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下山事件にみる歴史のねじ曲げ方 プロローグ11

掲載を見送るべき「よた情報」

前回は「盗まれた調書のミステリー」が実はミステリーではない、ということを書きました。
「NHKスペシャル未解決事件File.10下山事件」は、GHQが検察事務官から調書を強奪してRの供述内容を確かめていたという設定でドラマを展開しました。
言いたいことはありますが、評価は皆様に委ねます。

供述にぼろ

今回は、Rの供述がどう扱われたのかを見ていきます。
布施健検事がRの調書について、1979(昭和54)年7月6日のサンケイ新聞で振り返っているのは既に書いた通りです。
この中で布施検事はこう述べています。
「事情聴取している間に東京へ手配して裏付け捜査をしたら供述のボロが出てきた」
 前後の状況から判断すると、Rの強制送還をGHQに待ってもらったうえで巻いた50(昭和25)年3月30日の調書のことを言っているのだと思います。

例えば、Rは「モスクワ共産大学卒」と供述しましたが、在学しているはずの時期は日本で服役中でした。前科も4犯あると分かりました。
こうなると、供述の大前提となる「ソ連大使館員」というのも怪しくなります。
布施検事は「(ソ連に)確かめたくても当時の状況じゃどうにもならなかったが、たぶんそれ(大使館員)もうそでしょう」と語っています。

強制送還を逃れるためのうそ

決定的だったというのが「殺害された下山総裁の写真」でした。
黒いゴム袋に下山総裁が頭だけを出して詰められている写真がRの自宅にありました。調べると、知人に頼んで作った合成写真だと分かったということです。
東京地検はさらなる追及を必要とせず、Rは間もなく強制送還されました。
Rがこれほど大がかりなうそをついた理由について、布施検事は「強制送還を何とか逃れたい一心からだったのではないだろうか」と推理しています。

朝日新聞を見て否定?

NHKの描き方はどうだったでしょうか。
既に引用したように
「検察がRを捜査する新聞記事が世に出たことをきっかけに、供述の信ぴょう性が揺らぐことになる」
としました。
そして、Wという人物(資料とサンケイ記事を総合すると、合成写真を作った人物と思われます)を登場させ、取り調べの翌日、Rの供述を全面否定したと展開します。
 
番組では、Wが新聞を見て自発的に否定しに来たという印象の調書が読み上げられましたが、実際のところは検察が裏取りのためWを呼び出したのでしょう。さまざまな裏取り捜査のうちの一つだと思います。

食い違うストーリー

ところで、Wの「証言」で気になることがありました。
放映第1日のドラマ編と第2日のドキュメンタリー編で、Rのストーリーがどう作られたのかが違っていたのです。
ドラマ編は「アメリカがでっち上げたストーリー」。ドキュメンタリー編は「本人が本や雑誌などからいろいろの情報を収集して作り上げたでたらめな事実」でした。
どうしてこんなことになったのか理解に苦しみます。ドラマの方は少しくらい事実関係が甘くてもいいということのように思えてしまいます。理由の説明がなければ、そんなふうに勘繰られても仕方がないでしょう。

検事正「9割まで関係ない」

だいたい、Wが見たというのは朝日新聞で、その内容は既に書いた通りRについて「信用できない」というエクスキューズを盛り込んでありました。
 
朝日はRが強制送還になる直前の4月5日、「布施検事が4日に九州から帰京。検事正に結果を報告した」として続報を出しています。「事実と食い違う供述が多く、あと2、3の裏付けをして捜査を終える」という内容でした。最後に「(Rは今の段階で)9割まで事件に関係ない」という検事正コメントが付いています。

現在の新聞なら、初報の段階から掲載を見送るべき「よた情報」だったと思います。

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プロローグ12につづく)

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