コラム17: 「あいまい」を許容できるという精神的成熟
物事を「AかBか」の単純な二択で判断し、すぐに結論を出したがる人がいる。しかし、現実は二項対立に収まらない曖昧さや多様性に満ちており、すぐに結論を出すことが最善策ではない場合も多い。
「AかつB」という複雑な状況を理解し、許容することこそ、知性や精神の豊かさを育むうえで重要であると考えられる。
ある物事に対して「Aでもあり、Bでもある」というように多面的に捉える能力は、精神的キャパシティの広さを象徴する。それは、他者や状況を単純な善悪や成功・失敗といった一方向の軸で裁かず、その背景にある意図や状況、感情を想像する余裕があるということだ。この柔軟性は、知的成熟と精神的な落ち着きから生まれるものであり、簡単に培えるものではない。人間関係やビジネスの場面でも、曖昧さを許容しながら物事を進める力がなければ、逆に多くの摩擦や対立を招く恐れがある。
直線的な思考の限界と危うさ
一方で、常にAかBかを選び、それを即座に実行し続けるという生き方には、意外なほどの体力と精神力が求められる。たとえば、何事にも白黒をつけようとし、迷いなく行動に移す人は、どれだけの自信やエネルギーを持っているように見えるかもしれない。しかし、すべてを二元論で片付けることは、思考を単純化しすぎる危険性がある。さらに、そうした行動は、自分が間違った選択をしている可能性や、意見の対立を避けたいという不安を無視しがちだ。これは、一見強靭な意志に見えて、実際には視野を狭める結果にもつながりかねない。
そもそも、物事を二項対立で判断し続けるのは、誰にでもできることではない。凡人以上の体力や精神力がなければ、すべての行動を決断と即実行というサイクルに当てはめることは難しい。しかし、それができない状態を「弱さ」や「欠如」として認識できないのは、精神的・知的に貧困な状態にある証といえるだろう。真の強さとは、単に決断と行動を早めるだけでなく、変化や曖昧さを柔軟に受け入れることでもある。
曖昧さの中にある「思考の余白」
現代社会において、曖昧さや多様性を抱える力は、ますます求められている。グローバル化や技術の進化により、私たちは複雑で相反する価値観や立場に日常的に触れるようになった。その中で「AかBか」を急ぐのではなく、時には結論を出さず、曖昧さを残したまま考え続けることの大切さを理解する必要がある。結論を急がず、曖昧な状態を保っておくことには、思考をさらに深め、より広い視野で物事を見る「余白」が生まれる。これは新しいアイデアや解決策が生まれる土壌でもあり、豊かな思考の根本にあると言っても過言ではない。
結論を急がず、耐える力を持つ
結論を出さず曖昧さを残しておくのは、不安定で不安を生むこともある。人は往々にして、すぐに決断を下し、何かしらの方向性を示すことで安心したがる。しかし、「AかつB」という状況を受け入れ、今すぐに結論を出さなくても良いと考えることは、思考力や精神力を養う貴重な機会でもある。こうした耐える力こそが、知性の高さや精神の成熟を示す証でもある。
知的に豊かであることは、単なる知識量の多さや判断の速さではなく、むしろその反対であることが多い。物事を複雑なまま保持し、不確実性を受け入れる精神の豊かさが、人間性をより深くする。曖昧さや多様性を許容することで、私たちは相手の背景や価値観を尊重し、自分とは異なる立場に立って考える余裕を持つことができる。この柔軟な視点こそが、真の知的成熟と豊かな人間関係を築く基盤となる。