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下山事件にみる歴史のねじ曲げ方 プロローグ7

「ミステリー」の調書

前回は「NHKスペシャル未解決事件File.10下山事件」で登場したR(番組中実名)という人物が、果たして実名に耐え得るのかという視点で書きました。
今回からは、取り調べの経過を述べていきます。

GHQに提出された地検の報告書

1950(昭和25)年3月17日、東京地検の馬場義続次席と布施健・担当検事がGHQ宛てにRについて報告書を提出しています。GHQの担当者からホイットニー民生局長に宛てた同日付の覚書に、その経緯が書いてあります。
 
覚書によると、検察がRと最初に関わったのは、警視庁捜査本部が「下山総裁は自殺だ」と結論づけた後の1949(昭和24)年8月20日ごろです。馬場次席宛てにRから、下山事件について面会を求める手紙が届きました。事件発生からは2カ月足らずの頃になります。

Rは参謀第2部(G2)傘下のCIC(対敵諜報部隊)に占領軍作戦命令違反で逮捕(※)され、小菅刑務所(拘置所)=葛飾区=に勾留されていました。

本人から接触

布施検事は馬場次席に命じられ、8月22日に拘置所でRに会っているようですが「信頼できる情報ではない」と判断したと覚書に書いてあります。

翌50年2月10日、移管先の小倉刑務所(今の北九州市)の所長から布施検事宛てにRが再度の面会を求めていると連絡がありました。
布施検事は(恐らく会う必要がないと考えたからだと思いますが)「(何か言いたいことがあるなら)直接手紙をよこせ」と所長を通じてRに伝えたところ、本人が2月20日付の手紙を送ってきたようです。

「ソ連の仕業」という内容

覚書はこう書きます。
「その内容から面会することが望ましいと(布施検事が)判断した」

約半年でどういう変化があったのか分かりませんが、NHKは2度目の手紙について検察事務官のセリフで「総裁暗殺はソ連の仕業だと書いてある」と説明していました。ソ連の名が出てきて「一応は事情を聴いた方がいい」と判断したのかもしれません。
 
こうして「事件はソ連の仕業だ」という趣旨でRの調書が3月6日、小倉で巻かれました。その英語訳が覚書に載っています。さらに調書の「コピー」も添付した、と覚書に書いてあります。
 
日本の国会図書館にあるマイクロフィルムに、調書が覚書と共に映っています。調書は16ページ(用紙を二つ折りにしてノート型にとじるので、用紙としては8枚)。詳しい内容は次回に載せますが、「自分はソ連大使館に勤めていたので下山事件について知っている」という立場で事件について供述しています。
この調書は東京まで帰る列車の中で盗まれ、「ミステリー」の調書として語られてきました。

※占領軍作戦命令違反で逮捕

罪名はサンケイ新聞による。逮捕事実(逮捕に相当する言動。いつ、誰に、何をしたのか、といったようなこと)は確かめようがありません。サンケイによると「下山事件で偽情報を流した」。初出の朝日では「CIC職員の詐称」。まあ、Rが詐欺的な情報を操ったという点では一致しています。他にもいろいろな逮捕事実を記している書物が存在しますが、裏づける資料は見当たりません(A紙Y記者の書いたことが無批判に形を変えて広がっている印象です)。
 

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プロローグ8につづく)


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