くうき
営業部の山崎さんが空気を支配する力を得たらしいと噂になっている。
おそろしいことだ。
空気みたいな存在なんて言葉は、いるのかいないのか分からないみたいにつかわれるけれど、はたせるかな、空気がなくなったらみんな死んでしまう。
彼女はその言葉を地で行く存在になったということだ。
今日朝礼で昨日のクレーム対応の報告をしていたときは、いつも通りの山崎さんだった。
それがまた怖い。
樽酒なのに木の香りがしないのは、確かに誇大広告といわれても返す言葉もない。
お客様は樽に入っている事実ではなく、味や香りが目当てなのだ。
酒造部や広報部にはその辺何とかしてもらいたい、とかなんとか。
まあたしかにそうなのだけれど、材質の関係もある。ウチの酒は管理温度の関係で香りがつきにくいというデータも出ている。
そのかわり、この値段では大吟醸にも劣らない香りとコクを出せている。
少なくともその辺の純米酒とは比べ物にならないと自負もある。またリピーターも多いのだ。
もちろんそのことで、酒造部と広報部は意見が一致していた。山崎さんにもその旨を伝える。
「でも、香りだけなんですよ。そうすれば、もっと売り上げも上がるように思えませんか?」
「そんなことなら、あ、あんたが何とかすればいいだろ」
広報部長が勘に耐えかねたようにそう言った。
空気を支配できるあんたなら容易いことだろうと暗に示す口ぶりだった。
これは部長の失言だ。気持ちは分かるけど。
たとえば、僕が空を飛べるようになってひとっ走りその力で得意先にお使いを頼まれてくれなんて言われたら、どうだろう。
正直、技能手当などをいただきたいと思う。
部長も言ってすぐ気づいたらしい。結局山崎さんの返答も待たず口をつぐんでしまう。
結局樽を新たに用意してみて、新商品という形で数量限定で売り出すことになった。
完成するとそれは飛ぶように売れて、すぐに予約が殺到した。
結局僕らの求めた香りやコクは見向きもされず、木の香りを楽しめる酒が主力商品となった。
広報部長は、僕を飲みに誘っては悔しそうに山崎さんと樽酒の愚痴を言っている。
「すべてあいつに乗っ取られた!」
確かにそうだ。結果的に会社の空気は彼女のモノだ。
これが彼女の力なのかは分からない。