テツ分補給に。
野田隆『テツはこう乗る―鉄ちゃん気分の鉄道旅』(光文社新書、2006年。)
ステイホームと言われ続け、なんとなく遠出もしにくい昨今。シリーズ「お家で旅を」の第三弾として本書を手に取ってみました。
鉄道の愛好家の方々―いわゆる、「テツ」や「鉄ちゃん」―は、日々どのように鉄道を楽しんでいるのか。それをテツの目から徹底的に、そして、一般人にもわかりやすく解説した、テツ入門ともいえる本です。
どんな人にも、鉄道を愛する気持ち―テツ分―がある。それが作者の掲げる大前提です。とりあえず、この前提の是非は擱くとして、僕は好きなんですよね、鉄道。詳しくはないですが、のんびり電車に揺られ、幕の内弁当のおかずなんぞをつまみに缶ビールを開ける。最高の旅の形だと思っています。コロナのために公共交通機関が今後忌避されることになったら、やっぱり少し寂しい。
汽笛一声新橋を―
鉄道唱歌に歌われる旅情を失いたくはないなぁと思うのです。
さて、テツはこう乗る、というタイトル通り、この本はテツの方々が日々の生活の中でいかに鉄道というものを多面的に楽しんでいるかが喜々としてつづられています。笑ったのはこの下り。少し長いですが、この本の熱量を余すことなく伝えているところなので引用します。「テツは列車に乗れないときは妄想に耽る」という個所です。
妄想の第一は、自分が車になりきるということだ。いつも乗っているクルマや自転車を電車や機関車に見立てて、あたかも線路上を走っているようなつもりで運転するのだ。指さし点呼をし、「ハンドルよし、ブレーキよし、ワイパーよし」といってみる。一秒の狂いもなくセットした時計を見ながら、「出発進行、定時」と運転士の口調になって、七時二〇分〇秒にゆっくりと発信。「制限三五、第四閉塞進行」とつぶやきながらだんだんとスピードを上げていく。(p.41)
いやいや、俺はテツだけどこんなことしてないし、というテツの方もきっと多いでしょう。この際それは擱くとして、電車に乗れない時は脳内妄想で楽しむ、いや、楽しめるというこの下りはスゴイ。ここまでくると茶道や柔道などに並ぶ「テツ道」という神々しささえ感じます。
このほかにも「テツにだけ聴こえてくる音がある」や「テツはジョイント音にむせび泣く」、「テツは乗ってきた列車に一礼する」など、小見出しを眺めているだけで、テツの底知れぬ深遠さを垣間見ることができます。
作者によりますと、テツには大きく分けて四種類あるそうで「乗りテツ」、「撮りテツ」、「収集テツ」、「模型テツ」に分かれるそうです。僕としては、このほかにも「読みテツ」(鉄道に関するあらゆる本を愛読する人)や「食べテツ」(駅弁をはじめとした鉄道にまつわる食を愛する人)、「呑みテツ」(六角精児さんがBS-NHKでやってるように、鉄道に乗りながら酒を呑むことを愛する人)などもいるのかなと思います。
四分類をした中でも、さらに細かくわかわれているのだろうなと思います。撮りテツでも音を収録して楽しむ方もいるでしょうし、収集テツも、コレクションの中身はかなり細分化されていそうです。このあたりも流派や宗派に通じるものがあり、テツ道と宗教の類似性を感じさせます。そういえば、泉和夫『駅弁掛紙の旅―掛紙から読む明治~昭和の駅と町』(交通新聞社新書、2017年。)なんかは駅弁の掛け紙(一般の人の目にはただのゴミとしか映らないですが)のコレクションを通じて、縦横無尽に鉄道にまつわる風景を語っていました。
都心部などでは、まだ通勤や通学の足として利用されている鉄道ですが、日本全体を見ると少子高齢化の影響もあり、赤字路線が増えて廃線になるところもこれから増えていくかと思います。JR北海道はその最たるものではないでしょうか。今回のコロナが追い打ちをかけ、業績が悪化する鉄道会社も増えてくる可能性もあります。
鉄道は今岐路に立っているのかもしれません。転轍機の切替を誤ると、日本の鉄道そのものの存続が危ぶまれる、そんな時代がやってくるのでしょうか。鉄道が将来、ノスタルジーの中でだけ語られ、愛される、そんな存在にならないよう、全国の鉄道路線にどのような意味を持たせ、どのように維持していくのか、考えていく必要があると思います。
ともかく、本当に熱量のある熱い一冊でした。先にあげました、交通新聞社新書から出ている数々の新書もよりディープで熱いテツの世界を堪能できますので、合わせておすすめです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?