なんでコオロギ
なんでコオロギなんやろ…。
でもなー。
学校はあかんと思うわー。
次世代実験場。
誤解、って…。論点がおかしい。
「子供に虫を食べさせるな」という苦情のどこに誤解の生じる隙があるというのだろうか。
栄養や味云々以前に、単純に「虫キモい」「虫いやや」って苦情やん。
というか。
これまで、大多数の人はコオロギを食べたくなるほど自分の栄養管理に興味があったのでしょうか?と問いたい。
ちゃんとしている人も当然たくさんいらっしゃいます。
でも、何となくの「勘どころ」でその日の献立を決めている人の方が圧倒的に多いと思うんですが。
要は、「野菜を多めに」「タンパク質はお豆腐でいいか」「昨日は肉だったから今日は魚にしようかな」…という程度じゃない?正直なところ。
で、それでとりあえず問題なく生きている。少なくとも私はそうだよ。
なのに、なんでいきなり「タンパク質がー!栄養がー!自環境がー!」とか一斉に始まるん?と思ったら。
とーても都合よく、コオロギ醤油やら、コオロギパンやら、いろんなコオロギフーズがタイミングよく出揃ってくるんや…と、もはや微笑ましい。
ってことで。
コオロギは農水省で
■農業用機械や農業用施設の導入に対する補助金
■農業経営基盤強化準備制度や低金利融資
と、こんな感じの助成金出てるらしいので、コオロギ産業は一気に活性化。
とりあえず、これで「いきなりコオロギ」の謎の一部は解明された、のか?。
おそらく、細かく調べれば他にも遠回しに助成金出る仕組みがあるクサイな…と思うんやけど、面倒なのでやめておく。
で、最近。世界的にSDG'sの大旋風が巻き起こっていますが、私的には「微笑みをたたえながらやってくる耳触りの良いワールドワイドな言葉は要注意」というスタンスなので。
変だな…と思うことは「ほんとうにそうか」確信できるまで調べるようにしています。
個人的には、食糧難とコオロギは飛躍しすぎ。
どう考えてもおかしくない?
冷静に考えて、これまで普通に食べてきた「食品」や、それに関わる「生産」「製造」に対してアプローチする方が自然やし道理やし、簡単やと思う。
あるいは日本なら、消費期限や大量消費や廃棄問題とか。
「あるもの」から着手していくほうが、よほど今の問題を解決できるし、救える人や環境も多いと思うねんけど。
コオロギ、育てる設備もそこから出る廃棄物問題も、今の環境問題に上乗せするんかな。
せめてイナゴではあかんのかな…。
イナゴは害虫とされていますが、害と捉えるのは人間サイドの話なので、毒虫ってわけでない。
稲だけ食べる草食系のイナゴの成分は、比較的きれいめだと思う。
現に、聖書にもイナゴを食べる記述があるように、昔からイナゴは「食べられる虫」として認識されている、ということです。
イナゴの佃煮は食文化として継承されていますしね。
対するコオロギは、というと。
枯葉や小昆虫の死骸から、人間の生ゴミ(汚物)やアリやダニけでなく、共喰いもする雑食性。食から察するに成分としては毒(雑菌多め)系です。
こちらも太古より存在しているはずですが、先人より食用としての文化が継承されていないところをみると、そういうことでしょう。
食べていいのなら、コオロギの佃煮があってしかるべき。
あー。まあこれ関係あるかないかわからんけど、最後に一応メモとして。
「さらなるエビデンスが必要であることを強調しておく」って内閣府が言うてる。
エビデンス…か…。
やっぱ実験…。
「食べたい」と「食べてもいい」と「食べなければならない」は全く別次元の話かと。
そして「食用はちゃんと衛生管理しているから大丈夫」というのもまた、別次元の話ではないかと。
世界規模のコオロギ推し。
食べたい人は食べる権利を、食べたくない人は食べない権利を、ぜひ。
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