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あの子の日記 「指のすき間を」
「キャスター5ミリ、ボックスで。番号?視力が悪くてよく見えなくて。すいません。ええと、それのもう少し左の、いえ、その上の白いやつ。それひとつください」
・・・
情報量の多い一週間だった。弟が結婚し、友人が離婚し、となりの部署の同僚が心を病んで退職し、祖母が庭で転んで入院した。
それぞれに「おめでとう」「大変だったな」「また飯でも行こう」「大事に至らなくてよかったよ」と声をかけ、かろうじて持ち合わせていた喜怒哀楽に振り回されて過ごした。
日常が変化する瞬間を週のうちに何度も見ていると、平凡な人生を徐行しているつまらない自分が浮き彫りになった。だれか、自宅と会社を行き来する俺を主人公にしたRPGを作ってみたらいい。いかに単調な毎日を過ごしているかが分かるはずだ。
ひとりで朝飯を食べ、身支度を済ませ、交通渋滞に巻き込まれながら出社する。仕事は適当。不真面目にサボることもなく、真面目にテキパキするでもなく適当にやり過ごし、朝ほどではないが、また渋滞に巻き込まれながら帰宅する。
玄関のドアを開けて「ただいま」と言うと、暗い部屋に自分の声がむなしく響く。やさしく出迎えてくれる彼女もいなければ、キャンキャンと駆け寄って帰宅を喜んでくれるペットもいない。そんな毎日には慣れている。
着替えもしないまま手狭なキッチンの換気扇を回し、おととい買った煙草に火をつける。人さし指と中指の間、第一関節のあたりで挟んだ一本はぢりぢりと燃えはじめ、不健康な煙はバニラに似た香りを漂わせて換気扇に吸われていく。
半年ちょっとの禁煙期間は幻だった。やっぱり、つまらない日常は煙に混ぜて吐き出すべきだ。
肉厚で比較的大きいこの手が包み込むのは、女の子の肩じゃなくてライターでいい。関節がでこぼこしたこの指のすき間を埋めるのは、恋人の華奢な指じゃなくて煙草でいい。
指に挟んだ感覚が消えないまま、いつの間にかすべて灰になったとしても、なにも文句は言わないから。
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