90年代邦楽ベスト11 〜マイ・セレクション
自分が青春時代を過ごした90年代、聴いていたのは洋楽の方が圧倒的に多かったけれど、邦楽もまあまあ聴いてました。
音楽レビューが秀逸で毎回楽しみなフォロワーの、いっきさんに刺激されて
自分でもベスト10くらいなら選べるかなと思い、記事にしたら11曲になっちゃいました。
今回のセレクト基準は、当時私がよく聴いていた曲で、90年代の日本の音楽シーンで新しい流れを作ったり、勢いのあった方々を選びました。
フィッシュマンズ
「Baby Blue」1996年
好きでしたねぇフィッシュマンズ。この浮遊感が何とも言えない魅力。
当時ナイトクラビングをしていた頃の情景も浮かんできたり。
収録アルバム「空中キャンプ」も名盤です。
フロントマンだった佐藤さんが急逝した時は、大変衝撃を受けました…
オリジナル・ラブ
「朝日のあたる道 -As time goes by」 1994年
MVの田島さん、わ、若い (笑)
ソウル、ファンク、ジャズ、ラテンありで、その辺の音楽が大好物な自分としては、オリジナル・ラブのカッコよさにシビれまくってました。
収録アルバム「風の歌を聴け」も名盤です。
「接吻」 (オリジナル1993年)
30周年記念としてOvallとコラボしたこちらのバージョンもメッチャかっこいい!今も、田島さんの男前なヴォーカルは健在。
私は、田島さんがマッシュルームカットだったオリジナル・ラブの前身レッドカーテンの頃からのガチ・ファンでして(笑)当時ライブにも通いまくってました。
田島さんがピチカート・ファイブのヴォーカルに抜擢された後、いよいよオリジナル・ラブでメジャーデビューとなった時は興奮しましたねぇ。
サニーデイ・サービス
「baby blue」1997年
「スロウライダー」 1999年
サニーデイ・サービスのちょっと切ないような歌詞の世界とメロディが好きでした。
初期のバンドサウンドは、青春って感じがします。
はっぴいえんどの系譜を思わせるバンドでしたね。
小谷美紗子
「火の川」1999年
当時テレビの主題歌で「The Stone」を聴いて誰?となり、アルバム「うたき」を聴いた時は衝撃でした。
声とピアノだけで圧倒されるような、小谷美紗子さん独自の魅力があり、激しく孤高な歌の世界に、ぐいぐい惹きこまれます。
この時、若干20代前半とは思えない力量です。
UA
「リズム」1996年
朝本浩文、モンドグロッソの大沢伸一らをプロデューサーに迎えた、デビューアルバム「11」は、時代を感じさせると共に今聴いても名曲揃い。
当時UKからのアシッドジャズの流れもありましたね。
フリッパーズ・ギター
「恋とマシンガン」1990年
当時、UKで盛り上がってたネオアコの影響大だったフリッパーズ・ギター。渋谷系の代表格とも言われてましたね。
今見てもMVはどれも洒落ててフランス映画を見てるみたい。アルバムのジャケットデザインもセンスがよかった。当時はフレンチカジュアル全盛で、この頃くらいから、服にも気を使うファッショナブルなバンドが増えてきましたね。
Aco
「悦びに咲く花」 1999年
Acoの音楽やヴォーカルスタイルは様々な変遷があり、常に変わり続けているミュージシャンですね。
収録アルバム「absolute ego」は今も持ってます。元電気グルーヴの砂原良徳さんのアレンジも良き。
ラブ・タンバリンズ
「cherish our love」1995年
瀧見憲司さんが主宰していたインディーズのクルーエル・レコーズ所属だったラブ・タンバリンズ。当時は渋谷系と言われてたけど、他のバンドとはひと味違う本格派で、全曲英語詞、Ellieさんの日本人離れしたソウルフルなヴォーカルが素晴らしかった。
こちらの初のフルアルバム「Alive」をリリースした年に解散してしまい残念。と思っていたら、今もEllieさんはソロで活動している模様。
高野寛&田島貴男
「Winter’s Tale」1994年
高野寛さんも好きでしたが、当時聴いていた初期のアルバムは、公式YouTubeにもサブスクにもなく、今回は載せられず残念。
かわりに、サッポロビール 冬物語のCMソングだったこちらを選んでみました。
ピチカート・ファイブ
「聖三角形」 1988年
ピチカート・ファイブの話題が出たところで、こちらをラストに。田島貴男さんヴォーカル時代のこの曲好きでした。
当時、ソウルフルに歌い過ぎないで、というようなことをリーダーの小西さんに言われたというエピソードを聞いた覚えがある。だから田島さんにしては控えめな感じの歌い方。でも後半はかなりソウルフルだけど(笑)
これだけ80年代ですが、後半なので四捨五入して90年代付近と言うことで入れちゃいました。
実は私、20代半ば過ぎあたりまで、音楽活動をしてました。
就職はしたけど半年で辞めてしまい、フリーターをしながらバンドを組んでました。
MTRで多重録音してデモテープを作りレコード会社へ送ったり、ライブをしたり、ヴォイストレーニング、ジャズ理論も習ってました。
そして、とあるオーディションで知り合ったディレクターから楽曲提供の打診を受けたものの、実現はしなかったのでした。
現実はそう甘くなかった。結局、夢破れ活動はそこで終了。
20代の頃は、今だったら絶対に飛び込まないだろうことにも、けっこう躊躇なく飛び込んでいた。それも若気の至りというのか。
今となっては黒歴史?いい思い出?
でも、やらずに諦めるより、失敗してもやってよかったと思ってます (笑)
そんなトライ&エラーを繰り返していた時代を共にした音楽たち。
あの頃の情景を思い出し、ひとり浸ってしまいました(笑)
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