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あの子の日記 「はじまりの色」
青空のうつくしさを知っている。それは生きているかぎりうつくしい青。澄みきった青。いのちが始まったときの色とよく似た青。
ともちゃんが消えた日の前日、別のうつくしさが頭上に広がっていた。空と雲の境はない。やわらかく白い赤ちゃんの二の腕に、海の深いところから汲みあげた青がにじんでいるようだった。
「どこそこへ行きたいとか言ってなかった?智代が行きそうな場所があればどこでもいいから教えてちょうだい。あの子が大変な目にあってるんじゃないかと思うと気が気じゃないのよ」
ともちゃんのおばちゃんは弱々しく言った。つるんとふくらんだほっぺは垂れ下がり、先週お茶に呼ばれたときよりずいぶん年老いて見えた。いつも出してくれるクッキーはないし、いつもいるともちゃんも今日はいない。
「警察には言ったの?」
「ええもちろんよ。22時になっても帰って来なかったんだもの。門限を破ったことなんて今まで一度もなかったわ」
「夜のあそびでも覚えたんじゃない」
おばちゃんはため息をついて立ちあがった。冗談よしなさいよとか、馬鹿言わないでちょうだいとか、声帯を震わせられなかったいくつかの言葉たちが部屋の空気を重くする。空っぽのティーカップはソーサーの上でがちゃんがちゃんと音を立ててキッチンに運ばれていく。
「次はハーブティーでいいかしら」
おばちゃんの取り繕ったあかるい声に、無機質な返事をした。
「明日から、ちょっと遠くに出かけるから」
おとといの放課後、ともちゃんはひと気のない靴箱でつぶやくように言った。校庭の砂を巻きあげるほどつよく風が吹いている、平日のなんでもない日だった。
「ふうん。何しに行くの」
「まあちょっとした旅行的な」
「ひとりで?」
「そんな寂しいことしない。涼くんとふたりよ」
涼くんというのはともちゃんのバイト先の先輩で、ともちゃん曰く、高校生にはないオトナの色気をまとった男なのだと言う。
「学校もしばらく休むから。明日から風邪ひく予定にしてんの。あとお母さんには内緒ね」
「おばちゃん心配するよ」
「あたしさあ、もう子どもじゃないから」
子どもじゃないと言い切ったともちゃんの瞳は真っすぐで、朝いちばんの太陽よりも瑞々しくかがやいていた。
夕方なのに空はまだ青い。うすい雲はわたしたちみたいに透明で、どこまでも流れていく。大人の始まりは突然で、すこし寂しくて、とても、とても、うつくしかった。
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