【まえがき公開】新しく、パワフルなアプローチ――近刊『圏論によるトポロジー』
2023年6月上旬発行予定の新刊書籍、『圏論によるトポロジー』のご紹介です。
「数学的対象そのものよりも、ほかの対象との相互関係に注目する」という考え方は、現代数学において重要であり、圏論はこの視点から学ぶための枠組みを与えるものである。
本書では、圏論的アプローチを用いて、位相空間論をはじめとするトポロジーについて説き明かす。特に、普遍的性質を強調した位相的構成、ホモトピー、フィルターによる収束の扱い、極限、余極限、随伴に重点を置いている。
本書を読むことにより、ひと味違った理解ができるとともに、圏の威力や汎用性を感じることもできるだろう。
原著、推薦の声多数!
同書の一部を、発行に先駆けて公開します。
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まえがき
大学院でトポロジーの講義をする際、位相空間論は簡単に済ませて、代数的トポロジーの話題を中心に話したくなるものだ。そちらのほうが教える側にとっても楽しいし、今日の学生にとっても有意義である。位相空間論に関する考え方の多くは、すでに実解析や学部の位相空間論の入門講義で馴染みがあるので、省略しても大丈夫な気がする。また、馴染みはないが分野によっては大事な位相の話題、たとえば代数幾何学におけるザリスキー位相や整数論における$${p}$$進位相などは、その話題に出会った際に学べばよい。
位相空間論を急ぎ足で復習する代わりに、より現代的な圏論の視点から位相空間論を見直すという手段も考えられる。その学び方のほうが以下に述べるいくつかの理由から優れていると思う。すでに多くの大学院生は集合論に馴染みがあるので、普遍性による特徴づけなどの新しい考え方を、位相空間論を通じて学ぶ準備ができている。さらに、古めかしい空間理解の仕方をその名前が示している位相空間論を、圏論的手法で扱うことで、その手法の汎用性と威力が明らかになる。位相空間の圏自身はそれほどよい圏ではないが、それによって位相とほかの対象の有意義な違いがイメージでき、なぜ(コンパクト生成弱ハウスドルフ空間のような)ある種の位相空間が特別よい振る舞いをするのかがわかる。最後の理由として、位相空間論は大学院1年目のトポロジーのコースと学位試験の科目であるという実情がある。理解を深め、現代数学における将来の研究の確固たる基礎を固められるよう位相空間論を教えることは、素晴らしい代替手段である。
このテキストは、位相空間論の初歩を圏論の視点から説明するための厳選された素材から成る。Ronnie Brown (2006) といくつか同じ話題を扱っているが、この本の見方は最初からより圏論的である。結果として、範囲は狭くなっているが、より汎用性が高くなっている。読者は線形代数をよく理解していて、群を正規部分群で割って商群を構成する程度の抽象代数は知っているものと仮定する。また、本書の後半には集合間の矢印の操作に終始することになるので、読者は集合とその元についての基本的な知識をもっておくべきである。図式や矢印にこの本で初めて出会う読者は、馴染みのある対象を新しい視点から説明している第 0 章「準備」を読むのに少し時間がかかるかもしれない。
被覆空間、ホモロジー、コホモロジーといった話題はこのテキストに登場しないが、最後まで読み通せば、代数的トポロジーについてより深く学ぶ準備ができるだろう。省略した話題については、この本を読んだ後に手に取るであろうMassey (1991),Rotman (1998), May (1999), Hatcher (2002), tom Dieck (2008) などに載っている。大学院の学位プログラムの第1セメスターのトポロジーでは、たいていは曲面の分類を扱う。曲面の分類定理はこのテキストには載っていないが、授業の中でこの話題に触れたいという講義担当者もいるかもしれない。その場合は、コンウェイ(Conway)のZIP証明かMassey(1991)の証明がお薦めである。
この本は、普遍的性質を強調した位相的構成の詳細な説明、フィルターによる収束の扱い、極限、余極限、随伴に重点を置き、また、早い段階からホモトピーに重点を置いている。それにより、この本は、トポロジーを学ぶ学生のガイドとなってくれる。すなわち、解析と位相空間論のしっかりした基礎知識のある学部生を、現代数学の問題に取り組む備えができた大学院生へと導いてくれる。
訳者まえがき
大学初年度の数学の講義では、最初に集合と写像の定義をして、その後習う微積分や線形代数などの大学数学はすべて集合と写像の言葉で語られる。集合とはある条件を満たす元の集まりで、集合$${X}$$から集合$${Y}$$への写像$${f:X→Y}$$とは、$${X}$$のどんな元$${x}$$にも$${Y}$$の元$${f(x)}$$を一つだけ対応させる規則であると習う。多くの場合、集合には何か構造が付加されていて、その構造を保つ写像をもっぱら考える。たとえば群の場合、集合$${G}$$に群の公理を満たす二項演算·:$${G×G→G}$$が定義されていて、群$${G₁}$$から群$${G₂}$$への準同型写像$${ϕ:G₁→G₂}$$とは二項演算·を保つ、すなわち$${ϕ(g·h)=ϕ(g)·ϕ(h)}$$を満たす写像である、など。しばしば教科書の定理の冒頭で「$${G}$$を群とする」という文が出てくるが、その際に$${G}$$がどんな群かを具体的に思い浮かべることは稀であろう。どこかに「群たちの住む世界」があって、そこの住人は群で、群から別の群に準同型写像が出るくらいのイメージをもちながら、定理の続きを読み進めるのではないだろうか。まさに圏とは、そのようにある性質を満たす対象たちと、対象から別の対象への射からなる世界のことである。圏論では各対象がどんな元から構成されているかを考えたり、各射を元の移り方で特徴づけたりはしない。
それでは圏論において各対象ごとの違いはどのように認識されるのか、それを的確に表しているのが、米田の補題から導かれる「対象はほかの対象との関係で完全に決まる」という考え方である。本書では、まず第0章においてこの考え方を紹介し、続く章で位相空間を例に挙げてこの考え方を説明している。たとえば位相空間$${X}$$の部分空間$${Y}$$を定義する際、学部の位相空間の講義だと、$${X}$$の位相から定まる$${Y}$$の相対位相を集合族として定義する。そして、任意の位相空間$${Z}$$から部分空間$${Y}$$への連続写像$${f:Z→Y}$$と包含写像$${i:Y→X}$$の合成写像$${if:Z→X}$$が連続になることを示す、というのが一般的な流れであろう。しかし本書では、任意の位相空間$${Z}$$から位相空間$${Y}$$への写像$${f:Z→Y}$$が連続になることと、$${f}$$と包含写像$${i:Y→X}$$との合成写像$${if:Z→X}$$が連続になることが同値になるような$${X}$$の部分集合$${Y}$$の位相は相対位相であることを示す。つまり、部分空間を別の位相空間との関係で完全に決定しているわけである。
このような対象の認識の仕方を「普遍性」による特徴づけという。圏論における普遍性の登場場面として「表現可能関手、極限、随伴」が挙げられるが、本書ではまず表現可能関手に関する米田の補題を紹介している。そして、学部の位相空間論で習う連結性やコンパクト性やハウスドルフ性といった位相的性質を説明しながら、それらの性質が部分空間、商空間、積空間、余積空間という四つの位相空間の作り方でどのように伝わるかを見ていく。これら四つの位相空間の作り方は、圏論における引き戻し、押し出し、積、余積に対応していて、普遍性で語られる極限や余極限の典型例である。
本書の後半は随伴がテーマとなる。2変数関数$${y = f(x, z) }$$を、$${x}$$から$${y}$$への1変数関数にパラメータ$${z}$$がついている
と思うことは、随伴の代表的な例である「積-hom 随伴」
を表している。ここで、$${X}$$から$${Y}$$への写像空間Top$${(X, Y )}$$ にどのような位相を考えるべきかという話題でコンパクト開位相が現れる。また、「対象はほかの対象との関係で完全に決まる」という圏論の考え方から,単位閉区間$${I = [0, 1]}$$や単位円周$${S¹}$$ からの位相空間$${X}$$への写像空間が考察の対象となり、パス空間やループ空間などの$${X}$$上のファイブレーションやホモトピーの話題が登場する。
以上のように位相空間の圏を材料として、圏論における普遍性の三つのテーマ「表現可能関手,極限,随伴」を順番に見ていき、ファイブレーションやホモトピーというトポロジーの話題を自然に導き出しているのが本書の特徴である。また、フィルターの収束や、チコノフの定理と選択公理の同値性や、ブラウワーの不動点定理など、学部の位相空間論の講義ではあまり扱わないような話題にも触れている。一方、モナドやモデル圏など圏論の進んだ話題にも、将来読者の関心が向くよう配慮されている。
このように圏論とトポロジーの両分野にわたって話が展開していくため、翻訳の作業は容易ではなかった。本書を翻訳するにあたり、特に次の本を参照した。
「ベーシック圏論」T. レンスター 著,斎藤恭司 監修,土岡俊介 訳,丸善出版
「ファイバー束とホモトピー」玉木大 著,森北出版
(中略)
圏論はいま流行のようである。集合と写像を数学を語る唯一の言語としている限り、圏論は鳥の目をもって理論全体を鳥瞰するための道具にすぎず、実際に個別の問題を解くにはこれまでのように集合から元を取り出し、蛙の目でじっと対象を観察するしかないようにも思われる。しかし、数直線は実数が隙間なく詰まっている集合とは見えていない現実に合わせて、普遍性のようなほかの対象との関係で数学が語られる時代が今後訪れるかもしれない。本書はそのときまでの過渡期の産物のような気がする。
(以下略)
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