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5月8日(土)

最近、キッチンに腰を下ろすことが多い。
わたし一人が立つだけで十分になってしまう狭いキッチン。床に体育座りして、ぼーっとしたり考え事をしたりする。
これを書いているのも、お風呂上がりに温かいお茶を飲みながら、落ち着く定位置というものがちゃんとあるのでちょこんと座る。
少しおしりが痛いなとか、外の音が聞こえる、風呂の匂いがする、隣人さんが何かやってるなとか、自分のテリトリーだけれど、ちゃんと外の音が入ってくるというところを気に入っているのかもしれない。

もともとそういうところが好きなのだと思う。内と外が混ざり合うような場所。
いちばんは祖父母の家で、所謂日本家屋だから内と外の境界線が曖昧だ。自分の輪郭が溶けていくような、全部混ざっていくような感覚がして心地いい。
下宿先のアパートは壁で仕切られているから、窓をピシャッと閉めれば何も聞こえない空間になってしまう。
もう5月で、窓を開けるくらいなら差し支えない程度にはあたたかくなってきた。だから積極的に開放したい。朝は鳥の声に起こされるし、昼は誰かの足音とカーテンの揺れる音、夕方は近所のお子さんが元気よく泣いている声、夕飯の匂い、夜は山の気配が入ってくる。幸せな空間だと思う。


そういえば1ヶ月ぶりのnoteだ。
実は下書きをちまちま書いたりしているのだけれど、「タイトル未設定」がずらりと並んでいるだけでどれがどれだかわからない。
これは別にツイートすればいいや、と思って放置している記事が大半である。

それから、今日は心療内科に初めて行った日からちょうど半年の日でもだった。
パニック障害の治療はなかなかに順調で、この間の診察では、バスや電車に乗れるようになった、スーパーで買い物できる時間が伸びたという話をした。いい調子ですね、と先生も言ってくれてなんかほっとした。始終和やかな雰囲気だった。
ご時世がご時世だったり、あるいは別のあれこれだったりで不安は尽きないのだけれど、ちゃんと進歩しているというのは嬉しいものだなあと思う。できることが増えるのは喜ばしい。

ただ、困ったこともあって、最近は発作かどうか区別のつかない小さな発作が起こる。何となく息がしずらいとか、ちょっとずつ頭が真っ白になっていくとか。薬を飲んでじっとしているとなくなるので、今のは発作だったんだと後で分かる。
以前は大きな発作がドカンと来ていた。その日の全部の体力を使い果たしてしまうほど。だから大変ではあるけれど「ああ、いま発作中ね」とどこか冷静な自分もいた。 
今はSOSが掴みにくくなった分、少し厄介だなと思う。
これは回復の途中である証拠だろうからあまり構わずにいたい。治りかけのカサブタが痒くて辛いみたいなああいう感じだろう。

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最後に最近の写真でも載せておこうと思う
毎日飽きずにパシャパシャとやって
自分の撮った写真が好きだなあと自惚れている

群生するポピー

大きい手、小さい手

黄昏


おしまい

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