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【手の力】叱るとき、相手の肩に手をおく効果。
最近では
山口創氏の本をよく読んでいて
著書の中に『手の治癒力』というものがある。
わたしは
前回の記事にもチラッと書いたのですが、
もともと『手当て』の成す力を
多少なりとも実感していたので
すんなり読むことができた。
さて、
この “ 手 ” について
わたしが『おもしろいな!』と思い
取り入れていることを
綴っていこうと思うのだが、
手当て、という癒しの手段とは
またちょっと違う角度の話しですが
お付き合いいただければ幸いです。
▷ 叱る、注意する難しさ。
いぜん、
職場で
とても傷つきやすくて繊細な後輩がいたんですね。
仮にZさん(女性)とします。
Zさんへの対応について
わたしは少し『どうしようかな』と
思っていたことがあった。
その子は、
ふだんはとても明るいのだが、
仕事のミスを伝えると
そのあと長らく落ち込むような
様子があったのだ。
ミスと言っても
大したミスでもないし、
もちろん誰にでもあることだし、
わたしもとくに
頭ごなしに
注意する、とかでもなく。
わたしもミスするし。
なので
「一応なんだけど、これこうなってたから、こうして(直して)おいたんで、次お願いね~」のように
やんわり伝えてみるのだが、
なんとも元気がなくなってしまうのだ。
わたしは考えた。
どうしたら
落ち込まずにいてくれるのか。
どうやら、
わたしが言った内容というよりかは、
『ミスを注意された』という部分だけが
彼女の中で残ってしまうようにみえた。
うーん。
伝え方には気をつけているが
これ以上、柔らかくしようもないくらい、
評判の食堂の豚の角煮かってくらい
柔らかくも言ってみた。
逆に、ズバッと潔くさわやかに
「間違えてたから気を付けてねっ!」と
ハキハキ言うのはどうだろう。
すると
「ちゃんとやったんですけど…」のような反応がかえってきた。
「怒ったり注意をしたい訳じゃなくて、次からZさんが間違えてやり直すことになって、Zさんが大変だったらイヤだな~と思って言ってるだけだからねー」と言ったら、
少し納得したような様子だった。
こうして
わたしの試行錯誤がつづく中、
偶然の産物は
わたしのまえに降りてきた。
▷ 手で触れるということ。
この日、
Zさんの
うっかりミスがあり
大したことじゃないのだが
何度かおなじことがあったので
彼女の癖のような感じだとしたら
伝えたほうがいいかな、と思えた。
伝えないのは、楽だけどな。
わたしは、極力サラッと言ってみようと
考えた。
ちょうど
彼女の横の椅子に座って
なんとなくポンッと肩に手をおいて
「××の資料、〇〇のところ違ってたけど、どうしたのー?」と
言ったら、
「すみません」と
ふつうの返事がきた。
わたしは、オヤッと思った。
「次からよろしくね~」と言ったら、
「はい」との返事。
落ち込んでいる感じがしなかった。
わたしは思考を巡らせた。
なんだ、
何がちがうのだ。
彼女の機嫌が
よかったのだろうか…。
他に
いつもとちがうことといったら、
肩に手をおいたことだった。
え、これだけで?!!!
わたしはすこし
あっけにとられたような気持ちだった。
▷ その後も、試してみる。
もしや、手で触れることの効果って
抜群なのでは?と
味を占める&半信半疑のまま
わたしはその後、
なにか言いづらいなーと思うことには
彼女の肩をポンポンとしてみた。
すると
すんなりと言葉を受け止めてくれる…とまでなのかは
定かではないが、
落ち込む様子もなく
うなずいている。。。
わたしはこのときから、
無敵のアイテムを手に入れた。
その後は
なにかと学園ドラマの熱血先生のごとく
肩に手をおくキャラとなったのであった。
わたしとしても
とても話しやすくなった。
たぶん、
相手に触れることによって
こちらが『憎くて言っているのではないよ』ということが
言わずとも伝わるのではないか、と思っている。
まぁ、異性とかだと
セクハラ!みたいになりかねないので
そこは気を付けつつ
部下に叱咤激励をしなきゃいけないシーンがある方は
ぜひともこの『ポンと肩に手をおく』を
取り入れてみて欲しい。
※あくまでさりげなくナチュラルに。
あと
お子さんとか
パートナーとかも
きっとそうだよね。
しっかりスキンシップをとるのが
有効なのだろう。
ひとは
ちょっとしたことで
安心をおぼえる生きものなのだろう。
言葉だけでは足りないとき
スキンシップが関係性を深める
鍵となるのは
まちがいなさそうである。
☕︎ Have a nice day! ☕︎☆彡