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曲とともに去りぬ

昨日の投稿でワタシの育ってきた過程で聞いてきた音楽が、走馬灯のように思い出された…ワタシ死ぬの?音楽を知られることで丸裸にされるようで少々恥ずかしい…自分で脱いでるのでは。しばらくお付き合いいただきたい。

父の叔母たちは家庭用のカラオケ機を家に置いていた。…あの黒い場所を取る、当時結構な家庭で鎮座していた。家に遊びに行けば、大叔母たちの好きな曲を覚えさせられ、よくみんなの前で歌わされた。その後「裸の大将」でおなじみの山下清を演じた芦屋雁之助の「娘よ」。水前寺清子が先か細川たかしか「浪花節だよ人生は」。ウン十年たった今も、一番くらいはそらで歌える。娘の結婚式には「娘よ」を歌うつもりでスタンバっている。

小3の時、くもんの日だけ一緒に帰る友だちのカズエさん。松村和子の「帰ってこいよ」を校庭の裏山で暗くなるまで口伝てで教わり、くもんの宿題を一緒に片付けた。おかげでワタシも公文式。

友だちのサクラちゃんは4つ上のお兄ちゃんから借りたと言って、渡辺美里のカセットテープをマタ貸ししてくれた。「さくらの花の咲く頃に」をテープレコーダーで聴いた。その後誕生日プレゼントにラジカセを買ってもらう。初めて買ったCDが「eyes」。「18歳のライブ」の歌詞がピュアでかわいかった。

ちょっと大きくなって7つ上のアヤコさんのお姉ちゃんがはまってたX。(JAPANないころ)「Jealousy」のCD2枚あるからごろねだちゃん、聴いてみてともらったけど当時のうぶなワタシにとってアルバムのジャケットがセクシーすぎてなんだか親に見せられない。これって大人への入り口…

父からもその頃安く売り出されたポール・モーリアサイモン&ガーファンクルのCDを与えられ、小学校の卒業文集に好きな曲はサイモン&ガーファンクルの「ボクサー」と背伸びして書いたためにクチの悪い男子にその前の質問が将来なりたい職業だったから、「オマエボクサーになりたいのか」と言われる。ちっ、こどもめ。

中学生になると、2つ違いのお姉ちゃんがファンで集めてるといって友だちからB'zのシングルCDを「これいいから」と山程渡され、先輩からだからと必死に聴いた。いまだに年上の夫と話が合うのはそのせいかも…B'zのカップリング曲まで聴いてたから。「太陽のコマチエンジェル」が「太陽のコマネチエンジェル」の文字が頭に浮かんでくるのはなぜだ。

19の時に美里ちゃんが、地元に来るとのこと、舞い上がって一人で初めてコンサートに行った。ちっちゃい体で声量すごかった。厚底の靴を履いていたから小さいと思ってたけど、確認したら158センチって公表してるからまあそれなりにあるのか…

好きな人に告白して振られた時、後ろで流れていた曲は桑田佳祐&Mr.Childrenの「奇跡の地球」。音楽番組でちらとでも流れてくると、不意を突かれるので、あの時の熱い夏のチクチクした思い出に有無を言わさず、引き戻される。

大人編につづく…



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