「タヨウ」に疲れたときに見るnote
普段、葉っぱをじっくり見る機会はありますか?
これらは、森にある葉っぱたちです。
こうやって並んでいるのをみると、
この葉っぱの形はよく見るな、とか
カエデっていろんな形があるんだな、とか
こっちはツルツルだけど、こっちはザラザラだな、とか。
あたりまえではありますが、色も形も、ひとつだってまったく同じものはありません。
そして、なんとなくそれが、きれいだな、美しいな、と感じませんか?
つい忘れてしまいますが、あたりまえに存在している「タヨウ」。
そして、それらを美しいと思えるはずの心。
わたしが、“森に、あって”気付かされたことの1つです。
Beauty of Forest
森にある多様な葉を使って、森にいる美しい鳥を表現した作品です。
森には、鳥が食べる虫たちがいて、そしてその虫たちが食べる草木があって、その草木が育つ土壌があって。
そんなふうに、たくさんのいのちがめぐって、森が生きています。
美しい鳥が暮らせる森は、多様性に富んだ森なのです。
この映像を見て、どう思いましたか?
生きているだけで、「タヨウ」。
ダイバーシティ。
この社会の流れは、本当に素晴らしいことだと思います。
これを否定したいとか、そういうことではなく、ただ、時にわたしは「タヨウ」を苦しく感じてしまう時があります。
一見まったく同じに見えるこれらの葉っぱのように、自分の中に「タヨウ」が見つからなくて、焦りを感じてしまったり。
でも、ふと視点を変えるて、見てみると、
色や形が絶妙にちがっていて、そんな自分の中の「タヨウ」に劣等感を感じてしまったり。
とてつもなく矛盾していて、なんてめんどうくさい生き物なんだ、と思いますが、あらゆるところで「多様性」が叫ばれている今、わたしは少し「タヨウ疲れ」のようなものを感じてしまう時があるのです。
そんなわたしが、この映像を見て、森を感じて、思ったこと。
それは、「タヨウ」ってわたしたちが見つけるまでもなく、当たり前にそこに存在していて、「タヨウ」だからこそ出せる色があるということ。
「葉」と一括りにいっても、さまざまな種類の葉っぱが存在し、さらに同じ種類でも微妙に色や形が異なる。
葉っぱが「タヨウ」だから、描かれた美しい鳥。
葉っぱが「タヨウ」だから、つくられる美しい景色。
そうだ。
そんなふうに、わたしたちは生まれた時から「タヨウ」。
あたりまえに「タヨウ」です。
そして、「タヨウ」って、美しい。
自然と「タヨウ」を美しいと思える心を人は持っています。
なんかもう、それでいいじゃん、と。
つい「タヨウ」を考えると、自分の存在そのものを否定してしまったり、自信がなくなってしまったり、逆に人を傷つけてしまったりしますよね。
特にこのご時世、不安にかられたりして、余計に。
でも、わたしたちは生まれながらにして「タヨウ」で、「タヨウ」は本来美しいはずのもの。
まずはそれだけでいいんだ。
それだけで、いい。
それだけで、もう立派。
それだけは、忘れてはいけないな、と思います。
わたしは、この映像を見て、森の「タヨウ」に触れて、少しだけ、心が救われました。
みなさんは、何を感じましたか?
ちなみに、この映像は「天然水の森 東京農業大学奥多摩演習林」で撮影されています。
森の多様を守るために、大学も巻き込んだ取り組み。
ぜひ、のぞいてみてください。
今回はちょっぴり真面目に話してみました。
最後まで、見てくださって、ありがとうございました。
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