見出し画像

「タヨウ」に疲れたときに見るnote

普段、葉っぱをじっくり見る機会はありますか?

DSC_7896改

これらは、森にある葉っぱたちです。

こうやって並んでいるのをみると、
この葉っぱの形はよく見るな、とか
カエデっていろんな形があるんだな、とか
こっちはツルツルだけど、こっちはザラザラだな、とか。


あたりまえではありますが、色も形も、ひとつだってまったく同じものはありません。

そして、なんとなくそれが、きれいだな、美しいな、と感じませんか?

つい忘れてしまいますが、あたりまえに存在している「タヨウ」。
そして、それらを美しいと思えるはずの心。

わたしが、“森に、あって”気付かされたことの1つです。

Beauty of Forest

森にある多様な葉を使って、森にいる美しい鳥を表現した作品です。

森には、鳥が食べる虫たちがいて、そしてその虫たちが食べる草木があって、その草木が育つ土壌があって。

そんなふうに、たくさんのいのちがめぐって、森が生きています。
美しい鳥が暮らせる森は、多様性に富んだ森なのです。

この映像を見て、どう思いましたか?

生きているだけで、「タヨウ」。

ダイバーシティ。
この社会の流れは、本当に素晴らしいことだと思います。

これを否定したいとか、そういうことではなく、ただ、時にわたしは「タヨウ」を苦しく感じてしまう時があります。

DSC_7879改

一見まったく同じに見えるこれらの葉っぱのように、自分の中に「タヨウ」が見つからなくて、焦りを感じてしまったり。

でも、ふと視点を変えるて、見てみると、

DSC_7879改

色や形が絶妙にちがっていて、そんな自分の中の「タヨウ」に劣等感を感じてしまったり。

とてつもなく矛盾していて、なんてめんどうくさい生き物なんだ、と思いますが、あらゆるところで「多様性」が叫ばれている今、わたしは少し「タヨウ疲れ」のようなものを感じてしまう時があるのです。


そんなわたしが、この映像を見て、森を感じて、思ったこと。


それは、「タヨウ」ってわたしたちが見つけるまでもなく、当たり前にそこに存在していて、「タヨウ」だからこそ出せる色があるということ。

「葉」と一括りにいっても、さまざまな種類の葉っぱが存在し、さらに同じ種類でも微妙に色や形が異なる。

画像4

葉っぱが「タヨウ」だから、描かれた美しい鳥。

画像5

葉っぱが「タヨウ」だから、つくられる美しい景色。

そうだ。
そんなふうに、わたしたちは生まれた時から「タヨウ」。
あたりまえに「タヨウ」です。

そして、「タヨウ」って、美しい。
自然と「タヨウ」を美しいと思える心を人は持っています。

なんかもう、それでいいじゃん、と。

つい「タヨウ」を考えると、自分の存在そのものを否定してしまったり、自信がなくなってしまったり、逆に人を傷つけてしまったりしますよね。

特にこのご時世、不安にかられたりして、余計に。

でも、わたしたちは生まれながらにして「タヨウ」で、「タヨウ」は本来美しいはずのもの。

まずはそれだけでいいんだ。
それだけで、いい。
それだけで、もう立派。

それだけは、忘れてはいけないな、と思います。

わたしは、この映像を見て、森の「タヨウ」に触れて、少しだけ、心が救われました。

みなさんは、何を感じましたか?

ちなみに、この映像は「天然水の森 東京農業大学奥多摩演習林」で撮影されています。

森の多様を守るために、大学も巻き込んだ取り組み。
ぜひ、のぞいてみてください。

今回はちょっぴり真面目に話してみました。
最後まで、見てくださって、ありがとうございました。

あなたからの、いいね、フォロー、コメント、全力で待っています。