Googooshと「Man Amadeam」。世俗政権時代のイラン歌謡。
■ありがたや、youtubeの御利益は。
「youtube」なる動画共有プラットフォームが登場したお陰で、とても御利益をいただいたと思っている。私にとっての御利益とは非西欧圏の音楽や芸能を知ったり観たりすることが極めて容易になったこと。
それまではキリスト教圏とほぼ重なるWest側の音楽文化マーケットにどっぷりと浸かっていて、長い間それが主流だと思っていた。
ところが多国籍音楽なんぞを探っていると、西はアフリカから中東、ペルシャ、中央アジア、そして東は東南アジアまで、イスラム教圏の太いベルトが横たわっていて、もうひとつ世界規模の音楽マーケットが形成されていることに気付く。
もともと非西欧圏の伝統音楽や大衆歌謡には興味があったけど、日本語の文献は少ないわ、どの音源を買って良いのか、入手も難しいわで、探り出すのがたいへん。そこを補ってくれたのが、私にとってはyoutube。
■めでたさや、Googooshとの邂逅よ。
ある日、つらつらと覗いていたら、ひとつの動画に出会った。
歌手がこっちを見ている、妙に気になるサムネイル。なんというかその目を見た瞬間にツカまれたというか、昔で言えば、いや、いまでこそ、”ジャケ買い”というヤツ。
Googoosh? Man Amadeam? どっちが歌手の名前で、どっちが曲名なのか? まったく知らない判らない。ところが、クリックしてみると歌に完全に捕縛されてしまった。
■たれか知る、Googooshの運命を。
Googooshとはいったい何者ぞ?
彼女はイランの人。1979年のイスラム革命前は、米英が推すパフラヴィー(当時日本ではパーレビと表記)国王体制下、西欧化された世俗政権時代のイランを代表するトップスターであった。
子供時代からタレントとして映画などに出演していたGoogooshだが、彼女と共同作業をしていた人の話では、ご幼少の砌から特別なオーラを放っていたそうな。偉大な芸能者の証とでもいうか。
中東大衆歌謡の一大聖地といえばレバノンとエジプトとされるが、イラン=ペルシャは民族的にも歴史的にも言語的にもアラブ圏とは違うという。しかしGoogooshは国や地域を越えて絶大な人気を誇った。
イスラム革命勃発の知らせをGoogooshは公演先のロスアンゼルスで知ったらしい。(wiki。以前見た別のサイトではパリ滞在中とあった記憶が)
意を決して祖国へ戻ることを選ぶのだが、革命政府は女性歌手を排除していたため、結果的に歌手としての活動を禁止される。世俗政権時代にはビートルズ「Something」など西側の曲もコンサートで披露していたから、そういう過去も問題視されたのかも知れない。
youtubeにはビートルズの他にアリーサ・フランクリンなどのカヴァーもあったと記憶しているが、いまは消されたみたい。フランス語の曲はまだ残っていたが。
結局は2000年にイランを出国して、欧州へ、そして大西洋を渡る。
音楽活動を再開したものの、アメリカでの生活は当初荒んだものになったらしい。その頃のGoogooshの状況を活写したサイトがあったが、これまた消えているのか探しきれない。望郷の念捨てがたく精神的に追い込まれてドラッグに溺れたこと、ドラッグ依存からの立ち直りなど、苦闘時代のエピソードがいろいろと書かれていて、さらに思い入れが深くなったんだけどね。
その後、精神的にも体調的にも見事に復活を果たし、今も新曲のリリースや米欧でのツアーを精力的に続けている。慶祝。
■世に遍く、「Man Amadeam」の調べよ。
「Man Amadeam」という曲がどうして誕生したのか。
Samira Atashというアメリカ在住のマルチな起業家兼アーティストが、この曲をテーマにショートを作っている。挿入されたスーパーに名曲誕生の経緯が語られていてありがたい。
元がアフガニスタン人作家の曲。イランと、スタン国家と言われる中央アジアのイスラム圏との、文化や芸術の結びつきの深さを物語るエピソードだと思う。
この曲の多国籍的な影響は、ここ数年ではパキスタンの民謡歌手Gul PanrraとAtif Aslamが「Man Aamdeam」をモチーフにした楽曲を発表していたり、アフガニスタンからドイツに移住した歌手Seeta Qasemiがカヴァーしたりと、”古典”としての勢いは衰えることがないようだ。
冒頭に置いた「Man Aamdeam」動画のコメント欄をずっとスクロールしてみると、動画の公開以来、東西のいろんな国の人たちが今も讃辞を連ねているのがわかる。
国境を超えて、人びとの心をつかんで離さない何かが、この曲にはある。
(了)
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