2023年10月下旬発行予定の新刊書籍、『分子動力学法と原子間ポテンシャル』のご紹介です。
同書の一部を、発行に先駆けて公開します。
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まえがき
分子動力学法(molecular dynamics、略してMD法)は、原子レベルの分解能の顕微鏡でミクロの世界を覗き見るように、膨大な原子集団の振る舞いをコンピュータ上で見せてくれる、魅力的なシミュレーション手法です。計算機の性能が飛躍的に向上し、数十万原子からなる巨大な系のMDシミュレーションが、ちょっとした高性能パソコンで実行できるようになりました。スパコンを使った例では、20兆原子という超大規模系のシミュレーションも報告されています。
もともとMD法は、統計力学の補助的な手法として発展したものですが、近年、ナノスケールの加工プロセスや、薬剤分子の設計、多数の原子が関与する複雑な化学反応を調べる方法として、ますますその重要性を増しています。オープンソースのMD計算プログラムの普及も手伝って、MDシミュレーションの論文の発表件数は年々増加の一途をたどっています。
MDシミュレーションでは、「原子間ポテンシャル」の選択が重要なファクターとなります。原子間ポテンシャルとは、原子集団の座標値から系全体のポテンシャルエネルギーを近似的に計算する関数のことです。原子間ポテンシャルの性能次第で、シミュレーションの妥当性も左右されます。せっかく面白い現象がシミュレーションで再現されても、採用した原子間ポテンシャルの適用範囲を超えて使ってしまっていたら、「そのシミュレーションって本当に信頼できるの?」という疑念が残ります。MDシミュレーションに取り組むには、扱う原子間ポテンシャルの特徴をよく理解する必要があるのです。
本書は、これからMDシミュレーションに取り組もうとする人たちに向けて、MDシミュレーションに関する基本的な知識と、代表的な原子間ポテンシャルの仕組みと特徴を解説した入門書です。大学の研究室に配属されたばかりの学部学生を想定読者にしています。
これまでにもMD法に関する優れた書籍が多数刊行されていますが、本書では、近年利用者が増えてきた原子間ポテンシャルの中からとくに、ReaxFFとガウス近似ポテンシャル(GAP)をピックアップして、それぞれ1章を割いて詳しく解説しています。ReaxFFは、さまざまな系の化学反応のシミュレーションができる汎用性の高い原子間ポテンシャルとして、すっかりポピュラーになりました。よくぞここまで作り込んだと感嘆せずにはいられない、パラメトリックなアプローチの極みといってよいポテンシャルです。
もう一方のGAPは、ReaxFFとは正反対の、ノン・パラメトリックなアプローチの到達点で、第一原理計算の膨大なデータに基づいて原子間相互作用を予測します。同じくノン・パラメトリックな手法として、ニューラルネットワークポテンシャルも本書で取り上げていますが、GAPは本質的にニューラルネットワークポテンシャルを内包しているので、とくに深掘りする価値があります。GAPやニューラルネットワークポテンシャルは、筆者が長年夢見てきたデータ駆動型MDの具現化であり、近年の機械学習の目覚ましい進歩も手伝って、今後ますます発展していくと期待されます。
本書では付録として、オープンソースのMDシミュレーションプログラム「LAMMPS」の、ごく簡単な使い方をまとめておきました。ReaxFFとGAPをLAMMPSで動かす方法も、第4章と第5章の終わりで、それぞれ簡単に解説しています。とりあえずMDシミュレーションを試してみたいという方は、これらを参考にするとよいでしょう。
また本書では、MDシミュレーションの計算手順を具体的に示すため、C言語の簡単なサンプルプログラムをいくつか収録しています。これらサンプルプログラムは、森北出版ウェブページからダウンロードできます。
(後略)
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