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断捨離魔の、お引越し

このところ私はずっとイラついている。
どうしてかというと、もうすぐ引っ越さねばならないのに一向に荷造りが進まないためだ。
私は自他共に認める断捨離魔である。
だから一人暮らしだった頃は、さっさと要らない物は捨てたり要る人にあげたりして処分し、スムーズに荷造りが完了していた。
だが今は、物を捨てられない・片付けられない・分類できない三重苦の夫と、完全にそこが似てしまった息子の分の持ち物が一向に荷造り出来ず、二人に代わって要らない物を処分しようとすると、要るから捨てるな!と戻されるという攻防戦を繰り返しており、イライラが頂点に達している。

本人達が要ると主張している物というのは、30年以上も前の流行遅れの古めかしいデザインの革ジャケットやスーツ、しかも夫が若い時のような体型に戻るためにはあと20kg近くは痩せねばならず、どう見ても今後も着られそうにない服と靴がたんまりとある。他にも人が捨てたのを貰ってきたが一度も読んでないハードカバーの重くて嵩張る何十冊もの本、ここ何年も全く触ったこともない息子の大量のレゴなどの玩具類などなど…。
私だけが自分の服や靴や本をせっせといろいろ人にあげたり寄付したりして整理しているにもかかわらず、二人は何一つ処分せず次の引越し先へ全部持ってゆくつもりでいるのだ。
まったくもって、腹立たしい!
毎日のように、これは要るのか要らないのか!判断できないなら私が捨ててあげるから!!片付けられないくせに全部取っておくとか言ってんじゃないわよ!!!
と小言がどんどん熱を帯びエスカレートしてゆく。

こういう状況になるのは最初から目に見えていたので、夫と息子が少しの間家にいない時間を見計らっては、どう考えても要らんだろうという物は今までちょっとづつちょっとづつ気づかれないように実は処分してきた。
先日は3年ぶり位で夫が出張へ出てラッキーなことに息子も学校の泊まりがけ遠足だったので、これはチャンス!と思い、朝から夕方までいろんな物を引きずり出しては捨てる物とセカンドハンドショップに寄付する物に分け、大きなゴミ袋4個分くらい処分した。
近所には寄付用の不要品をいつでも入れられるドデカいコンテナが4個もある。そしてアパートメントのゴミ置き場にもまだ使用可能な不要品を住民が置ける”ご自由にお待ち下さい”の棚がある。片付けようと思えばすぐに引き取ってくれる場所はいろいろあるというのに、なぜ毎日同じ事を言い続けねばならないのか。
言ってもやらないなら、実力行使で処分するまでだ。
おかげで次の日は筋肉痛になったが何食わぬ顔をしていた。二人とも捨てられたことに今も全く気づいていない。それくらい要らない物だったということだ。
リサイクルして使ってくれる人の元へ渡る方が、世のため人のためなのだ。

もし私が先立ったら、たぶん夫はホーダーになってしまうんじゃないかと思う。ゴミ屋敷の爺さんになってそれでも、全部オレの物だっ!捨てるなぁっ!と叫んでいる姿が目に浮かぶようだ…。すでに今も十分その気がある。
ホーダーとは溜め込み症のことで、過剰にモノを集めたり溜めたりすることに喜びや安心を得る一方、モノを捨てることに悲しみや不安、罪悪感、後悔といった苦痛を感じる精神疾患のことなのだそうだ。
夫の場合、収納ボックスなどの箱類やビタミン剤などが入っている何の変哲もないプラスチック容器などへの執着が凄い。同じような物を何個も買ってきたり使い終わっても全てとって置こうとする。扉付きの棚に隠すようにして大量の空の容器を溜め込み、一杯になるとそれらを入れるための収納ボックスを更に買い、箱の中に箱が入っているという入れ子状態の箱が物置にまで一杯になっており意味がわからない…。そのくせ重要な書類やファイルはそこら辺の床に無造作に置いていたりする…。いったいどっちが大切なんだ。
私が容器を捨てたりすると、いつか使うかもしれないのに!と烈火の如く怒るが、何年経っても溜まるだけで使い道はない。それらの容器もちょいちょいプラスチックごみとして私が間引いて捨てているが、全体の数が多すぎて自分でも把握出来ていないため夫は気づいていない 苦笑。
一体なんなんだろうか、あの執着は…。

自分はいつからこんなに断捨離魔になったのだろう…と考えてみたら、拍車がかかったのはこの国へ移住することになった時からだ。
それまで長年の一人暮らしで、自分の好きな物を誰に気兼ねなく好きなだけ買ってきた私は、服や靴やバッグ、アクセサリーなども沢山持っていたが、一番困ったのが本だった。今では絶版になってしまったものも多く、画集や写真集などは大判でさらに嵩張る。国内どころか海外移住なのだから尚更全てを持ってゆくわけにはいかない。量が多く重さがあるものは船便で送るのだが、到着まで2、3ヶ月もかかる。
どれを残してどれを処分するか、来る日も来る日もダンボールに入れては出すの繰り返しで迷い、さすがに私も選別には心を痛め精神的にも肉体的にも疲労困憊した。大量の物を整理し処分するストレスは半端ないと思い知った。
結局、本だけでダンボール16箱にもなり、最終的に送った荷物はダンボール箱40箱以上…。全てMAX30kgまでキツキツに詰め込んであり、発送の際に荷物を取りにきてくれた郵便局の人にも驚かれ、到着後この国では税関へ自分で直接受けとりに行かねばならないので、夫にも唖然とされ怒られた。

それからはすっかり断捨離魔になった私。処分した後のスッキリ爽快感が癖になってしまったのだと思う。
あの一陣の風が吹き抜けるような身軽な気分を味わってしまうと、もう沢山の物を抱えこんで身も心もずっしりと重いことに耐えられなくなってしまったのだ。
私はほとんど迷わないけれど、直前まで処分しようかどうしようかちょっと迷ったとしても、ほとんどの人は手放した後はけっこう思い出しもしないんじゃなかろうか。
それとも、手放した後もずっと後悔して取り戻したい、と思い続ける人もいるのだろうか?

私は手に取って ”これは要らんな…” と思った次の瞬間には、その物は手から離れゴミ箱に入っている。あまりにその一連の動きがスピーディーかつスムーズなため、しばしば捨てたことさえ自分でも忘れている程だ。
しかし、たまに捨てたものが後で必要になり、捨てた記憶が全くなく探しまわるハメになることもある。
今までやらかした物としては、夫の領収書や通行証、パスワードを書いた紙?息子の日本の国語以外の教科書!?(終わった学年を捨てたと思っていたら、新学年のものだった…汗)などなど。
そんな私のやらかしが発覚するうちに、最近では何か見つからない物があると、お母さんが捨てたに違いない!と、家族から疑いの目を向けられるようになってしまった。
そんなわけで今は、家族が留守の時を見計らって断捨離しなければならなくなった。

そもそも断捨離する前に、はじめから物を買う時は本当にそれが必要な物か、長く使うものなのか、見極めることがもっと重要だと考えるようになった。
はじめから物を沢山増やさなければ、悩まなくていいし憂いなしなのだ。






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森野 しゑに
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