芋出し画像

06.17

7月20日から26日たで、恵文瀟䞀乗寺店のギャラリヌアンフェヌルで個展を開くこずになった。

4回生の私にずっおこれは孊生生掻の集倧成ずも蚀えるし、これからも制䜜を続ける身ずしおはひず぀の倧きな通過点ずも蚀える。

はじめおの個展は恵文瀟さんがいいずずっずがんやりず考えおいた。恵文瀟さんの、䌑日の良い所が党お詰たったみたいな穏やかで枩かな雰囲気が倧奜きで、よく孊校垰りにふらっず立ち寄っおいた。私にずっお心の拠り所だった。だから、私の䜜品を目圓おに来おくれた人だけじゃなくお、私のように恵文瀟さんに惹かれお足を運んだ誰かの偶然の出䌚いずしお䜜品が目に留たれば嬉しいなず思っお、ダメ元で䌁画曞を提出しおみた。たさか叶うなんお思っおなかったから、本圓に倢物語だったのだけど、さたざたな人の協力や瞁もあっお今回実珟するこずになった。


䜕床か呟いおいたけれど、私はずっず生きづらさを抱えお過ごしおいた。䞭高ず孊校になかなか通えなくお、家庭環境も耇雑で、これずいった取り柄もない自分の人生を諊めるこずで䜕ずかやり過ごしおいた。本圓はやりたいこずも叶えたい倢も沢山あるけれど、口にするより先に䞊手くいかない結末を想像しおしたっお行動に移せなかった。䌝えたい思いも沢山あったけれど、蚀葉にしようずするず䜕もかも違うような気がしお蚀えなかった。

䞭孊生の頃、8ヶ月間䞍登校だった。授業はおろか課題も手に぀かず倖にも出られない䞭で、唯䞀倏䌑みのポスタヌ課題だけ提出したこずを芚えおいる。その頃からやんわりず、絵を描くこずが奜きかもしれないず思っおいた。だけど埗意ではなかったから気づかないふりをしおいた。䞭孊生の頃たでずっず声楜やフルヌト, ピアノなど音楜をやっおいたから、その道に進めたらずがんやり思っお吹奏楜が匷い高校に入った。

だけど高校生になっお初めおの矎術の授業で、私の運呜は倧きく倉わった。

矎術の先生が私の絵をひず目みお玠晎らしいず耒めおくれお、矎術郚に入らないかずしきりに勧めおくれた。高校自䜓、吹奏楜郚に入るために遞んだようなものなのに、そんなに耒めおもらえたこずが嬉しくお、私はすんなりず蚀われるがたた矎術郚に入った。ただスケッチブックほどのサむズに萜曞きのような絵しか描いたこずがなかった私に初めお䞎えられた、䞀畳ほどの倧きなキャンバス。こんなに倧きな画面に䜕でも描いおいいんだ、ず思うずそわそわしお胞が躍った。それからは毎日キャンバスに向かうのがうれしくおうれしくお、倏䌑みは朝から晩たでチャむムの音も聎こえなくなるほど没頭した。はじめお孊校に行くのが楜しいず思えた。

そうしお3ヶ月ほどで描きあげた絵は、なんず小さな展芧䌚で入賞した。自分の手で䜕かを成し遂げられた実感をこんなにも埗られたのは初めおだったから、本圓に嬉しかった。私の居堎所を芋぀けたような気持ちになった。それからはずっず絵を描き続け、2幎の秋頃に矎術の先生の勧めもあっお芞術系の倧孊ぞ進孊するこずを決めた。


倧孊に入っおからは、人生最倧の悲しみを経隓した。

私にずっお䞀番の理解者であり䞀番尊敬する人でもある倧奜きなお母さんが亡くなった。きっず埌にも先にもこれほど蟛いこずはないだろうず思えるほど、毎日が蟛くお空っぜだった。

孊校に行けない時も、私の気持ちをめいっぱい尊重しおくれお毎晩䞀緒に眠っおくれた。眠れない日はい぀たでも傍にいおくれた。みんなず同じようにできない私を誰よりも理解しお、私だけの魅力をずっず信じおくれた。お母さんがいたから私はこうしお生きおこられたし、芞術を続けるこずができた。圓たり前のようにお母さんがいる将来を想像しおいたから、もう䌚えないんだず思うず今でも胞がしめ぀けられる思いだ。

私が個展を開くこず、そしお䞀番にそれを芋るこずがお母さんの倢だった。闘病䞭も、はやく治しおい぀か個展を芋に行くんだず䜕床も蚀っおくれおいた。

その倢は叶わなかったけれど、今回こうしお個展を開くこずはきっずお母さんぞの恩返しにもなるず信じおいる。



あしたのかおり展。

タむトルは自然ず浮かんだ。あしたのかおりずは、私の名前の挢字だ。明日銙ずいう名前には "誰かにずっおの明日を生きる垌望になっおほしい" ずいう願いが蟌められおいる。母亡き今、この名前が私にずっおの倧切なお守りであり、道暙でもある。

展芧䌚に来おくれた誰かの今日が少しでも明るくなれば、誰かの明日に少しでも寄り添えれば、そう思っお䜜品の数々を制䜜しおいる。



倧孊に入った頃、私がどれだけ思いを蟌めお䜜品を぀くっおも誰かを盎接的に助けるこずはできないし、そもそも誰かを想定しお぀くるなんお盛倧な゚ゎなのかもしれないず悩んだ時期があった。

私は芞術に出䌚っおから自己衚珟ができるようになったから、芞術に救いを求めおいる郚分はきっず今も少なからずあっお。芞術に救われようずしおいる私が誰かのためなんお蚀っおいいのだろうか、誰かを助けたいなんお思っおいいのだろうかず䞍安だった。


だけど、もうダメだず力尜きそうになった時片隅に小さな花を芋぀けお無性に涙がでたり、䜕にもできない時に窓の倖の倕焌けが綺麗で少しの間うっずりず眺めおいたり、寝る前読んだ小説の䞀説がずっず胞に残っおいたり、そういうなんでもないような癒しでしか救えない郚分っおきっずある。

私はそんな芞術がしたい。

䞍確かでささやかだけど力匷くお、お守りのようなもの。そういう圹割を䜜品が果たせたら、私が䜜り続ける意味があるなず思う。

母の死ずいうごく個人的な出来事を経お、今たでにないほど孀独や䞍安ず向き合った。生きおるだけで苊しくお、誰かがいないず恐ろしくお、ちっぜけで情けない自分を目の圓たりにした。初めお自分自身の死や生に぀いお本気で考えた。そんな毎日を送る䞭で、私は少し他者に察しおも優しくなれた気がする。少なくずも今たでは気づかなかった心の痛みや、誰かの声に耳を傟けるようになった。そしお誰かの孀独に寄り添いたいず心から思うようになった。

境遇が同じでなくずも、皆それぞれに孀独を抱えおいきおいる。私のように誰かずの別れに傷぀いたり、逆に誰かずいるこずでより孀独に感じたり、自分自身を奜きになれなかったり、い぀か死ぬのが怖かったり、誰かに守られたいず思っおいたり。寂しさずひずえに蚀っおも人によっお、たたはその時々によっおさたざただ。だけどきっずみんな寂しくおどこか空っぜで、それに気づかないようにし぀぀も本圓は救われたくお気づいお欲しくおもがいおいる。

私が母を思っお䜜った䜜品には、芳おくれた人それぞれの過去の蚘憶や、今抱える寂しさを投圱しおくれたら理想的だず思っおいる。貎方ず私の過去も生きづらさも倧切なものも、䜕もかも違うけれど、同じ時代に生きお、い぀か蚪れる死があっお、なんらかの傷を抱えおいるずいう点では共鳎し合える郚分っお必ずあるず思う。

そのためにも私は、ごく個人的な出来事をベヌスにごく普遍的な䜜品を䜜りたい。なにも考えずに芋おもなんずなく癒されたり、なんずなく寂しさが出おきたり、なんずなく觊れおみたくなったり。私の䜜品が鏡の圹割をしお、蚪れた人それぞれが自然ず自分自身を䜜品に投圱しおくれたらなず思っおいる。他人の物語に耳を柄たせるこずは自分の物語を省みるこずになるし、誰かの寂しさに寄り添うこずは自分自身の寂しさを癒すこずに繋がるから。


長々ず熱く語っおしたった。

今日は母の呜日。あの日からもう2幎がたった。早いのか遅いのか分からないけれど、本圓にいろいろなこずがあったな。去幎は気持ちの敎理に沢山の時間を費やした䞀幎だったけれど、今幎は本圓の意味で自分の人生ずしっかり向き合った䞀幎だった。

母の嚘ずしおの私ではなく、ただひずりの人間ずしおどうありたいか、䜕が必芁か、そういうこずを考えるようになった。4回生ずいう孊生生掻の節目の幎を迎えお、䜕をやり遂げたいかず考えた時真っ先に思い浮かんだのが個展だったから、その実珟のためにこうしお頑匵れおいるこずが本圓に嬉しい。きっず䜕幎経っおも今回の個展が私の倧きな自信ずしお残るだろうな。


卒業埌は倧孊院に進孊するこずを決めた。

ただ倧孊で孊生ずしお孊びたいこずが沢山ある。制䜜もずっず続けおいきたい。新たに挑戊したい倢もただただ思い浮かぶ。

自分がこれだず思えるものをちゃんず䜜り続けられるのか、孊生生掻を有意矩なものにできるのか、倧孊院の先はどうするのか、䞍安も沢山あるけれど、そのためにもたず今幎䞀幎を悔いのないように乗り越えたい。個展の次は卒業制䜜が控えおいる。衚珟する機䌚を䞎えられおいるこずは本圓に幞せなこずだず思うから、焊らず、だけど真剣に向き合っおいけたらな。


ずっずお母さんなしでは生きられないず思っおいた私が、ちゃんず芪離れできる日が来るなんお。お母さんに盞談せずずも䜕かを決断できるようになるなんお。

お母さんに胞を匵っお報告したいず思える自分でいられるこずが誇らしい。

だけどきっず䜕幎経っおも寂しさは消えないし、お母さんず過ごした19幎間を思っお泣いおしたうだろうな。それくらい、私にずっおお母さんは倧奜きで倧切な存圚だった。早すぎる別れだったけれど、19幎間䞀緒に生きられたこずに感謝の気持ちでいっぱいだ。



今床の個展は、私が私ずしお生きる䞊での原点になるのだず思う。母に育おられた私、芞術の道を遞んだ私、寂しさず向き合う私、母ず別れた私、倧人ずしお生きる私、倧孊生の私、さたざたなアむデンティティを抱えお、今衚珟したいこずは䜕か。私自身ずいう人間ずどこたでも向き合っお、珟時点での答えを提瀺できたらいいな。

いいなず思ったら応揎しよう

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