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下山事件にみる歴史のねじ曲げ方 第Ⅰ章3
昭和の事件報道の実態
新聞記者になり、地方支局に配属されて数日後のことでした。
時代は昭和。駆け出しの記者はサツ回りというのがお決まりで、赴任その日から一人の記者として現場に放り込まれました。「新人だから」という言い訳は一切通用しない世界でした。
事件取材はセンス
いつものように(といっても数回目のことですが)県庁所在地の中央署の刑事部屋に行くと、刑事官(一課長、二課長などの上に居る刑事の指揮官)が拳銃ホルダーを左脇の所に装着して自席に座っていました。
「おやっ」という気はしましたが、普段と何も変わらない会話をして部屋を後にしました。
赴任1カ月後だったら、このサインは見逃さなかったでしょう。
刑事部屋で拳銃を提げている意味は何か。あらゆる可能性を踏まえ、矢継ぎ早に刑事官を問い詰めていったと思います。
私が署に顔を出す前、地元の有力な暴力団事務所にガサを打っていたことが後で分かりました。記憶がはっきりしませんが、現地版の社会面に載るような事件だったような気がします。
恐らく刑事官はガサから戻っても、わざと拳銃を外さず、新人記者の値踏みをしていたのだと思います。そうした経験を重ね、警察官の(意味あることは何も言わないような)言動から事件の筋が読めるようになった時、事件記者は一人前になります。
実は、それは新人もベテランも関係ありません。事件に恵まれれば新人でも会得できますし、警視庁回り10年のベテランでもできない人は居ます。そして一生できないまま終わる記者は意外に多いのです。
事件取材は「どんな経歴があるか」などは関係なく、センス(経験に裏打ちされた適切な判断力)がものを言う世界です。
「えっ?」という記事
だから、事件の報道はセンスある記者が居る1、2社が先行し、あとの社は必死に後追いするしかない、ということがごく当たり前に起きます。
後追いばかりしていると体面がなくなりますので、後追いする記者(あるいは社)は「えっ?」と思うような記事を書いてくることがあります。
特に大事件は記事を連日書き続けねばならないという“暗黙の決まり”がありましたので、「えっ?」が頻発することになります。
残念ながら、それが昭和の事件記事の実態でした。
下山事件が起きたのは、憲法に「プレスの自由」がうたわれたばかりの頃です。政府や軍部をはじめ権力側の顔色をうかがいながら記事を書いていた時代から解き放たれ、「えっ?」という記事が出現する可能性が一層高くなっていたと思います。
平成後期や令和と違い、日本人の「功名心」がかなり大きい時代でした。「功名心」を念頭に以上のようなことを頭に描いていただければ、私の言っていることが事実であると感じてもらえると思います。
事件は新聞記事で語れない
なぜ、身内の恥をさらすようなことを書くかといえば、事件を語る上で、新聞記事を無批判に引用することはできない、ということを言いたかったためです。何が本当で何が怪しいのか、十分に考える必要があります。
(実際、下山事件の新聞記事を読んでいただきたいのですが、「怪しい」という目で見ると怪しい記事がいっぱいあります。自動車免許の試験を受ける際、大概の人は「いかなる時も○○しなくてはいけない」といった表現があれば迷わず×を付けるテクニックを身に付けると思います。そんな×を付けるような表現で満ちています。「科学捜査の二課」もその一つでしょう)
報道はばらばらのまま
大概の事件は発生当初、社によってばらばらな報道が続きますが、次第に一つの方向にまとまっていくものです。
「えっ?」という記事を書いていた社も、他社に本筋の記事が載れば後追いせざるを得ないからです。
しかし、下山事件はGHQの意向が絡み、警視庁の捜査があらぬ結末を迎え、本筋は水面下に押し込められてしまいました。
本筋がないのですから、各社が振り上げた拳は降ろす必要がなく、ばらばらの報道が延々と続くことになりました。
そうした背景があることを頭に入れながら、当時の捜査を見ていただきたいと思います。
(第Ⅰ章4につづく)
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