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人に何かを教えるとき、それは自分が教わるときでもある

最近、noteのプロフィールを変えた。
実はちょこっとずつ変えてる。
最初はnoteのことをまだ信用していないので、用心して。最近はちょっと心を許して、もうちょっと詳しく。

そのプロフィールの中に「たまに習字」とある。

子どもの頃、母から無理やり行かされたお習字教室。まだ5才と小さかったのと、学区外で知らない人ばかりだったので、人見知りのワタシは行きたくないと泣きながら父と母の送り迎えで、毎週通ってた。

…あれから40年。

ワタシは今でも自宅で、毎月届く競書に自分の名前を探し、締め切りまでに、子どもとお習字を書いて提出している。



田舎に越してきた時、定職につかず、ふらふらしていた。そんなワタシを心配したお習字の先生が電話で、「ごろちゃん、あなた自分の子どもにお習字教えなさい」と。

外階段を登った二階のお習字教室。先生が教える真後ろに、昔ながらの黒電話があった。半分くらい銅褐色の小銭のたまった、でっかいガラス瓶に、そーっと音を立てずに10円入れては、みんなの前で電話するのが恥ずかしくって。小さい声で「お父さん、お迎えお願いします」って頼んでた。

当時先生夫婦は50代。今は90歳の女先生だけになってしまった。その先生からしたら「ごろり」は40歳を超えてもいつまでも「ごろちゃん」。電話の声はいつまでもお元気だ。

お父さんを亡くして無理に明るく振る舞ったときも、結婚して苗字変えるときも、片親置いて遠くに引っ越さなきゃいけないときも、全部女先生が相談に乗ってくれた。


女先生に言われたんだったら、しょうがない…仕事も決まらず、やさぐれていたワタシは、当時5年生の娘と5才の息子に自宅でお習字を習わせる。もちろんそこに彼女、彼らの意志はない…

一応師範の資格を持っているものの、人前で披露することもなく、今まで生きてきた。それを生かして、ヒトに何かを教えよう、とか思ったこともない。とにかく自分が、楽しくて続けていただけで…

子どもに教えるってどゆこと。
子どもにしつけ以外で…しつけらしいことも教えてないけど、それでもと、一応先生はどうあるべきかを模索する。

しかし親子での師弟関係はかなり難しい。昔、相撲部屋に入門する貴乃花や若乃花を見ていた時「もう、お父さんって呼べないんだね…」って勝手に感情移入してた。まさか自分がそうなるなんて…子どもたちはいつまで経ってもママって呼んでるけどね。


女先生も「うーん…どうかなまあ教えてみなさい」と二の足を踏んでいた。そう言えば娘さんはお習字の先生やらずに、今は介護士さんとして働いてる。女先生んちもイロイロあったのかも…

子どもたちを教える上で、最初から気になる点もあった。子どもたちがやりたいといい出してお習字を始めてなかった。
…大事なことだった。

何でやるんだ、
上手くなってどうするんだ、
やりたくない。

毎回どっちかがもう辞めるとゴネだす。教えるのが他人だったらこんなことにはならない。「ママ」だから。しかし「ママ」のまま教えなくてはならない。

最初に正座して挨拶する、とワタシは教わった。自由奔放に育てたうちの子どもたちにはそれが伝わらない。まあ、書くんだったら、なくてもいいか。とこちらもだんだん柔軟になっていく。

こんなの先生と言えるかな。子どもとの駆け引きに手探りの「先生」が続く。

ある日女先生に、
ーー先生、息子に直すところを言っても全然聞かないんです、と弱音を吐いた。

「ごろちゃん、ごろちゃんの子なら言わなくても自分でかけるから大丈夫。余計なことは言わなくて見てればいいから」
ベテラン先生はそう言う。

こちらの習ってる子にも見せたいから、子どもの書いた字を送って、と女先生に言われる。字を見たら大体性格がわかるからと、遠くにいてもワタシもワタシの子どももいまだに見守ってくれる。


字を習うなら、言ってしまえば一人でもできる。何なら一人の方が静かではかどる笑。教えるってこんなに心乱されることなんだ。もうこっちだって教えたくないよ〜って、さじを投げることもできたけど、とにかくやめずに「先生」を続けてきた。

困ってることがあればまた女先生にまた泣きつこう。息子がまだ字を書く限り、子どもに教えて子どもから教わろう。甘ちゃん「先生」は変わらずに…

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