親の介護と実家の話+自分のこと(9)
今日は父の話を書きます。実は昨夜、施設から緊急搬送され今年4度目の入院となりました。かなり深刻な状況で、今、そのことについて語るには気持ちの整理がつかないので、また落ち着いてから順に語っていきたいと思います。
今年最初の入院はいわゆる普通の急性期病院でした。実は父のおかげでいろんな病院があることを知りました。ざっくり言うと急性期病院、慢性期病院 回復期病院っていうのがあるみたいです。医療関係者は普通に会話の中でその単語を使うので最初は何それって思いましたよ。
さて昨年末のコロナ入院も同じ病院だったのですが、入院理由は圧迫骨折で整形外科の入院となりました。高齢者の圧迫骨折は治るのに時間がかかるので、父ももれなく長期入院を余儀なくされました。
コルセットをしてリハビリという生活になるのですが、病院嫌いの父は「早く家に帰せ!」とかなりうるさかったです。急性期病院というのは長期入院ができないので、その後リハビリ病院(回復期病院)に転院になったのですが、その移動中にも介護タクシーの中で「家に帰せ!!」とずっと叫んでいたのでタクシーの運転手の人も苦笑いをしていました。
介助がないと歩けないし、片目が糖尿病の原因で失明しているので1人でまともに薬も飲めない上、排泄に失敗しても自分で片付けもできない。それでも家に帰るんだ!と強く主張していました。当時の父は、母と二人で協力すれば老老介護で生活できると思っていたようです。一方の母はパーキンソン病が進んでしまっていて自分自身の運動動作にも不安があったので、父の排泄介助にうんざりしていました。そもそも夫婦とはいえ下の世話はしたくはないですよね。介護従事者の友人は「仕事だからできる」とみんな口を揃えて言っています。私も申し訳ないですが異性である父の下の世話はしたくありませんし、ほぼしないで今に至っています。正直、父は母がいないと何もできない人です。しかし母も母で父の世話を文句を言いながらも自ら進んでやっているように私には見えました。昭和時代の夫婦とは、どんなに夫が不甲斐なくても妻が健気に世話をするという構図ができているのかもしれません。
病院の話に戻ります。とても驚いたのはリハビリ病院での父の脅威的な回復です。1日に3時間くらいリハビリしていたようです。(しかし家に戻って施設に入ったら、あっという間に全介助になってしまったのですが・・・。)
それを目の当たりにするとやはり運動習慣というのは生きている上でとても大事なのだと思い知りました。そうは言っても高齢者が急に運動習慣を身につけるは難しいので、やはり若いうちから何か趣味を見つけて身体を動かすのは大切なのだなと感じてます。
それでも1ヶ月だけでしたが自宅で1人で生活していた父は頑張ったなと思います。さて母はどうしたかというと父の5ヶ月の入院生活から戻ってくる前に、有料施設に入所してしまったのでした。次回はそんな母の話をしたいと思います。