やってはいけなかった医療⑦
カルテ開示
入院中から、誤った医療が行われていたことがわかっていたので、どうしてこのようなことが起きてしまったのか真実を知りたいと思い、A病院に対してカルテ開示請求を行った。
2006年4月の休日、静寂に包まれた病院の一室で、カルテをめくりコピー希望のページをチェックしていく。作業を進める中、驚愕の事実を目のあたりにした。
吸引不能 えっ!?唖然とした。
発病時の骨髄採取ができておらず、末梢血(血液)のみで診断されていたのだ。これは、胃がんや乳がんのような固形腫瘍で、組織が採取されていないのと同じ状況である。全く信じ難かった。
治療方針の変更も有り得る染色体検査は「分裂像の状態が悪く、染色体分析は行う事ができませんでした。」との結果。
それなのに再検査もしなかった。悪い細胞がパンパンに詰まっていたと告げられてはいたものの、まさか全く採取できていないとは思いもしなかった。
ここまで杜撰だったとは…
無用の苦痛と恐怖を与えられた検査から、何も得られていなかったことが分かった。森仁と家族の4年間は何だったのだろう…愕然とし、怒りが込み上げた。
研究グループに所属していなかったという事実は、既にわかっていたが、「グループの責任者に聞くといいですよと判断を任される。」というB医師の言葉通り、研究グループの責任者と本当にコンタクトをとっていたのか?
そのことを確かめるために「がんの子どもを守る会」を通して、研究グループの責任者に連絡を取ってもらった。
しかし、話を伺うことはできなかった。
二度と同じようなことが繰り返されないよう、社会に働きかけていくためにも、正式な手続きを取らなければ信憑性も説得力もないとの思いから、弁護士を探すことにした。
弁護士に相談
全国的に見ても、医療過誤に精通している弁護士は少ない。
2006年7月、隣県の弁護士に連絡を取り、書類をそろえて提出。後日、弁護士事務所を訪ね、医療過誤事件の進め方について説明を受けた。
医療記録の分析、医学文献の調査、類似判例の検討、専門医の意見聴取などを行い、過失があるか検討する。
医療行為に過失が認められる可能性が高く、そのことを裁判において立証可能と判断される場合は責任追及の手続きに移る。
相手方から交渉で解決したいとの意向が示されれば、示談交渉を行う。
相手方の回答に交渉の余地がない、あるいは示談での解決が困難と認められる場合には、調停あるいは裁判に移る。
遺族が真実を知らなければ、死の悲しみを乗り越えることもできないはずなので、事案の真相を究明するということが重要だと考える。
とのことだった。
この時点で、調査に進んでよい案件だと判断された。
協力医の見解
約4ヶ月後、弁護士が依頼していた医師からの見解が届いた。
以下、コメントを要約する。
1.医師はプロトコールの説明を行わず、家族の同意も得ていない。プロトコールの投与薬剤の選択や投与法を真似たにすぎず、プロトコールの検査をしていないのだから、プロトコールによる診療ではなかった。独善的診療を行ったと云わざるを得ない。
2.超高リスクと診断されなければならないのに、低ないし中間リスクのプロトコールで診察しているので、プロトコール違反であり適切ではない。
3.第1回のマルクで骨髄液が吸引できず、dry tap(吸引不能)として、原因は腫瘍細胞が詰まっているからだとしていることには大いに疑問がある。適切なセデーション(麻酔を使用して鎮静)を施してじっくりとマルク(骨髄検査)を行うか、あるいは骨髄生検を行って十分な量の骨髄液を入手して表面マーカーや染色体、遺伝子診断を行うべきだった。染色体や遺伝子診断が一度しか行われていないのは病院の過失である。
4.表面マーカーは、リンパ系と骨髄系の両方の形質を発現しているので、急性混合型白血病の可能性は否定できず、このことも患児の病型診断やその後の診療の障害になった可能性は否定できない。
5.病院のMRD(微小残存病変)に対する認識がこの程度であったことが、患児を完全寛解にできなかった原因と考える。
6.病院がプロトコールを守り、MRD(微小残存病変)を実施していれば移植時期を逃さずに済んだかもしれない。
示談交渉
協力医のコメントの内容を踏まえて、A病院との交渉に向けて弁護士が催告書を作成した。
1.B医師は超高危険群のプロトコールに従って治療すべき義務があったにもかかわらず、標準危険群(低~中間危険群)で治療した過失がある。
2.B医師は今回の治療を研究会本部に登録していない過失がある。
3.B医師には、早期再発の危険性を明らかにし、サルベージ(強い治療)プロトコールを実施する根拠となるMRD(微小残存病変)を行わなかった過失がある。
4.B医師は白血病細胞の型をcommon型(一般型)としているが、mixed lineage型(混合型)であった可能性が高い。この場合、超高危険群として取り扱うべきとされているが標準危険群として治療した過失がある。
5.超高危険群であり、研究グループのプロトコールに従っていないのであるから、完全寛解導入後に骨髄移植を検討すべきであった。
B医師は、第一寛解期においてHLA適合血縁者(一座不一致含む)からの骨髄移植を検討しなかった過失がある。
6.B医師は患者の両親に対して骨髄移植という選択肢があることを説明すべき義務があったが、全く説明していない。インフォームドコンセント違反の過失がある。
7.上記以外にも①染色体検査が一度しか行われていないこと②マルクの際、セデーションなしで局所麻酔のみで行っていたため、無用の苦痛を与えたこと、③感染予防処置が不十分であったため、水痘、MRSAに感染し治療が遅れたことなど治療の不適切さを指摘しうる。
高危険群ないし超高危険群のプロトコールに従った治療、あるいは早期の骨髄移植が行われていれば、完全に治癒し得た高度の蓋然性があると言える。
仮に百歩譲って完全に治癒し得なかったとしても、早期の再発を防ぐことで、実際に死亡した平成17年11月25日よりは遥かに長い期間生存し得た高度の蓋然性は認められる。
互いの弁護士のやり取りにて、再発防止策と謝罪文の提出を条件に和解契約書を交わした。
A病院側の条件として「マスコミに公表しない」という一文があったが、こちら側の目的が果たせなくなる可能性があるため、削除するよう要請。病院はそれに応じた。
病院長は、森仁が大学病院へ転院した後に就任したにもかかわらず、真摯に向き合ってくれたが、B医師の謝罪文は核心に迫ることなく、釈然としなかった。
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