コロナウイルスでなくても人は死ぬ?僧侶にできること(1)

はじめに

この度の新型コロナウイルスで亡くなられた方,ならびにご遺族のみなさまに謹んでお悔やみ申し上げます。また,コロナウイルスに感染し病院や隔離施設で闘病しておられる方々,感染拡大により影響を受けておられるみなさまに心よりお見舞い申し上げます。

それは今言うことか?

あるSNSにおいて,「コロナウイルスにかからなくても,人間はいつか必ず死ぬ」という真宗僧侶の投稿を目にしました。みなさんは,この文章をみてどのようにお感じになるでしょうか?

コロナウイルスで大切な方を亡くしたり,身近な人が感染して苦しんでいたり,収入が激減して明日生活できるかわからない方の前で同じことが言えるでしょうか?たとえ事実であっても,それを受け入れるのにはエネルギーがいりますし,傷つくこともあります。「コロナウイルスでなくてもいつか必ず死ぬ」のなら,コロナウイルスが原因で亡くなる方がいらっしゃるのも事実です。戦時中に「戦争でなくても人は必ず死ぬ」と言っているのと同じではないでしょうか?「○○でなくても~」というのは,その○○で辛い思いをしておられる方の苦しみを否定し,侮辱しているように私には聞こえます。

今多くの人が病気にかかったり,経済的に苦しんだりしているのに「いつか死ぬ」と伝えることに何の意味があるのでしょうか?確かに,人間の命には限りがありますし,どんなに健康に気をつけていても病気になるときはなってしまいますが,それならコロナウイルスが流行する前から伝えておくべきだったと思います。「コロナでなくても~」というのなら,ウイルスに関連して生じている,目の前のさまざまな苦しみとどう向き合えばよいのでしょうか?「人間はいつか必ず死ぬのだから,あきらめる」のが仏教的な答えなのでしょうか?

お聖教をひらく

浄土真宗の宗祖親鸞聖人,中興の祖である第八代蓮如上人の書かれたお手紙が「浄土真宗聖典(註釈版第二版)」に収録されています。

「親鸞聖人御消息」には,

なによりも,去年・今年,老少男女おほくのひとびとの,死にあひて候ふらんことにこそ,あはれに候へ。ただし生死無常のことわり,くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは,おどろきおぼしめすべからず候ふ。(略) (本願寺出版社「浄土真宗聖典(註釈版第二版)」771頁)

とお示しになられた箇所があります。また蓮如上人はご門徒の方に書かれた「御文章」(大谷派では「御文」とよばれています)で,

当時このごろ,ことのほか疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりて初めて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども,今の自分にあたりて死去するときは,さもありぬべきようにみなひとおもへり。これまことに道理ぞかし。(略) (本願寺出版社「浄土真宗聖典(註釈版第二版)」1181頁)

とおっしゃっています。
「親鸞聖人や蓮如上人も『ウイルスでなくても~』と同じことをおっしゃってますよね?」とお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが,現代とは状況が異なります。医学や科学技術が発達した今と違って,御開山や蓮如上人の時代は,感染症が流行して人が亡くなっても,それが何の病気なのか,人から人へうつるものなのか,どうやったら予防,治療ができるのかといったことがほとんどわからなかっただろうと想像します。本当にどうすることもできなかったのだと思います。この時代の方々は「いつかは死ぬのだから…」と思わなければ仕方なかったのだと思います。

今問題となっているコロナウイルスに対しては,「手洗いをする」「人混みを避ける」「飛沫を飛ばしたり,反対に吸い込まないように心がける」という科学的な対処法が示されています。できることはまだまだ残されています。

こうした方々のお言葉を安易に持ち出すことは慎むべきと思います。

「今こそ仏教」に思うこと

インターネット上では「今こそ仏教」を掲げ,苦しい立場におかれている方々に,僧侶がなにかできることはないか,模索する動きが始まっています。

私個人の感想になってしまいますが,ご法話というのはありがたい,おもしろい話というよりは,どちらかといえばむしろ耳の痛い話のほうが多いように受け止めています。ご法座が中止になり,お聴聞に行けず寂しい思いをしておられる方には,インターネットを通して,あるいはDVDやビデオで映像をご覧いただくことを検討するのもひとつかと思います。そうでない方によかれと思ってご法話を勧めることは,内容によってはかえって苦痛を強めることにつながるのではと懸念しています(「苦の原因は自分の中にある!」「私たちには煩悩があって自己中心的な考えが…」「人間が死ぬのはどうしてか?生まれてきたからです」などなど…)。

仏法は,元気で心身ともに余裕のあるときに聴聞するのが理想と考えています。また別の記事で改めて申し上げたいと思います。

まとめ

・「コロナウイルスにかからなくても,いつか必ず死ぬ」という趣旨の発信は今は控えるのが望ましい
・親鸞聖人や蓮如上人のご著述の中にも,感染症について書かれた箇所がみられるが,今とは時代が違う。安易に引用するべきではない


次回のnoteでは,コロナウイルスの影響が続く中,僧侶にできることはなにか,今考えていることを書かせていただきたいと存じます。最後までお読みいただき,ありがとうございました。

合掌

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