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下山事件にみる歴史のねじ曲げ方 第Ⅰ章1

時代背景と対立軸

「NHKスペシャル未解決事件File.10下山事件」に違和感があり過ぎ、ついプロローグで引っ張ってしまいました。
今回から本編に入りますが、前提として時代背景に触れておきたいと思います。

共産勢力一掃が至上命令

1945(昭和20)年の敗戦で日本はGHQに占領され、いったんは国民に政治活動の自由が保障されました。
しかし、世界的に広がる共産主義の勢いが国内にも波及し、GHQはやがてレッドパージにかじを切っていくことになります。

公共企業体として発足したばかりの国鉄は、兵役に就いていた職員が続々と引き揚げて来て60万人以上の大所帯になっていました。おまけに労組は政府から左翼の巣窟のように見られていました。
新総裁には経営合理化(首切り)に併せ、共産勢力の一掃が求められました。
いや、「求められる」といった生やさしいものではなく(GHQ、日本政府両方からの)至上命令でした。そうした時期に起きたのが下山事件です。

他殺説のお陰で解雇は円滑

下山事件の少し前、警察署が共産党員らに占拠され、署の屋上に赤旗が翻るような事件が国内で起きていました。暴力革命の空気も流れる不穏な世相でした。
そんな時に国鉄総裁が変死したとなれば、GHQにしても、日本政府にしても「共産主義者に殺された」とする方が政策に有利となります。共産主義が国民の反感を買うものになるからです。
事実、多数の新聞が他殺説を振りまいたお陰で、国鉄の解雇は想定よりスムーズに進みました。
当時の国鉄労組副委員長、鈴木市蔵氏は著書で「一矢を報いることもなく敗北した」と振り返っています。

対立する時代

それから、敗戦で全体主義が崩れ、あらゆるところで対立軸が形成される時代でもありました。
政治から経済、生活まで大政翼賛的な体制が長く続きましたので、「あっち派」「こっち派」という対立が目立ってくるのは当然かもしれません。

事件を巡っても対立軸ができました。次の国会質問が、それを端的に表しています。

「下山事件は特異にして稀有なる事件だと思うのであります。捜査陣営においても、検察庁側は他殺の見解をとるがごとく、警視庁側は自殺の確信を持っておられるようであります。法医学者は、東大系は死後轢断説、慶応その他は自殺説、新聞社も朝日は他殺、毎日は自殺、なお政党まで2派にわかれておるのじゃないかと思われるのでありまして、民主自由党は他殺説、共産党は自殺説を絶叫せられておる」(事件の2カ月半後の9月20日、衆院法務委員会。猪俣浩三議員)

新聞も対立

見ての通り、新聞の対立にも触れています。
当時、新聞は朝毎2大紙の時代でした。占領下で検閲もあったため朝日といえども体制批判、特に占領軍批判はできませんでした。
それでも先輩記者などに聞くと「朝日(の記者)は左寄り」といったイメージは終戦より前からあったようです。

注目すべきは「共産党は自殺説を絶叫」とあることです。それは「共産党がやった」という見方が一般的だったことを示す発言でもあるのですが、保守派の毎日新聞が朝日を差しおいて共産党寄りの説になっています。

「自殺」に世間の批判

これは毎日が警視庁の捜査を追った結果なのですが、ハレーションの大きいことでした。毎日の取材陣は共産党との対比で次第に苦境に立たされることになります。

この辺の雰囲気は、毎日の取材陣をモデルにした井上靖氏の小説「くろい潮」を読むと感じ取ることができます。
いつもはブルジョア新聞の筆頭として左翼からたたかれているのに、街頭に貼られたアジビラは他社を攻撃するものばかりです。それを見た主人公の記者は感慨にふけると同時に、社の内外から「毎日(小説の中ではK新聞)の取材陣が左翼で固められている」と批判が寄せられていることを改めて思い知らされるという場面が描かれています。
毎日の社史を見ると、実際に同様な声が社内からも上がったと記されています。

こうした批判は警視庁に対しても同じでした。捜査が次第に自殺に傾いてくると、有形無形の圧力が掛かってくるのです(新聞報道も圧力の一つです)。
警視庁は捜査を重ね、批判があるのを承知しながら(公表はできませんでしたが)自殺の結論を出すに至ります。毎日も警視庁の捜査を追って自殺の結論に行き着くのでした。

自殺で落ち着いたからといって誰も褒めてくれません。そういう世相だったのです。
にもかかわらず、「自殺」の結論を出したのは、事実を追い求めた結果だと思います。(その経過は徐々に明らかにします)

時代背景の把握必要

時代背景で忘れてならないのは、上下関係が絶対的な全体主義の時代から、まださほどの時間がたっていないことです。「権威」と言われる人の力は、今の若い人が想像もできないほど絶大でした。
「権威」も絡んだ対立軸。下山事件は非常にねじくれた状況に陥っていき、今になって振り返っても、なかなか真実にたどり着きにくくなりました。

現代人の感覚からは推し量ることのできない時代背景。事件の本筋を理解する上で必ず頭の隅に入れておかねばならないと思います。

第Ⅰ章2につづく)


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