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孤独を選ぶということ

「あぁ、この感じ。久しぶりだな…。」

数日前から心の準備をしていたけど、自ら孤独を選ぶというのは、やはり簡単なことではない。子どもたちと夫にひとりひとりお別れしながら、涙が溢れてくる。

…と言っても、家族と別々に暮らすとかましてや離婚とかそういう話ではなくて、国際音楽教育学会での発表のために一人でヘルシンキへ10日間行く、それだけなのだけれど。

たった10日間、されど10日間。
そんなまとまった期間、子どもたちと離れるのは、双子が生まれて初めてだ。

2020年にパンデミックで延期となったヘルシンキでの大規模な国際音楽教育学会が今年開催されると決まったのは、去年。

延期になった2020年当時はまだ博士課程で研究途中だった「ピアノ教育におけるメンタルトレーニング」の研究経過について発表する予定だったけど、4年経った今、状況は変わっていた。

博士研究は一旦博士修了と共に形にはなったものの、研究自体は自分が続けたい限りは、続いていく。博士課程での研究のもとに、文化の違いによるメンタルトレーニングの音楽教育現場での応用の可能性を探るべく、ポスドク研究を続けていこうと思っていたところだった。今後の研究の可能性とアイディア集めも含めて学会発表に応募したい旨を夫に話したのは、まだ半年以上前のことだった。

夫は8月に日本に家族で1ヶ月帰るために今年の有給を使ってしまうためヘルシンキには一緒には来られないけど、ちょうど保育園も幼稚園も夏休みだし実家に子どもたちと帰るから国際学会にひとりで行ってきていいよ、と提案された。

息子のひとりをまだ授乳しているのでそこが不安だったけど、2024年夏といえば、息子たちは2歳直前。それまでには流石にきっと授乳も終わっているよね、という話で、子どもたちは夫と夫の両親に任せることにし、私ひとりで航空券を取った(結局息子の方から授乳に終わりを告げられることはなく、さっきホテルの前で最後の授乳をして、今、ひとり、ベルリンのホテルで、これを書いている)。

こういう、ひとりで海外に出るときのわくわくと不安が混じった感じというのは今回が初めてではない。

人生でそれを初めて感じたのは、19歳の時だった。

ひとり、人生初の海外、音楽をテーマにずっと憧れていたドイツへ一人旅に出たとき。

飛行機を3回乗り換えてようやくベルリンのホームステイ先に着いた夜、ホストマザーとの夕食を終え、部屋に行いたとき、当時付き合っていた彼に「無事着いたよ」と呟き(当時スマホはなかったしパソコンも持っていなかったので、ただ心の中で)、ひとり、泣いた。

その後、23歳で、またひとりでドイツに来る決断をしたとき。
しかも今度は、短期留学ではない、ドイツの何年かかるか分からない大学院の正規留学。

ドイツ留学を心から応援してくれて最後まで見送ってくれた当時のパートナーとのお別れは、私を非常に感傷的にさせた。

そしてさっき、大好きな子どもたちと夫とベルリンの公園で一緒に遊びながら、そしてホテルの前でお別れしながら、やはり、泣いた。

どうして私はこう、人生の中で孤独で大変で感傷的になる道を選ぶのか。

そう思う自分もいたけど、過去を振り返ってみても、自分を成長させてくれたのは、そういう決断の数々だったように思う。

それと比べて10日間のヨーロッパ内での学会は大したことないようにも聞こえるけど、授乳中の子どもと一日たりと別々に暮らしたことがない私にとっては、大好きな家族としばしの間お別れするのは、やはり寂しい。

そんな、ベルリンでの、夜。
明日、ヘルシンキへ飛び立ちます。
新しい音楽の学びへの大きなわくわくと、少しの寂しさを、胸に秘めながら。

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大木 美穂
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