「権利と権利が対立」するということ。
最近バズったニュース。
この記事中にあるビデオにある
「権利と権利が対立」するということ、
いわゆるコンフリクトの問題は、いたるところにある。
例えば、
視覚障害者用の点字ブロックが、歩行困難者の躓きの元になったりであるとか、
(ここではその是非については問わない。以下同じ。)
あるいは、
外国人のための多言語表示で字が小さくなるために、
視力の弱い人が困ることもある。
あるいは、
感覚過敏と聴覚過敏のために配慮して欲しい、と申し出ることが、
親子連れの人たちの権利を侵害するとされ批判・糾弾されたり、
またあるいは(これは昔の話だが)、
今でいう大人のひきこもりの立場から主張や問題提起をしようとすることが、
当時の不登校の子どもたちの権利を侵害するとして批判された時代もあった。
このように、誰かが権利を主張すると、
対立するもう一方の権利が削られてしまうことがある。
それで、お互いに対等でいるためには、
お互い歩み寄り、譲り合い、話し合いながら、
落としどころを探る必要があるだろう。
だがいずれにせよ、どのような場合でも、
身の安全は確保されなければならないだろう。
というのも、生存権は自然権の一つだからである。
それを具体的に書くと議論を招くからここでは書かないけど、
(ご興味のある方は拙著『自閉女の冒険』pp.172-182をご覧ください)
権利を守りました。その結果、誰かが亡くなりました。物理的な被害を受けました
……では困るのである。
冒頭の記事とビデオにしても、
これがもし西洋社会なら、発言者は政治生命を絶たれてもおかしくない発言とされている。
(その是非は別にして。)
このビデオに出てくる政治家は、
その制裁を恐れずに発言した、勇気ある人である。
それが世の女性たちの共感を呼んでいる。
(逆を考えてみよう。身体が女性で心が男性のトランスが、男性トイレを使うことができるのか?)
それにしても、安全を求めたら社会的に制裁される、
差別だと一方的に決めつけられ発言を封殺される……というのも
おかしな世の中になったものである。◆
(2023.3.10)
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