Who I amをさぐる旅vol.3 〜親と、先生と、知性と、特権〜
「Who I amをさぐる旅」、vol.3は僕の小学生時代について書こうと思います。
前の記事でも書きましたが、僕が幼少期過ごした地域はそこまで人口が多くない田舎町でした。そのため、小学校は全校生徒100名以下、各学年人クラスの小さな学校に通っていました。
(そして、これは大人になってから知ったのですが、)視覚障害のある僕の小学校進学に関して、母親が県の教育委員会や行政の担当者、学校の先生などと相談し、最終的に特別支援学校(盲学校)ではなくいわゆる地域の小学校に通うことになったそうです。
(結果的にどっちの学校が良かったという話ではなく)そのように母親が僕の小学校進学に関して真剣に考え、行動してくれたことそれ自体にすごく感謝をしています。
それと同時に、僕の将来を考えて動いてくれた親がいたこと、母親が実際に社会資源と繋がり、協議をするための時間を十分に捻出できる家庭であったこと、さまざまな関係者が僕の進学の検討に協力してくれたこと、これら全ては僕のもつ特権(僕の努力で獲得したものではない僕がもつ優位性)だったんだなと今は思います。
そんな経緯を経て地域の学校に通っていた僕がどんな小学生だったかというと、、、。すごく元気でわんぱくな子どもだったと思います。笑
授業中は率先して発言したり、学級委員会へ積極的に立候補したり、休み時間はお友達と教室を走り回ってわちゃわちゃしたり、校庭でサッカーをしたり。忘れ物が多くて先生に怒られたりetc…。
そして自分でいうのもあれですが、勉強ができる子どもでもありました。いつもテストはだいたい満点だったと記憶しています。(記憶の美化だったらすみません。笑)
(これは僕の想像ですが)僕の「勉強ができる」と言う側面は、視覚障害のある僕が地域の小学校で過ごす中で、先生たちからの必要十分なサポートを受けられたことに、少なからず前向きに作用していたのではないか、と思っています。
もちろん、先生たちは教員の職業倫理として、生徒の成績の良し悪しにかかわらず、分け隔てなく関わることが大切であることは認識していると思います。
それと同時に、先生たちも一人の人間なので、勉強ができる生徒をかわいく思ったり、サポートした結果成長が見えた生徒により手をかけたいと言う感情を抱いたりする余地はあるのでは?と僕は思っています。(←これは先生を批判したいわけでは決してありません。)
そのため、もしかしたら日本のどこかには、地域の学校に通う障害のある児童が学校で必要なサポートを受けられるかどうかは、その子が勉強ができるかどうか、先生に手をかけたいと思ってもらえるかどうかに左右されている、という状況があるのかもしれません。
仮にどこかでそのようなことが起きているとするならば、それはすごく悲しいことだなと僕は思います。(←これも先生個人だけの問題では決してなく、様々な要因の相互作用の結果起きうる構造的な課題だと思います。)
そう考えると、僕は理解や熱意のある素敵な先生たちがいる学校に通っていたことや母親がすごく熱心だったことに加えて、もしかしたら先生たちからサポートを受けやすい要素をたまたまもっていたから、安心して学校に通えていたのかもなと、振り返って感じました。
ここまで書いたように、視覚障害のある僕が地域の小学校に通って安心して学べたのは、親、家庭環境、先生、僕の(現在の学校教育では評価された)知性?などなど、僕がもつ多くの特権(僕の努力で獲得したものではない僕がもつ優位性)によってもたらされていたんだなと思います。
元気でわんぱくに小学校に通っていた僕ですが、視覚障害のない子どもが多数派の環境で過ごす中で、いろんなことを子供ながらに感じていました。
次回の記事では、僕が学校生活を送る上でどんなサポートを受けていたのか、学校生活を送る中でどんなことを感じていたのかについて、あれこれ書こうと思います。