携帯電話は早すぎる。 コミュニケーションには即効性が必要か。2009.3.11
2009.3.11
携帯電話にメール機能が追加され、クレジット機能が追加され、個人情報が記録される。
便利な世の中になったというが、もともと天邪鬼な私なんかはすぐ、疑問を感じてしまう。
メールを作成して、送信してから相手のところに中々届かない、なんてのはお正月くらいだろう。
たいてい、すぐ到着する。
作成し終わってトイレに行っている間なんかには、返信が返ってくることもあるのである。
果たして、こんなに良く効く薬のように即効性が必要なのだろうか。
そういう私も、携帯電話を所有しているのだが、たいてい不携帯である。
そして、メールなり電話なりがかかると当然すぐには返せない。
しばらくして、返すと 何故、返さなかったのかと叱責されるのである。
メールは必ずしも、手紙とは同じとは限らない。
多くの場合、受け取る際には直ぐに確認することを義務付けられ、
それに2,3日中には返すことを強いられるのだ。
携帯依存なんていうことも、近年、問題になっているようだ。
確かに携帯電話の持つ機能は充実している。携帯があれば大概のことができてしまう。
同時に、皆がこのメールは今送れば、2.3分後には届いていることを知っているため、
返信が返ってこなければ、不安になり、受け取った側も不意識のうちに早く返さなければ
という感覚に陥ることもあるだろう。
今回、携帯電話について、話してきたのだが、更に深く話して携帯電話不要説を唱えることもできなくはないが、そんなことを言いたかったわけではない。
手紙をたまには書いてみてはどうだろうか。ということを言ってみたかったために、
このテーマを取り上げてみたのである。
特に用件がなくても、春ですね。という季節の言葉とともに活字を紙面に躍らせてみるのである。
手紙には、即効性がない。 じわりじわりと効いてくるのである。
~~以下、2021年現在~~
文章をずっと書き続けている。22年前の日記に22年振りに返信する。「個人情報」というものに懐疑的であり、これは22年経った今でも変わらない。
「果たして、こんなに良く効く薬のように即効性が必要なのだろうか。」
↑本当にそう思う。LINEの既読機能が辛い。本当なら一晩考えて渾身の返信を返したい。妻と付き合っている時に(当時はラインは無くメールだったが)「一日一返信」と決めていた。後々に、「何で あなた 返信 1回 だけか?」と聞かれたこともあるが、ポリシーがマイルールがあったのだ。お腹が空いた時の焼肉が旨いように、サウナでカラッカラになった後のビールが染みるように、コミュニケーションも飢餓感があった方が長続きをすると考えていた。
足りない中で工夫をするのが好きで、radikoでラジオを聴きまくってて、どう考えてもプレミアム会員になった方がいいと思うのだが、それはやらない。しかも、何故かiphoneの位置情報がバグっていて住んでいる場所が「東京・中野」という1回しか行ったことがない場所に設定されていて、東京のラジオは聴き放題なのである。聴き放題と言っても、期間内に聞き終わらないと消えてしまう。ラジオを聴くために時間を工面するということも楽しい。食器を洗う時にワイヤレスイヤホンで片耳でラジオ、片耳で家族の会話を聴くというマルチタスクが一番うまくいっている。(と思う)
居酒屋りんどうの奥さんが10年前だったかに、
「最近の学生は飲み放題を付けないと来ないのよ。焼酎ボトル入れた方が安いんだけど、飲み放題というのが好きなのかなぁ。でも、あんたたちみたいに無茶苦茶呑む奴らには、絶対に飲み放題適用しないからね。」と言っていたのを思い出す。「食べ放題」「飲み放題」「通信無制限」「通話し放題」「聴き放題」全部嫌いだ。放題に縛られてしまって、目的が放題を活かすことに終始しそうだからだ。通信無制限で思い出したが、スマホの通信料は1GB/月に固定している。通常は「低速」にしていて、ココぞという時にだけ「高速」に切り替えて、コトが済んだら「低速」に切り替えるという面倒臭いことを日々繰り返している。妻も同じプランだが、そういった切替を頻繁にやらないから、月の半ばには高速通信できなくなっている。話は全然変わるがセブンイレブンのWi-Fiでダウンロードしたら無茶苦茶速くて、通信速度の違いを感じた。こんな環境に慣れてしまったら、受動的な思考が加速しそうだ。つまり、だらけてしまう。高速で送られてくるものを高速で処理して、「攻め思考」の筋肉が衰えてしまう。「ここぞ!」をとらえる嗅覚が鈍くなると思うのである。私の場合でいくと、通信料が1GB/月でありますから、ダウンロードするものも吟味できる。経験上、とりあえずとダウンロードした音源は聴かないことが多い。「ここぞ!」の嗅覚で「俺の1GB/月」を消費して傷を負い、手に入れたデータは愛着が沸く。FD(フロッピーディスク)、MO世代だったのでデータ量には敏感だ。G(ギガ)の1000分の1のM(メガ)の世界で闘っている。今なんかはT(テラ)の世界だから10万分の1の世界で闘っていたことになる。1月で1GBをきっかり使い切れた時の達成感は凄い。それを1年間で12回も経験できている。制限の悦しみというか、10Gで闘っている人よりも1Gで闘っている俺の方がタフだと思うのである。tough boyである。このタフさが続くかどうかを20年後にこの日記を振り返って確かめたい。