下山事件にみる歴史のねじ曲げ方 プロローグ9
調書の「オリジナルコピー」とは
前回は「NHKスペシャル未解決事件File.10下山事件」でかなりの時間を割かれたRという人物の調書について書きました。「下山事件はソ連の仕業」という内容の調書でした。
盗まれた調書
この調書が巻かれた経過を記したGHQ覚書は、調書の英語訳を載せた後、こう続いていきます。
「調書の最初のコピーは九州から東京へ向かう途中に盗まれ、担当検察官は上記の2度目の調書(前回紹介したもの)を取るため(九州へ)戻らざるを得なかった。調書のオリジナルコピーを添付する。最初の取り調べで取られたノートは、添付された調書のコピーとともに責任当局の手元に残っている」
「最初のコピー」が盗まれたため、「巻き直した2度目の調書」を覚書に添付していると読めます。そうすると「オリジナルコピーを添付する」の「オリジナル」はどういう意味でしょう。
「取り直した調書の原本の写し」ということでしょうか。私の英語力では「オリジナル」と「コピー」の意味がつかみきれません。
「責任当局」というのも検察なのか米側なのか、はっきりとしません。表現が少し曖昧です。
NHKは米国が調書を強奪したように示唆していました。それが真実なら、「盗んだオリジナルの調書を添付する」という解釈も成り立ちます。しかし、文の前後とは意味が合わなくなってしまうような気がします。
サンケイが発掘
この調書が覚書と共に米国で保管されていたことは、1979(昭和54)年7月6日のサンケイ(現産経)新聞で明らかにされました。サンケイはRの調書が米国にあることを「ミステリー」という切り口でまとめています。
注目されるのは、担当検事だった布施健・元検事総長が「外交問題にも関わりそうな内容なので」とサンケイの取材に応えているところです。
布施検事によると、Rとの関わりはGHQ覚書の通り、小菅刑務所(葛飾区)に勾留されていた本人から東京地検の馬場義続・次席検事宛てに手紙が届いたのがきっかけでした。
翌年、調書を取るに至った経過もGHQの認識通り、「小倉刑務所長からの手紙で“会ってほしい”と向こうからの依頼だった」(サンケイに載った布施検事の言葉)ということです。
このように、布施検事はほぼ覚書通りのことを話しています。地検側の報告をGHQが覚書にしたのですから当然と言えば当然ですが、双方の言葉・記録に作為的な変造はないことが裏づけられるとは思います。
ただ、調書が盗まれた後のことについては、布施検事の記憶は覚書と違っています。そして、それがサンケイの指摘する「ミステリー」となっているのです。
米側の正式記録である覚書も事実関係があいまいに見えますので、どうしても調書の「ミステリー」性が際立つことになってしまいます。
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(プロローグ10につづく)