やめられないとまらない。かっぱえびせん創作秘話②
昭和39年。かっぱえびせん発売。
インターネットで調べると、かっぱえびせんは昭和39年1月1日発売となっている。
欽ちゃん(日高欽治さん)に、
「CM作ったのっていつ頃だった?」
と聞くと、
「んー」
と考えてから、
指で五本指と二本指を重ねて私に見せた。
「7月?暑かったでしょう、銀座のど真ん中の大広のビル。東京オリンピックの年じゃん。」
先日、欽ちゃんと、スバル座で映画の「あまのがわ」を観て、鹿児島遊楽館に移動する時に、
「大広、この辺にあったんだよ。」と聞いた私がそういうと、欽ちゃんは言った。
「エアコンあったからねぇ。」
家庭用クーラーが普及し始めたのは、
昭和41年だそうなので、
職場は、さぞ快適だっただろう。
当時の欽ちゃんの勤務先は、大手広告代理店の大広だ。
この昭和39年に、Calbeeの創設者、松尾社長ご本人が、欽ちゃんの勤務先のスタジオに直接いらして、欽ちゃんと話をしたそうな。
前に、欽ちゃんは、当時の話を懐かしそうに、そしてとても嬉しそうに話してくれた。
「松尾社長がね、言うんだよ。"あんなの空気運んでるようなもんだから、関東の近くに工場がないとさ"って。」
「あはははは、確かに、かっぱえびせん軽いもんね。」
当時、Calbeeは広島に本社があった。
松尾社長は、自ら、かっぱえびせんを関東に普及させるべく、工場の候補地を探しに関東に来られたんだそうな。
その話をご本人から直接聞いてる欽ちゃんもスゴいなー…生き字引じゃん…と私は思った。
でも、証拠は無いのだ。二人きりだったらしい。
あの名フレーズが生まれた瞬間
大広のスタジオで、欽ちゃんは、キャッチコピーを考えていたらしい。
松尾社長と会う前か、後かは、聞いてないから、今度聞いときます。
とにかく、欽ちゃんの話を聞いて、昔、雑誌の記事にしてくれた方も居る。私は雑誌のコピーを受け取っている。
その記事と、欽ちゃんの話によると、
「食べながら、キャッチコピーを考えててね。一袋食べ終わって、もう一袋に手がのびたんだよ。気がついたら二袋目を開けていて。"これ、やめられないな"と。」
「わー!それで、"やめられない、とまらない"?!」
「そう。」
顔をほころばせながら、欽ちゃんが笑う。
フレーズの神が降りてきた瞬間だ。
コピーライターや、作詞家なら、この感覚、理解できるはず。
こうやって、日本を代表する名CM、名クリエイターによる作品は生まれたのだ。
クリエイティブという単語
冒頭の写真は、後に、欽ちゃんが立ち上げた会社「クリエイティブオフィスZ」の年賀状。
昭和53年の物だ。
かっぱえびせんのCMがヒットした事で、欽ちゃんはクリエイターとして、確固たる地位を築き、
クリエイティブオフィスを営んでいた。
私が、この年賀状を写真に撮ると、欽ちゃんはこう言った。
「当時、クリエイティブって単語を使ったのは僕が最初でね。」
「かもね!昭和の時代にクリエイティブなんて、なかなか言わなかったよね。」
「今でこそ、クリエイティブって普通になってきたけどね。」
「そういえば、大泉洋さんの事務所、クリエイティブキューだなぁ。なんでキュー(Q)なんだろ。」
「僕は、ドンケツのゼット(Z)から始めるって意味でつけたんだけどね。」
「最初はビリでも良いもんね。良い名前ですねぇ。」
人生は、ビリから初めても良いんだ。
ゴールはまだまだ先にある。
そう思った、2019年6月6日の欽ちゃんとの話。
続きはスキとフォロー増えたらまた書きます!