最近考える韓国文学のことーー『「知らない」からはじまる 10代の娘に聞く韓国文学のこと』を読んで
(ま)&アサノタカオ サウダージ・ブックス 2022年出版
熊本県へ今年の4月旅行したとき、坂口さんが行きつけの橙書店に行って、一時間くらい物色して、珍しい本だな、と手に取って購入した本。すごい薄い本なんだが、1800円もした。どういう出版の仕方なんだろ。ちなみにAmazonには売ってなかった。
中学生の娘と父親が韓国文学について会話しているのが前半で本全体の半分。小説でもエッセイでもなく、本の紹介のインタビューなんだが、むしろ親子のほほえましい会話が読める本だと思った。取り上げられている韓国文学の小説はどれも私が読んだことある本ばかりで、最近の中学生はこういう本読むのね、と思った。確かに、韓国文学は中学、高校生に読みやすいのかもしれない。それでいて、社会的な問題も語られているから、なるべく若いときに韓国文学に触れられたらいいね、と思った。
娘との会話で父親のアサノタカオさんが、ときどき補佐するように、歴史的なことを語ったりするのが親子の会話を彷彿させるんだが、中学生ってこんなにうまく小説の要約とか話せるのかな、というのも正直思った。というか、韓国の歴史を語るのは重要だし、そういう紐づけも大事だが、日本と韓国の歴史的な関係も話さないと意味ないんじゃないかとちょっと思う。けど、それは、親子の長い時間が経過すれば、いつかつながるのかな、とちょっと思って、この娘と父の会話を読み終わる。
後半のアサノタカオさんが書いた文章が割と散文的というか詩的というか、美しい文章でなんか高貴さを感じた。が、やはり、どこか、歴史的な解釈というか、韓国のこれまでの成り立ち的なものから文学の作品を解釈するというのが、彼の文章の根底に流れているものなんだ、と感じざるを得なかった。文学作品の読み方は、読者にまかされていることだから、こういう当たり前の読み方、解釈をする人はたまにうっとうしくなるが、韓国文学を読むうえで、それは必要とされていることのようにも思う。特に、日本の読者にとっては。それが、韓国の作家が、日本の読者に向けてそう意図的に書いているわけではないと思うが、韓国の現代社会に生きる若者がこの社会をもっと良くしようと思って、こういう文学が書かれている、というのは、あまり言葉にするまでもないが、韓国現代文学に当たり前のように流れている空気のようなものだ、と私は思う。やはり、韓国というお隣の国の歴史的な問題、そして、現在の社会的な問題は、切っても切り離せない。
韓国文学を紹介してる本、ってあるようであんまりないから、この本もっと書店で売り出せばいいのに、と思ったけど、韓国文学のこれからの将来を考えると、韓国現代文学って、彼のような歴史的な解釈の上に作品が成り立つ、っていう枠から脱け出すことができないんだろうか、ということも、ちょっと思った。韓国現代文学の作家がSF的な要素を盛り込むのもなんかその先にあるようなものだと思うし、一方で文学的な時間の流れが留まっているようにも感じる。もちろん私も、韓国現代文学がとても現在の社会的な問題をテーマにして書いていることに、とても興味を抱くし、日本現代文学にはないことだと思うから、面白いことだと思うけど、これからどう発展していくかが、興味深い。
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