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【内容一部公開】圏論から生まれた奥深い数学の世界へ――近刊『エントロピーと多様性の数理』

2024年12月下旬発行の新刊書籍、『エントロピーと多様性の数理』のご紹介です。
同書の一部を、発行に先駆けて公開します。


 
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訳者あとがき

本書は、T. Leinster. Entropy and Diversity: The Axiomatic Approach(Cambridge University Press, 2021)の日本語訳である。書名から察せられるとおり、エントロピーを用いた生物多様性の定量化が本書の主題である。そのため、一見この目的に必要なエントロピー関連の数学の応用に関する書物であると思われるかもしれない。確かに一面ではそうかもしれないが、それだけに収まらない広い射程をもつのが本書の大きな特徴である。

原著者は圏論を専門とする数学者であり、本書では生物多様性の定量的尺度の公理的特徴づけに関する原著者らの研究成果に加えて、それに関連する数学の諸研究、および背景となる数学の基礎的な諸事項が解説されている。その中で生物多様性の定量化は、数学のさまざまな分野に現れるサイズの概念を圏論的観点から統一しようとする大きな研究プログラムの中に位置づけられている。そのため、登場する数学の分野は多岐にわたっており(原著者が作成している原著のウェブサイトに記載されているリストに挙げられているのは、関数方程式、情報理論、幾何学的測度論、圏論、確率論、数論である)、本書はまぎれもなく本格的な数学書である。ただし、本書冒頭の「読者への覚書」で原著者が述べているとおり、生物多様性の定量化に関する主要な結果を理解するには「厳密な(ε-δ論法による)解析学の初等的な講義を超える数学は必要ない」。読者は、自身が不慣れに感じる部分は原著者が述べているとおり省略しても差し支えないし、あるいは原著者による数学のガイドツアーに参加しているつもりで気楽に読み流してもよいと思う。

多岐にわたる本書の内容の中で、訳者にとって最も印象的であったのは、本書で証明される主要な定理の一つである、定理7.4.3である。大雑把にいうとこれは、種の相対存在量分布としてモデル化された生態群集に対する多様性の尺度がもつべきと考えられる自然ないくつかの性質をもつ関数(列)の全体が、Hill数とよばれる実数パラメータ$${q}$$をもつ関数(列)$${D_q}$$の全体に一致する、というものである。パラメータ$${q}$$は希少種への感度を制御するため($${q}$$が大きいほど希少種を無視する程度が大きくなる)、本書では視点パラメータとよばれている。この定理は、本文中では多様性の尺度の全体的特徴づけ定理、あるいは分類定理として説明されている。$${q}$$は単に分類ラベルであるというだけでなく、視点という意味づけができる。だから、この定理は(視点全体のなす空間を導き出すという形で)視点それ自体の起源を捉えたものとしても解釈できよう。この意味で、「生成」の一つのモデルとみなすことができ、少なくとも訳者にとってはたいへん触発的であった。

翻訳に際しては、上記の原著ウェブサイトで公開されている正誤表に掲載されている修正点はすべて反映した。訳者が翻訳の過程で新たに気づいた誤植については、原著者に問い合わせたうえで修正した。

(後略)


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エディンバラ大学 Tom Leinster(原著)
東京女子大学 春名太一(訳)

生態学の問題から生まれた数学が、純粋な理論としても発展しながら、さらに物理学、情報科学、経済学、社会学といったさまざまな分野で用いられる可能性を秘めていた――
生物多様性の定量化に対する圏論的な研究から発展した、奥深い数学の世界を味わう。
 
「多様性の尺度がみたすべき性質は何か」「その性質をみたす関数はどんな形をとらねばならないか」という公理的なアプローチによって、Shannonエントロピーを出発点に、Rényiエントロピーや$${q}$$対数的エントロピー(Tsallisエントロピー)、そして生態学におけるHill数、アルファ多様度、ベータ多様度、ガンマ多様度といった概念を展開していく。
 
その中で、「どんなときに多様性は最も大きくなるのか」という問題には、圏論的な不変量であるマグニチュードという概念が関わることが明らかになる。また最終章では、エントロピーの圏論的な起源を探り、純粋数学の心臓部にもエントロピーが現れることを見る。
 
本書では、ほかにも関数方程式、情報理論、幾何学的測度論、確率論、数論といった、数学の幅広い分野が取り上げられている。一方で、初等的な解析学さえ知っていれば本筋を追うことができるよう注意が払われている。
 
[原著]Entropy and Diversity: The Axiomatic Approach (Cambridge University Press, 2021)

【目次】
第1章 基礎的な関数方程式

 1.1 Cauchyの方程式
 1.2 対数的数列
 1.3 $${q}$$対数

第2章 Shannonエントロピー
 2.1 有限集合上の確率分布
 2.2 Shannonエントロピーの定義と性質
 2.3 符号化の見地からのエントロピー
 2.4 多様度の見地からのエントロピー
 2.5 チェイン則がエントロピーを特徴づける

第3章 相対エントロピー
 3.1 相対エントロピーの定義と性質
 3.2 符号化の見地からの相対エントロピー
 3.3 多様度の見地からの相対エントロピー
 3.4 測度論,幾何学および統計学における相対エントロピー
 3.5 相対エントロピーの特徴づけ

第4章 Shannonエントロピーの変形
 4.1 $${q}$$対数的エントロピー
 4.2 べき乗平均
 4.3 RényiエントロピーとHill数
 4.4 Hill数の性質
 4.5 与えられたオーダーのHill数の特徴づけ

第5章 平均
 5.1 準算術平均
 5.2 重みなし平均
 5.3 狭義に増加する斉次平均
 5.4 増加する斉次平均
 5.5 重みつき平均

第6章 種の類似度とマグニチュード
 6.1 種の類似度の重要性
 6.2 類似度に鋭敏な多様性の尺度の性質
 6.3 多様度の最大化
 6.4 マグニチュードへの入門
 6.5 幾何学と解析学におけるマグニチュード

第7章 価値
 7.1 価値への入門
 7.2 価値と相対エントロピー
 7.3 価値の特徴づけ
 7.4 Hill数の全体的特徴づけ

第8章 相互情報量とメタ群集
 8.1 結合エントロピー,条件つきエントロピーおよび相互情報量
 8.2 部分群集に対する多様性の尺度
 8.3 メタ群集に対する多様性の尺度
 8.4 メタ群集に対する尺度の性質
 8.5 すべてのエントロピーは相対的である
 8.6 発展

第9章 確率的手法
 9.1 モーメント母関数
 9.2 大偏差と凸双対性
 9.3 $${p}$$ノルムの乗法的特徴づけ
 9.4 べき乗平均の乗法的特徴づけ

第10章 情報損失
 10.1 保測写像
 10.2 情報損失の特徴づけ

第11章 素数を法とするエントロピー
 11.1 Fermat商とエントロピーの定義
 11.2 エントロピーと情報損失の特徴づけ
 11.3 実エントロピーの剰余
 11.4 多項式アプローチ

第12章 エントロピーの圏論的起源
 12.1 オペラッドとその代数
 12.2 圏論的代数と内部代数
 12.3 内部代数としてのエントロピー
 12.4 普遍内部代数

付録A 予備的事実の証明
 A.1 エントロピーに対するチェイン則の形
 A.2 無作為標本における種数の期待値
 A.3 多様度プロファイルは分布を決定する
 A.4 アフィン関数
 A.5 整数オーダーの多様度
 A.6 カップリングの最大エントロピー
 A.7 凸双対性
 A.8 キュムラント母関数は凸である
 A.9 有限体上の関数

付録B 条件の要約

訳者あとがき
参考文献
表記法の索引
人名索引
事項索引


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