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下山事件にみる歴史のねじ曲げ方 プロローグ16
キャノン少佐と接点
「NHKスペシャル未解決事件File.10下山事件」は、これまで書いてきたように米国の謀略説を取っているようです。
キャノン機関に情報渡す?
占領下の謀略と言えば「キャノン機関」を思い出す人も多いでしょう。
その存在が一般に知られたのは下山事件から3年以上がたってからでした。日本人作家拉致事件が発覚し、解放された作家が「米軍人にさらわれた」と話したのをきっかけに報道が広がることになりました。
G2所属のジャック・キャノン少佐が機関長を務め、水面下で反共工作をしていたとされます。
これまで週刊誌などでさまざまなストーリーが語られてきましたが、かなりの部分が真偽不明です。
占領下の謀略を一手に引き受けていたような印象で語られる時もあれば、「諜報の能力は低かった」と言う人も居ます。
NHKによると、前回まで取り上げてきたRという人物が、機関員のビクター・マツイに諜報の結果を渡していたのだといいます(※1)
思わせぶりな展開
そして、謀略説を強調するため(としか思えない)、こう視聴者を導きます。
「今回、アメリカの公文書館で(Rとマツイ機関員、キャノン少佐の)3人がつながっていたことを示す決定的な文書を発見した」
それが前回に見たGHQ参謀第2部(G2)内部連絡用の覚書です。キャノン少佐自らが書いたものだそうです。
番組は
「キャノンとマツイがRの能力を見込んで利用していたという記録が残されていた」
「キャノンは、Rが新聞記事や噂を基に極めて信頼性が高く興味深い報告書を作ることができると評価していた」
などと描いていき、「Rはアメリカが利用する二重スパイだったことが明らかになったのだ」と続けます。
そして、意味ありげに、こうアナウンスします。
「しかし、Rとキャノンが下山事件の前に接触していたという記述は削除されていた」
以上の部分は、前回にA、Bに分けた覚書のうちB文書に沿った内容(※2)になります。
「過去に防諜の対象」
前回は触れませんでしたが、Bの冒頭の方に、こんなことが書いてあります。
「日本の新聞は対象者(Rのこと)に深い関心を寄せており、過去に防諜の対象となっていたRに幅広い注目が集まるかもしれない」
「日本の新聞」とは、東京地検がRを捜査対象にしているという記事を出した朝日のことでしょう。
だとすると、B文書の日付は、朝日に記事が出た50年3月25日以降だということになります。
A文書は2月16日付でしたので、Bの方がだいぶ後に書かれていることが分かります。
日付が分かると見えることも出てきます。次回に触れます。
過去の説に引きずられた?
それにしても、前回を思い出してください。
Rは下山事件の前年の夏の終わりごろ、「初めて」東京第25地区CICに情報提供者として利用(NHKはB文書を根拠としているようですので、「雇う」ではない)されました。「次に」同CICに現れたのは(時期不明ですが)逮捕歴などを考えると49年前半ごろです。偽名を名乗らなければならないような身でネタを売り込みに来たのでした。
そんな状況なのに「二重スパイ」って断定できるのか、素朴な疑問が湧きます。
しかも、B文書では「防諜の対象」にされています。それってスパイとは真逆の言葉ではないですか。
ちなみにRは昔から他殺説の中で「二重スパイ」として語られてきた人物です。NHKスペシャルで初めて「二重スパイ」と指摘されたわけではありません。
「過去の説に引きずられたのではないか」
そんな印象が残ってしまいます。
次回はB文書を精査していきます。
※1.ビクター・マツイに諜報結果を渡す
そう話している日本人が居るという捜査報告書がNHKの画面に映りました。その報告書によると、49年6月ごろ、Rが別の用事で横浜CICに行き、それをきっかけに松井准尉(ビクター・マツイ)へ書類を渡すようになったということです(GHQ覚書にあった25地区CICとの接点とは時期が違います)。Rの話は信頼できるのか、松井准尉が報告書の情報源の自宅へ確かめに来た、という記述もあります。Rは千葉のCICにも出入りし、「ソ連からの通達文」などを自分で書いて(捏造して)CICに渡していたというようなことも書いてあります。サンケイ新聞には「千葉CICの少佐にかわいがられ、ソ連関係の情報を流し重用されていたことが警察当局の調べで分かっている」という記述があります。二重スパイだったかどうかはさて置き、さまざまな所へネタを売り込む情報屋であったことは確かなようです。
※2.B文書の内容
NHKは、キャノン機関とRの接点を示す根拠文書の作成日について「布施検事がRを取り調べる半月前だった」としてA文書の方の「2月16日」をアナウンスしていました。A文書にもキャノンがRを「確認」した記述はありますが、新聞記事や噂を基に報告書を作る記述や、「確認」の削除などはBにしかありません。当該文書の作成日を「2月16日」とするのは疑問です。うがった見方をすると、日本の検察が捜査に着手したので、慌てて面接の事実を削除したように視聴者の印象を誘導する意図があったのではないかとさえ思えてしまいます。その辺の疑問に応えるために、NHKが入手したAとBの覚書、それに「記録メモ」。何としても、しかるべき筋で全てを公開していただきたいと願っています。
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(プロローグ16につづく)