストなのか?を、考えている。
ぼんやりと、でもなんとなく確信している未来は、妹を施設に入れること。

その方が、妹の為。かも、しれない。
認めたくないけれど、自分の為。
でもあると思う。

仕事ばっかりで、だらだらと余裕を作らずに、自分のことも疎かにしている私が、妹と二人で暮らすなんて。

お金に余裕がなくとも、暮らすだけならできると思う。
時間に余裕がなくとも、自分で折り合いをつけベストな仕事を探し、ヘルパーさんの手を借りていければ仕事も家事もできるだろう。
だけど、心の余裕を作れる自信がない。

そんなまま二人で、軋んだ空気の中を窮屈に暮らしてまで、二人で住む事が妹の為だろうか。
今ですら、ちゃんと話を聞いてあげたりケアをしたり、が出来なくて毎日心の中で謝っているのに。
毎日ごめん。と思って
毎日、それを償いたいと思っている。


妹はよく、
『あの店員さん、イイ人だったね!』
と言う。

販売をしている私からすれば、当たり前のこと。仕事だから。
歪んだ私は、本心で優しく想いのある接客や気遣いをしてくれている人にさえ、仕事だから、給料を貰っているから 出来ていると思っている。
でも、妹は違う。
見えないから。もあるだろう、けれど想いを声や雰囲気から感じたりもしていると思う。
私にすれば、それが、怖い。
世の中には、イイ人のふりをした人なんて山ほどいる。偽善者も溢れている。
騙されたり、利用されたり、傷つけられたらどうしよう。
だからこそ、『イイ人だったね!』が、怖い。
「あの人は仕事だから!誰でもかれでもイイ人ばっかりじゃない!」
と、つい言ってしまう。

実際どうだろう。
自分に置き換えれば、私はどんな出逢いであっても自分の勘で信用したりする。
イイ人もたくさん出逢ってきている。
だから、妹の勘や気持ちは正しいと思う。
でもやはり、心配で怖いから誰でも信用するな。と思ってしまう。

勝手すぎる。


その、イイ人。
と、暮らす方がよっぽど精神的に心地よいのではないか。
寂しさや、孤独や、住み慣れた家に住めない悲しさよりも、
仕事として、きちんとした知識を持ち
きちんとした快適な空間で、快適なケアを受けて暮らす不自由さの方が、よっぽど精神的に健全に過ごせるのではないか。

たまに家に帰って来たときに、私と過ごす方が私も余裕をもって接せられるのではないか。


きっと、そう思う。
日々の不自由で思う通りに過ごせないストレスは、本当に辛いと思う。
だからこそ、そこをケアしてくれる人に任せることも必要なのではないか。

身内がそれをすることが当たり前であって、それがベストなのは重々に解っている。
それが出来ないことも、誰かに頼ることが必要なときもあることも、解っている。

なにが正しいかなんて、わからないけれど
お互いが心地よく暮らすことがベストだと思う。

そんなことをずっと考えている。

飲み込まれそうな夜。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?