はじめて小説を書きました。第二回 羊文学賞 応募作品「クジラ」
1
電車に乗っている。窓の外に目を向ければ、冬特有のどんよりとした雲が広がっている。窓を流れる住宅街に見覚えはないけれど、車内のシートやぶら下がる広告はどこかで見たことがある。
乗客の人数はまばらで、座席は半分も埋まっていない。七人が座れるシートのちょうど真ん中に座りながら、今が何時頃なのかを考える。
今日がおそらく平日だったような覚えがして、自分がこの時間に電車にいる意味を思い出そうとする。大学に行く途中だったような気も、アルバイトに行く途中だった気もする。あるいは、そのどちらでもない気もする。こうして冷静に考えてみると、もしかしたら今の自分が見ている景色はすべて夢かもしれない、と思った。
もういちど外を見てみると、同じ高さの屋根が続いていた街並みはなくなっていた。代わりに雲のひとつも浮かんでいない青空と、島も船も人も波も、何も見えない水平線が広がっている。
波際まで行こうと足を動かしてみると足の底から砂がこびりつくような感覚がして、さっきまで電車に座っていた自分がいつの間にか砂浜に立っていることに気が付く。あたりを見渡してみても、そこには私以外誰もいない。
空を見上げるとそこには太陽が浮かんでいた。太陽がまるで夏のように燦々と輝いているのだけれど、眩しさも暑さも何も感じない。自分が住んでいる街では絶対に見ることができない目の前の海に、これは夢の中だと確信する。
ふと横を見ると、さっきまで誰もいなかったはずの浜辺に、彼が立っていた。
最後に会ったあの日と同じ服装をしていたけれど、髪の毛はその時より随分長くなったように見える。私の目をまっすぐに見て、少しだけ微笑んだ後で「実はさ、」と彼は話し始めた。
「実はさ、
しん、という音が聞こえて目が覚めた。カーテンから入ってくる部屋の明るさを見るに、いつもよりも早く起きてしまったらしい。時刻を確認するためにベッドの傍においてある携帯に手を伸ばすと、布団からはみ出た分だけ寒いと感じた。
携帯の画面を見て、今日が休日だということを認識する。いつも起きている時間より二時間も早い。まだ沢山眠れるという小さな喜びと、今寝たら、二度と会わないはずのあの人に会えるかもしれない、という淡い期待で頭が埋まる。そうだ、今ならまだ間に合う気がする。急いで布団を被り直す。
寝返りを打ち、眠れそうな姿勢を探してみるも、一度寒いと感じてしまった体は中々眠りにつけない。もう一度夢の中に行くために、脳内で関係ないことを繋ぎ止めてみる。砂漠。マフラー。高速道路。
郵便配達のバイクの音が聞こえた気がした。
2
彼と初めて会ったのは、アルバイト先だった。自宅から二駅の場所にある商業施設には中高生に人気のブランドやファストフード店、百円ショップなど大小さまざまなテナントが入っていた。その中のひとつである全国チェーンの雑貨販売店が、私のバイト先だった。そこで働いている人たちがなんとなくお洒落に見えるという不純な理由で始めたアルバイトは、結局大学を卒業するまで続けた。
働き始めて一年が経った大学三年生の春に、新しいアルバイトとして彼が入ってきた。私よりもひとつ年上の彼に、教育係として私が店の業務を教えることになった。
彼と初めて喋った時に、怖くない人だと思った。母子家庭の一人娘として育った私は自然と男の人が苦手だった。小学生の時は同級生の男の子と自然に話せていたけれど、中学、高校と学年が上がるにつれて段々と話す機会が減っていった。
男性に対する特別なトラウマがあるわけでは無かったけれど、私の身体にはないものがある、というだけでえも言われぬ嫌悪感があった。少しだけ高い目線やごつごつとした手、震えるような低い声を感じる度にあまり近づかないようにしよう、とごく自然に思っていたし、実際そうしていた。
都内の私立女子大学に通うようになってからは男性と話す回数は激減した。レジでお客さんと会話する時や、ほかの男性スタッフと形式的な会話をする以外に、男の人と関わることは無かった。
そんな私が、彼とだけはごく自然に話すことができた。指導係として接していく中で、だんだんと彼のことを知っていった。
商業施設の一番近い駅からバスで通える大学に通っていて、ここから歩いて十分のアパートで一人暮らしをしていること。出身は兵庫で、実家には両親と高校生の妹と文鳥がいること。三歳年上の姉は上京していて、先月結婚したこと。身長が百七十センチちょうどで、日本の成人男性の平均身長に少し負けているのが悩みだということ。
大学では教育学について勉強していて、将来は学校以外の場所で子どもたちの教育に関わりたいと考えていること。小学生と遊ぶボランティアサークルに入っていて、そこではグループリーダーだということ。男性の友達と同じくらい女性の友達もいること。そのせいで前の彼女にもっと大切にしてほしい、と言われたことがあること。
彼は性別や年齢に関係なく、誰とでも関係を築ける人だった。誰かといるときは場の空気を第一に考えて適切な言葉を選ぶその姿勢を、私は素直に尊敬していた。自分のことばかり考えてしまう私とは違い、人として正しい人だと思った。話す機会が多かったことや彼自身の人当たりの良さもあり、彼と仲良くなるのに時間はかからなかった。
彼のことを好きだと思ったのは大学三年生の冬だった。バイトの忘年会の最中に好きなバンドが同じことが分かり、飲み会後、駅まで歩く途中でもう一度その話をした。
そのガールズバンドの曲はサブスクリプションサービスでは配信しておらず、彼女たちの曲はCDでしか聴くことはできなかった。そのことはお互いに知っていたけれど、もしかしたら何か配信されているかもしれない、と音楽アプリで彼女たちのバンド名を検索してみた。
彼のスマホの検索結果に表示されたのは、マッコウクジラが二匹並んでいるCDジャケットだった。彼が「これってなんだろうね」と再生ボタンを押すと、いびきのようなクジラの鳴き声が流れ出した。
私たちは約7分間流れるそれを聴きながら、改札前でお腹が痛くなるほど笑った。駅前でクジラの鳴き声を垂れ流す二人の若者のことを周りの人たちは訝しげに見ていたけれど、好きなバンドの名前を入力したらクジラの鳴き声が流れたその状況は、私たちにとってあまりに可笑しかった。
彼を見ると、私と同じように口を大きく歪ませて笑っていた。あんなに大きく口が開いているのに笑い声が異常に小さい彼を見てまた笑った。「なに笑ってんだよ」と小突く彼のことをかわいいと思った。生まれて初めての感覚だった。
その夜をきっかけに、私たちは仲良くなった。いろいろな話をするようになったが、一番多かったのはバンドの話だった。
クジラのディスクジャケットがきっかけで仲良くなった私たちは、動物の名前が入っているバンドを見つけては互いに教え合っていた。犬、小鳥、羊、ヌー、ビーバー。
その中でも、羊の名を冠するバンドのことを二人とも好きになった。何かを諦めている気がするのに、不思議とさわやかな気持ちになれる彼女たちの曲が好きだった。彼は「聴いてると、懐かしい気持ちになれる」と言っていた。
バイトのシフトが被った時には、たまに夜ご飯を食べるようになった。この町に住み始めて四年目になる彼は、私よりもこの町に詳しかった。
コスパと雰囲気の良い定食屋に連れて行ってくれたことも、いつのまにか潰れていた居酒屋を悲しがっているのも、飲んだ後で少し話せるような川べりのベンチを知っているのも彼の方だった。
彼は、この街のことを愛していた。
年が明けて春が近付いてきた三月のある日に、彼とレイトショーを観に行った。彼の運転で東京湾に面しているショッピングモールに行った。アースカラーが基調のアパレルで、彼がかわいいと言っていた白い花模様のワンピースを買った。
日常的にスカートを履く習慣はなかったけれど、彼のために可愛い人になりたかった。レストランで夕食を食べ、黒人の貴族と白人の労働者の映画を見た。上映後、いつもより口数が多くなっている彼を見て一緒に来てよかったと思った。
映画を見た後で、見たい夜景がある、とレインボーブリッジが見える埠頭へ連れて行ってくれた。あまり認知されていない、穴場的な夜景スポットらしかった。けれど、0時頃に埠頭に着いた私たちの前には、夏の夜に吹く生暖かい風と、真っ暗な海が広がるだけだった。
よく調べてみると、橋の点灯時間は二十三時までだった。私が笑いながら、真っ暗だね、と言うと、彼は「失敗した」と嘆いていた。そんな彼を見てまた私は笑った。「こういう景色の方が案外覚えていたりするんだよね」と彼が言った。
なにかマイナスな出来事が起きたときに、意識的に前向きに捉えようとする人のことを軽蔑の対象としてみていたが、そういう人が持つ感性こそ尊いものだと思うようになっていた。その日、彼から付き合ってほしい、と言われ、私たちは初めてキスをした。
私は大学四年生になろうとしていて、彼は社会人になろうとしていた。初めて会った日から一年が経とうとしていた。
3
大学四年生、春。
四月になり、私は就活生に、彼は社会人になった。大学で教育学を学んでいた彼は、知育玩具の開発や子どもたちに教育の場を提供している会社に就職した。すこし忙しくなるかもしれないけど、やりたいことが仕事でできるなんてこれ以上のことはない、と彼は言っていた。
私は彼みたいにやりたいことや目標がなかったので、経理や総務などの一般事務の仕事を中心に就職活動をしていた。アルバイト先でもレジ締めの計算やシフト管理など、何かを計画してその通りに実行することが好きだったし、向いていると思っていた。仕事で誰かと話すことは必要以上に疲弊するだろうし、一人で機械的に仕事をすることに何の抵抗もなかった。
彼に一般事務の応募を受けていることを伝えると、「良いじゃん、向いてると思うよ」と言ってくれた。その言葉の裏側には何か別の感情が混ざっていることに気付いていたが、それが何かは分からなかった。
私も、経理や事務仕事をするために生きたいと思っているわけでは無かった。それでも、仕事を通じて達成したいとや将来の目標みたいなものは、よく分からなかった。
ただ彼と一緒にいたいと思っていたし、その期間を延ばすために就職が必要である気がした。彼にこのことを伝えたことはないし、伝えるつもりもなかった。彼は本気で世の中をよくしたいと思っていたし、その使命のために生まれてきたと、真剣に考えていた。
そんな彼のことを半分は羨ましく、もう半分はよくわからない気持ちで見ていた。
六月に都内の専門商社から事務職の内定を貰い、私の就職活動は終わった。給料は高くはなかったが、残業時間が少なく業務中に人と関わることが少ないことでそこに決めた。何より社内見学の時に見た総務部の雰囲気に、自分が自然に溶け込める予感があった。
同じ時期、本格的に始まった彼の仕事が彼を苦しめていた。学校とも塾とも違う、第三の教育機関を、という高い志を掲げるその会社の内実は、世間の華やかな評価とは裏腹にブラック企業そのものだった。
彼が配属された営業部署は、小学校の学童や公民館の養護施設などに知育玩具を購入してもらうよう働きかけるのが主な業務らしく、言うなれば飛び込み営業のような形式だった。
また教育の場所を無償で提供する事業も、社員のサービス残業や薄給を引き換えに成立しているみたいだった。
彼の所属する営業部署も例に漏れず残業時間や休日出勤などが多く、厳しい労働環境だった。「すべての子どもたちに平等な機会を提供してあげたいんだ」ときらきらした目で言っていた彼の目は、どんどん曇っていった。
五月の末に、私たちが好きなバンドが出演するイベントに行く約束をしていた。彼と一緒に行った音楽フェスで見て以来の、二回目の機会だった。しかし前日の夜に彼に仕事が入ってしまい、結局一人で行った。
当日、そのバンドの演奏を聴きながら、彼と一緒に見にいった時よりも彼女たちの言っている意味が分かる気がした。
4
夏になり、彼が一ヶ月の休職をすることになった。
彼が休職してから三日目の昼に、二週間ぶりに彼と会った。久しぶりに会う彼は前よりも口数が減ったように見えた。それでも、就活も授業もなくバイトしかしていない大学四年生は退屈で、彼と会えるだけでも何より嬉しかった。
彼のアパートで昼間から映画を観たり、近くにあるカレー屋さんで平日限定のランチメニューを食べた。バイト終わりに彼の家に行き、そのまま二日連続で泊まった時もあった。彼が社会人になってから、こういう時間の使い方をするのは初めてのことだった。
「せっかくの休みだから」という彼からの提案で八月に北海道に行った。夏に行く北海道は東京よりも空が広くて、夜だと長袖でも少し寒かった。
彼に元気になってもらおうと、いつもよりも意識的に明るく振舞っていたが、「あんまり無理しないでね」と笑いもせずに彼は言った。
彼と付き合ってから分かったことだったが、一人でいる時の彼は何かのスイッチが切れように内向的だった。私の前で素の姿の彼でいてくれることを私は嬉しいと感じていた。
旅行の二日目は小樽に行った。海岸線を車で移動しながら、この海をまっすぐ進んだら別の国に続いているのだと思った。
夜に夜景を観るために、天狗山に行こうと彼に提案した。泊まっていたホテルから三十分ほど山道を登り、真っ暗な展望エリアまで登ったものの、濃霧がすごくて何も見ることができなかった。
私は何も見えないね、と笑おうとしたがうまく笑うことができなかった。彼は「そうだね」と小さく呟いた。彼は以前のように物事を前向きに捉えることをしなくなっていた。帰りの飛行機ではなにも話さなかった。
九月になり、彼が復職した。復職して数日間は残業せずに帰宅していた様子だったが、週が明けるのと同時に元の生活に戻ってしまった。
働き始めて一か月が経ったある日、彼から仕事を退職しようと思っていることを聞いた。
今の仕事は子どもたち直接関われる機会が少ないこと、会社は会社の利益を上げるために数字を第一に考えていること、彼のやりたいことに近い事業を展開している団体が関西にあること、その団体の代表の人とSNSでつながって、今度会うことを話してくれた。
その団体は営利組織ではなく、NPO法人のような組織らしかった。ボランティアのような形態だけど、なるべく早く始めたいと思っていること。会社は退職して収入は減るけど、やっぱり子どもたちと直接触れ合っていたいこと。そのために実家のある兵庫に帰ろうと思っていることを教えてくれた。
四月から社会人になり、彼の取り巻く環境や性格、精神的な部分について大小さまざまな変化があったけれど、日本の教育を良くしたい、という彼の芯の部分は折れることはなかった。自分の使命がそれであることを、彼は本気で信じているようだった。
彼の話が終わった後で、沈黙が流れた。その時の彼の雰囲気や内容、何かを覚悟している彼の目を、私はまっすぐ見ることができなかった。次に何を言おうとしているか気が付いていたが、わからないふりをしていた。
彼にとっての貴重な二十代を、今の会社で擦り減らすことが正しくないことはわかっていた。自分のやりたいことのために仕事を辞めて、別の組織で経験を積むことが、夢の実現に向けての必要な一歩であることも。
だけど私は彼と離れたくはなかった。私にとっての仕事は彼と一緒にいるための手段でしかないし、もし彼が仕事を辞めて欲しいと頼んだらすぐにでも辞めようとすら思っていた。
夢とか目標とかやりたいこととか、彼が何のために仕事を辞めて、何のために実家に戻るのかとか、本当の意味で理解することは不可能だった。
初めて会ったときやクジラの声を聴いて笑ったこと。真っ暗な橋を思い出に残ると言い切れる感性。みんなの前ではみんなのことを考えて振舞うけれど、私といる時だけは自分のことを考えているところ。
この先何があっても、私と彼は一緒にいると思っていた。けれど、実のところ二人はたまたま好きなバンドが同じで話すようになっただけの、全く別の人間だった。今の彼が何を言っているのか、まったく分からなかった。
抱きしめていた灰色のクッションに黒い染みが広がるのを見て、自分が涙を流していることに気が付いた。自分は恋愛で涙を流せるような人間だったのかと、とひどく冷静に思った。
ふたりの話が終わる時、もっと自分を大切にしてほしい、と伝えた。世間と現実にすり減らされ、それでも夢や理想を諦めない彼の姿は、自分で自分を縛っているように見えて不安だった。そういうのを全部見なかったことにしたままで、彼にはもっと自分勝手に生きて欲しかった。
だけど、彼は本気で社会を変えたいと思っていた。夢に実現にひた走ることができ、自分を信じることができた。それが間違っていたとしても、自分の芯が揺るぐことはなかった。
彼の中で自分を大切にするということは、じぶんのやりたいことに一生懸命に向き合うことだった。自分で自分を縛っているという感覚は、彼には備わっていないものだった。
そこまで気が付いても私は、彼には東京で私と一緒に居てほしいと思ってしまった。自分が収入源になるから、彼のしたいことを傍で支えさせてほしかった。私のことだけを考えて生きて、と言いたかった。彼の人生に関われるのは今日が最後であることを、認めたくなかった。
「今が続けば、ずっと幸せだ」と彼に言ってほしかった。
「今まで本当に楽しかった、幸せだった」と彼は言った。
その日、私たちは別れた。大学四年生の秋だった。
5
秋が終わり、冬が来た。彼と一緒に買いに行ったロングコートを着ていた。去年と同じ服を着ていたら、去年と同じ私がいる気がした。
年末に、内定先の会社の懇親会に行った。懇親会と称したそれは、社員の人たちがただお酒を楽しく飲みたいがために開催されているようで、同部署や他部署の同期だけではなく、配属先である総務部の先輩や営業部の先輩方も参加しているようだった。
社会人のマナーだとか学生のうちに遊んでおけだとか、社会人の先輩であるはずの口からでる言葉はどれも軽くて、本やドラマでしか見たことないセリフが出てくるたびに笑いそうになっていた。相槌を打ちながら、その先輩の名前が彼に似ているなとぼんやり思っていた。
ただ、私以外の学生はしっかりと話に頷いていたり、その先輩の言葉に呼応するように中身のない質問を投げかける人もいた。
途中で、彼と離れたのだから社会人になる必要性が無いことを思い出し、このままいなくなってしまおうかと一人でレモンハイを飲んでいた。そんな私に営業部の同期が話しかけてきた。先ほどから色んなテーブルで自分の話を多くしていて、こんな風に仲間外れになることを何より怖がっているように見えた。
彼女との話の流れでインスタグラムのアカウントを教えてほしい、と言われ、フォロワーが多いことと人間としての価値が比例しているとも思っているようだった。
彼女にアカウントを教えようとして、彼と別れた直後に、すべてのSNSをアンインストールしていたことを思い出した。インスタグラムをやっていない、というのは簡単だったが、社内で面倒な噂が流れることを危惧し、彼女のスマホに私のIDを打ち込ませてもらった。
懇親会が終わった後で、同期のアカウントへフォローを返すためにインスタグラムをインストールした。久しぶりに見るSNSではみんなが自分の話をしていた。
二十四時間で消える写真や動画を流し見していると、音楽を共有する投稿が表示された。誰だろう、と左上を見ると、そこには彼の名前があった。
どくん、と自分の体に血が巡るのを感じた。彼が投稿していたのは、羊の名前がついたあのバンドだった。
考える間もなく、音楽アプリを開いた。曲のタイトルを入力しながら、この曲が私を救ってくれる気がしていた。
6
郵便配達のバイクが家の前を通り過ぎた音が聞こえて、意識の波が揺らぐ。頭は重たく、そこに眠気は確かにあるのに、夢で見た彼の姿に全身が高揚してしまっている。さっきまで見ていた夢に戻ることを断念し、布団から起き上がる。
これから日が昇るのであろう藍色の空をみて、不思議と懐かしい気持ちになった。冬用のブルゾンを羽織り、夜明け前のベランダに出る。川沿いに流れる高速道路は、この時間でもトラックが走っている。
社会人になってから、半年が経っていた。
社会人は自分が思っていたよりは忙しくなく、毎日同じことを繰り返すだけの毎日が続いている。朝六時半に起きて、会社に行き、自宅へ帰り、寝る。
起きて食べて寝てをこなし、お金を貰う生活になんの疑問も抱かないようにして生き続け、気が付けば秋になっていた。彼が精神を病んでしまうほど疲弊していた社会人を、私は何不都合なく生きている。
彼と同じ社会人になって気が付いたのは、私と彼は違う人間だった、という至極当然な事実だった。
仕事を自分の夢や目標を叶えるための手段としてとらえていた彼と、ただ自分が生きていくためだけに働いている私。どっちが正しくてどっちが間違っているとかではなく、ひとり一人の正解があるだけの話だった。仕事だけじゃなくて、お金、SNS、友達とか、全部がそうなんだと思う。
私たちも同じく、お互いに自分のことを一番に考えていた。今思えば仕事だけではなく、洋服、映画、音楽とか、重なる部分はあっても、ほとんど違っていた。彼が好きだと言っていたワンピースは私の好みでは無かったし、あの日見た映画が何を言いたかったのか今でもよくわかっていない。北海道は夏よりも冬に行きたいと思っていた。こうやって二人の思い出を並べてみると、恋をしていたことが嘘のように思えてくる。
ほかにも二人の違いを感じる瞬間はあったけれど、お互いに見ないようにしていた。そして、夢と仕事の中身が違うことに気付くタイミングが来てしまった。ただそれだけの話だった。もし仮にあのまま付き合っていたとしても、何か別の理由で別れる瞬間が来てしまうのだろう。
それでも、あの時の私たちは、幸せだった。ただ一緒に居るだけで、そこにあったと気付けただけでも、私は幸せだ。
今なら、彼の言うことが何でもわかる気がする。
高速道路の向こう側が、だんだんと白んできた。冬用のブルゾンを着ているとはいえ、この時間の朝は寒い。白くなった吐く息を見て、冬が近づいていることを実感する。いい加減あのコートも着ていられないなと、新しいコートを買うことを決めた。
もうすぐ朝日が昇る。このまま外で太陽を迎えよう。太陽の熱を浴びたら、もう一回寝よう。もしかしたら、また彼に会えるかもしれない。
見慣れた住宅街に目を向ければ、秋特有のやわらかな空が広がっている。
【お知らせ】5月21日の文学フリマに出ます
5月21日に文学フリマにて本を販売します。僕が書いた小説が3つ、友人が書いた小説が3つ。それぞれのエッセイ3つを合わせた全300ページの小説です。タイトルは「無自覚デコンストラクション」。著者名は25歳ズです。
TwitterのDMにて取り置き予約を実施していますので、是非お越しください。