やめられないとまらない。かっぱえびせん創作秘話①
2018年4月4日。作者と出逢う。
私が通っていたネイルサロンが新宿御苑にある。
サロン終わりに、フラッと立ち寄った鹿児島料理の立ち飲み屋に、その男性は居た。
何やら印刷された資料を出して、その店のオーナーとカウンター席で話をしていた。
私は、「鹿児島出身なんですよー」とお店の女の子と話ながら、オーナーも同郷である事を知った。
オーナーと話している男性は、資料を片手に憤慨していた。
何やら、裁判の判決に納得いかない、との話が聞こえたので、
私は、飲みの席なのを良いことに話しかけた。
「何々、どうしたんですかー?」
「僕はね、今、戦ってるんだ。」
色んな人に知ってもらいたい事実があるのだろう、というのは、話を横聞きしていたので分かっていた。
見せて貰った資料を、簡単にまとめると、
・「やめられないとまらない」というフレーズを作った日高欽治さんが、カルビーの社内報に作者として載せるという約束を無きものにされた、と、カルビーに対して訴訟した。
・カルビー曰く、CMソングの権利は別な会社が持ってるので、訴えるならそちらの会社にしてよ。的な事を言っている。
結論としては、敗訴どころか、訴訟のテーブルにも乗らない却下の状態であった。
日高欽治さん、御年80歳。
狭い10席ほどの、カウンター席だけの簡易的な椅子だけの立ち飲み屋。
こんなところに、あの有名なCMソングの作者がいるなんて、誰が思うだろうか。
この頃、私は、18年ぶりに芸能界に復帰したばかりで、私がテレビに出ていた事など誰も覚えていない、そんな時期を過ごしていた。
日高欽治さんの気持ちは、余りあるほどに理解できた。
「誰も信じてくれないなんてヒドイ話ですね。」
「そうなんだよ。実際に作ったの僕なのにね。証人もたくさんいるんだよ。」
「裁判だと、物的証拠が必要ですもんね。」
私は、判決文のカルビー側の用意した弁護人がズラッと並んでいるのを見て、どれ程にこの裁判をカルビーが受け付ける気が無いのかを理解した。
対する日高欽治さんは、弁護士も付けずに訴訟している。
勝てるわけがない。
そして、この後に来た某放送局のディレクターが、
その資料を見て、
「このまま、引き延ばして、年寄りが死ぬのを待ってんだろ。」
と、言ったので、今度は私も憤慨した。
人が死ぬのを心待ちにしている人間が居るのが許せないのだ。
私の立場上は、カルビーとか電通とか、本当は絶対に敵に回してはいけないのだけれど、
どうせ、誰も私の事なんか知らないし、いいや、と、日高欽治さんの味方をする事にした。
ただ、目の前に居る人を大切に、
残りの人生が幸せであるように、
私に出来ることを、精一杯やろうと決めていたからだ。
なので、私は歌手として、あの有名なフレーズを、作者ご本人と一緒に歌って、それをSNSにアップした。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1700125440054727&id=100001718611880
ちなみに、当初のメロディーは作曲家の小川よしあきさんにお願いしたそうな。
現在、権利は、かの有名な会社が保有している。
2019年6月5日。まだ欽ちゃんは戦っている。
冒頭の写真は、この日のもの。
たまに一緒に飲むのだけれども、1年経って、私も色々とお世話になったし、色んな方もご紹介頂いたので、
私は恩返しとして、筆を取ることにした。
ただ、欽ちゃんの怒りの矛先と、先方の不安や恐れなどには、相当な誤解と行き違いがある事を、私は理解している。
続きはまた明日→かっぱえびせん創作秘話②