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下山事件にみる歴史のねじ曲げ方 プロローグ4

荒唐無稽を覆い隠す言葉

前回は「NHKスペシャル未解決事件File.10下山事件」で、GHQ参謀第2部(G2)傘下のCIC(対敵諜報部隊)関係者Fが残した発言について考えました。

占領軍は絶対権力

Fの発言メモには「総裁が共産主義に加担しないか疑って(CICが)尋問した」とあるというのですから、Fが犯人と仮定すると、殺害動機は「総裁がGHQの方針に従わないかもしれない」ということに関連しているでしょう。

しかし、GHQは占領軍ですので、絶対的な権力を持っていました。やる気になれば、日本の法規など無視することさえできる立場です。
もし、総裁に少しでも怪しい点があるなら、即座に首をすげ替えることなど、法規を無視しなくても簡単にできます。わざわざ暗殺する必要など、どこにあるのでしょう。
(実際、この年から翌年にかけ、レッドパージで共産主義者が強制的に職を追われています。新憲法に抵触する恐れの強いこともGHQの指示があれば簡単にやれるのです)

動機が弱いのが他殺説の欠陥

当初から動機が弱いのが他殺説の欠陥とされてきました。初めは共産党犯行説が有力だったのに、途中から米国の謀略説が出てきたのも、そんな背景があったからだと思います。
謀略という言葉は、つじつまが合わないことも飲み込んでしまう魔力があるようです。ちょっとくらい理屈が通っていなくても「米国の謀略」と言えば、聞いた方は何となく「そんなこともあるのかな」くらいに思ってしまうでしょう。
大作家の松本清張氏が1960(昭和35)年の文藝春秋1月号に「日本の黒い霧――下山総裁謀殺論」を発表して以来、謀略説がもはや下山事件の“定説”にさえなっています。

しかし、謀略を示す証拠はあるのでしょうか。松本氏の「謀殺論」は最初から最後まで推測表現で書き、最後には「以上の推定は私の『推理小説』的推定である」とまで断っています。

謀略をするなら参謀第2部(G2)かその傘下組織が主体になるのでしょうが、後世に明らかになった、その内部文書はむしろ、たまたま起きた自殺事案を無理やり殺人事件にしようとした形跡が見えるのです。この点については、そのうち書きます。
 

言い訳

「戦後最大の謎」
他殺説の人たちが使う言葉です。NHKの番組も例外ではありませんでした。
「謎」なのは他殺と考えるからです。他殺なら犯人は誰だと結論が出ない限り、謎であり続けます。謎が謎を呼び、推論はどんどん複雑になっていきます。

番組は主人公の布施健検事に「この事件は、さまざまな人物たちが自分たちの思惑で動いていた。だから、ここまで複雑になってしまったんじゃないか」と語らせていました。
そういう言葉をどこかで盛り込まないと、ストーリーの荒唐無稽さを覆い隠せないのだと考えています。事実、他殺説の主張は、どこかでそうしたエクスキューズ(※1)を盛り込んでいることが多いような気がします。

金で売りつけた情報

ちなみに、F主犯説を唱えた情報屋Mは検察の捜査で「Sという人物が事件当日、下山総裁を呼び出した」と名指ししています。松本清張氏らが参加する下山事件研究会というところが、MとSを対決させようと研究会に出席する約束を2回取りつけました。しかし、2回ともSが来たのにMは来なかったということです。事務局長の佐藤一氏(※2)が書き残しています。

金で売りつけてきた情報を信用できると思いますか。新聞記者は識者談話や依頼原稿など一部の例外を除き、取材謝礼は絶対に払いません。金銭の受け渡しがあった時点で、その情報の信用性は低くなってしまうものなのです。
Fが事件に関わっていることはないと思います。
 
次回は、別の情報屋の話です。

※1.エクスキューズ

NHKの場合「米国の謀略に日本の旧軍関係者が実行犯として使われた」という見立てでドラマが進みました。旧軍関係者は自らが捕まりたくないという理由と、もう一つ「自分たちが捕まると日本の再軍備のブレーキになる」という理由で(自殺と見せかけるために自分たちの独断で)下山総裁の替え玉を現場近くに歩かせたことになっていました。だから、布施検事に語らせた「複雑」のエクスキューズが必要となったのです。ちなみに総裁失踪が大変な事態なのは言うまでもないことで、警視庁は午後2時過ぎから警察署などに手配して行方を追っています。NHKは午後5時過ぎに失踪のニュースをラジオ(当時唯一の放送メディア)で伝えました。仮に拉致した犯人が居たのなら、そうした騒ぎになるのはあらかじめ想定できたはずです。替え玉を歩かせることは「捕まえてくれ」と自らアピールしているようなものです。
 

※2.佐藤一氏

1921(大正10)年生まれ。高等小学校卒業後、東京芝浦電気(現東芝)などで働く工場労働者となりました。兵役・復員後、東芝鶴見工場で労働組合活動に入り、下山事件の40日余り後(1949年8月17日)に起きた松川事件(列車転覆事件)の容疑者として逮捕・起訴されて一、二審は死刑判決。差し戻し審で無罪となり、63年に確定。64年12月~69年5月、下山事件研究会の事務局長を務め、その後も独自に調査を続けて76年に「自殺」が結論の集大成「下山事件全研究」を出版しました。その後も謀略論の矛盾を突く本など多数の著作を著しています。2009(平成21)年死去。享年87。

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プロローグ5につづく)

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