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下山事件にみる歴史のねじ曲げ方 プロローグ6
初出は朝日新聞
前回は「NHKスペシャル未解決事件File.10下山事件」で、Rという人物の描き方に違和感を持った話をしました。
すっきりしない記事
前回も書いたように、Rの名は事件から8カ月余り後の1950(昭和25)年3月25日の朝日新聞に登場します。
検察が捜査対象にしているという趣旨の記事なのですが、内容がどうもすっきりしません。
こんな感じです。
「Rが検事に告白しているという一連の内容は、もしそれが真実であるとすれば捜査の発展について有力材料となるものとみられている。しかし同人の性格、素性、告白の真実性についてなお慎重な再検討を要する点を発見」(記事中でRは実名。以下同様)
記事にRの供述内容は見当たりません。記事本文もすっきりしませんが、最後にRが収監されている刑務所の職員の次のようなコメントまで付けてあります。
「私としては彼の言には疑問の点が多い」
このコメントは、続けてRの精神的な病歴にまで言及しています。
検事が「供述は信用できない」
恐らく朝日の記者が取材源の検事から「当てにならない供述だ」と聞いていたと思います。しかし、特ダネなので、コメントなどで逃げを打ちながら記事にしたのではないかと想像します(下山事件担当の布施健検事はR聴取の最中に早々と「供述は信用できない」と判断したことを後にサンケイ〈現産経〉新聞で明らかにしています)。
NHKの番組がまるで自分たちの特ダネのような表現を使いRを登場させたことは前回に書きました。登場した後は、こう続きます。
「検察がRを捜査する新聞記事が世に出たことをきっかけに、Rの供述の信ぴょう性が揺らぐことになる」
視聴者が集中して見ていたら、「Rのことは新聞で世間に知らされた」「どうも信用できない人物だったようだ」と気付くという番組の算段なのかもしれませんが、NHKが存在を暴き出したような表現を使う必要があったのかどうか、やはり疑問が残ります。
第一、朝日の記事そのものがR情報の信ぴょう性に疑問を呈しているのに、「記事が世に出たことをきっかけに信ぴょう性が揺らぐ」では事実とつじつまが合いません。
実名で書けない人物
朝日新聞のニュアンスを感じていただければ分かるように、客観的事実だけを見ていけば、Rの供述はとても実名で書けるような内容ではありません。
今の時代にあえてRを実名で出してきたNHK。顔写真まで何度も大映しにしていました。
「大丈夫なのかな?」
記者経験のある人間の素朴な感想です。
シリーズ第1弾はこちら ↓
(プロローグ7につづく)