講師インタビュー 斉藤忠明さん
今回は、斉藤忠明さんにインタビューさせていただきました!
ぜひ最後までお読みいただけると嬉しいです!
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コンビニの店長(首のヘルニアにより現在は休職中)をしながらいろいろな啓発活動やレインボーパレードの代表をさせていただいていました。
コンビニの店長は、レインボーパレードをする前からしていましたが、コンビニって外国人の方をはじめとする、様々な方が来店するんです。
その中で一番印象に残っているのは、障害者の子が「バイトができないんです」と相談をしてきてくれたことでした。
その当時(6〜7年前)、バイトがしたくてしょうがない(働きたくても働けない若者)という子をはじめて見たんですよね。
その子は、左手の指が3本しかないというハンデがありながらも、仕事は普通にできる、と断言したんです。そこまで言うなら、「じゃあ、やってもらおう」ということで、上から反対されながらも積極的に雇ってみたりしていました。当時は外国人雇用もなかなか進んでいない中でのことだったので、大変でしたが、、、
だから、多様性というところでは、仕事を通じながら自分のできる範囲のことをしてきたつもりです。
確かに、闇雲に雇うのではなく、ちゃんと仕事ができる人を雇わないといけないというのはありますよ。でも、だからといって、二の足を踏み続けるわけにはいかないと思うんです。
はじめてのことをやる時には、どうしても代表者になってしまう。
でも、その1人がいるから、前例を作ることができるんです。
現場に近いところにいたからこそ、多様性の難しさを感じたところはありますね。
熊本地震があった後に、友人から「2016年レインボーパレードで、周りを元気付けよう!!」という誘いがあったんです。
その当時、まだ公表できるような状態の人たちは少なかったから、それを前に出しながら手伝ってくれる人を探している、というのをFacebookで見たのがきっかけで、ボランティアスタッフとして参加しました。
やってみたからこそ、いろいろ感じることはありましたね。
2016年のパレードが終わったときの反省会で、僕はみんなに「このパレードは意味がないんじゃないか。結果的に社会的インパクトを残せたのか?と言えば、僕はそこまで感じていない。」と伝えたんです。
肌感的に、パレードはやったけど、僕たちの周りはあんまり変わらなかった感じがして。
でも、その時に返ってきたのが、当事者からの「楽しかった」という声だったんです。
その声を聞いて「あ、そうなのか。あの日だけでも堂々と歩くことができることを楽しいと感じてくれている人がいるのか」ということを知りました。そして、もしかしたらパレードにもちゃんと意味があるのかもしれない、と思うようになったんです。
『(参加者や当事者を内、社会を外として)外向きのインパクトだけでなく、内側へのインパクトとして考えるのであれば、そこには意味があるのかもしれない』と。
2018年に、もう一回やりたいという話が持ち上がりつつも、みんなリーダーはやりたがらなかったんですよね。顔も出るし、目立つから。
そのなかで、じゃあやろうかなと思って手を挙げたら、「最初は、過激すぎるからやめた方がいいよ」と言われ、、、
僕もそこは同意だったのですが、、、(笑)
結局他にやってくれる人がいなかったので、最終的には代表をすることになりました。
じゃあ、せっかくなら、社会的インパクトのことは考えず、みんなが楽しくやれることを中心にやろう、と試行錯誤しながら、運営をしました。自分たちでお金を集めるためのクラウドファンディングにも挑戦したりして。
クラウドファンディングをやるきっかけになったのは、2016年のパレードの際に終わってからのアフターケアが何もなくて寂しかった、という声が多かったことがきっかけでした。
パレード後の交流パーティーを無料で行いたくて、クラウドファンディングに挑戦したんです。
歩いたはいいけど、その後、解散した後の寂しさが半端ない、と。
その声を聞いて、アフターケアの大切さを見にしみて感じましたね。
実際、支援金も集まり、クローズに近いオープンなパーティーを意識してアフターパーティーを開催することができました。
そのパーティでは、もちろん色々な方が交流をしていくので、今までだったらありえないような交流が生まれるのも面白かったですね。
また、「みんなにとって垣根のないものを作らないとな」というところを感じて啓発活動を続けているのかなとも思います。
友達のためになりたい、というのが一番大きいですね。
自分の知ってる人が、泣いたり困っているのを見るのが苦しいんです。
現場レベルじゃ伝わらないし、、、難しい話をされても、、、と思うことはあるけれど、そういうのを見ていると、何かやらなきゃなという思いを抱いたりします。
自分の活動が社会を変えるとかは副次的なものという位置付けで考えてますね。
まずは自分の身の回りで起きていることをなくしたい、という思いが強いです。
もしかしたら、みんなよりは志は低いかもしれないけど、モチベーションは高いと思ってます。
そうですね。
究極的には、食って寝てセックスして寝るだけで十分なんですよ。
後は遊んだり、(軽めの)仕事をしたりして。
極端な話、そこに行き着くし、できるところで手伝えるところが毎回タイミングが変わってくるというだけだと思います。
そうですね。
福岡では行われているけど、熊本では行われてなくて。
ちなみに、第1回レインボーパレード福岡15年前くらいに行われていて、そこにも参加していたりもしたんですよ。
その時に気付いたのは、自分たちに手を振ってくれる人もいるけど、しかめっつらの人もいるということでした。もちろん、見向きもしない人もいましたね。
でも、本当はその人たちに伝えないといけないと思うんですよ。
正直、手を振っている人たちに届いても仕方ないよね、という思いがあって。
実際、あの頃から、あまり変わってないし、当事者とそれ以外じゃ食い違う部分もあるのではないか、思うところはありますね。
難しいよね。
ただ、いつも思うのは、NOって言わないで欲しいだけだよね、ということ。
「嫌だ、気持ち悪い」と言われるのは構わないけど、好きっていう気持ちだけは許して欲しいなと思うんです。
もしあなたの友達から想いを告白されたとき。
その時だけは「ありがとう。でも、その想いに応えることはできない。ごめんね」くらいにして欲しいなと思います。
表出するのは構わないけど、誰が見てるかわからないから、閉じられた中だけで言っていた方がいいこともあると思うし、気持ちを伝えたからといってその気持ちがなくなるわけではないことは知っておいて欲しいですね。
後は、タブーを許さないのはやめた方がいいと思ってます。
タブーを作れば作るほど、人は言わなくなって、闇になるんですよ。
闇は闇しか生まないから、そこを変えたい、そこで苦しんでいる人を救いたいという気持ちはありますね。
後は、わざわざ表立っていう必要はないけれど、近しい人にも言えない状態なのは良くないのかなとも思ったりします。
相談くらいはできる関係の友人は3人くらいいた方がいいのかなと思っていて。
せめて、その3人だけには心を許して話せるような関係性の人がいるといいですよね。
1人もいない状況を作る環境とか社会とかを作るのは良くないし、全く関係ない人なら誰でも相談して構わないはずなのになぁ、と思ったりします。
実際、福祉系の職種の人たちにでさえ、相談だとしても言いづらいタブーが生まれてしまっている現状があると思います。
実は、HIVの人たちは薬物中毒の人たちがいるんですよ。覚醒剤経験者とか。
でも、それを言えない現状があって。
友達にも言えないし、相談できる機関もない。
それはきっとタブーがあるからだと思ってます。
コミュニティとして、タブーを犯す人はいるものとして考えなければいけないと思うんですよ。
だから、反則技を許さない社会は良くないんじゃないかって。
その言葉自体がペナルティ化してしまうと良くないなと思ってます。
実際、僕(忠明さん)にしか、HIVであることを打ち明けることができてない人がいるんです。
HIVって言うと、悪いセックスをした人たち、というイメージがまだあるみたいで。
そういう、HIVのイメージの悪さで苦しむ人を救いたいな、っていう想いもありますね。
参加してみて、運営の人たちの思い入れがすごく強いのが伝わってきています。
講師人もとてもユニークだし。
期待しすぎるとその反動が大きくなってしまうから、何かしらこれで変わるんじゃないかとかは下手に期待はしないけど、ここまでできた、を感じたいですね。
かといって、そこで諦めたくない気持ちももちろんあります。
自分としては、「ここまでできた」にどこまで貢献できるかを考えていますね。
人を変えることは本当に本当に難しいけど、でも、ちょっとくらいは変わるんじゃないか、と思っています。
企画事態が、すごく面白い企画だと思います。
正直、最初は批判しか来ないかもしれないし、手応えもないかもしれない。
でも、最初はみんなそうじゃないのかなと思います。
初めてのことだからこそ、運営メンバーが楽しんでやることが大事です。
運営のみんなは、僕らや上の世代のやってきたことをしっかりと見てきたZ世代だと思います。
そしてその上で、Z世代は「綺麗事」を堂々と使用としている世代だと思います。
それに関わることができるだけでも嬉しいし、僕らや上の世代も学ぶことが多いな、と感じています。
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