大きな虹を見た。 半円の、大きな大きな虹。 あまりにも美しかった。 空に虹色の橋がかかって、これは現実なのかと疑ってしまうほどだった。美しい景色を見ると、それが目の前で起こっていると認識するまでに時間がかかる。 パノラマで全貌を写したけれど、これでは虹の大きさが伝わらない。 体ごと使って、ぐるりと空を見上げるのはなかなかに愉快だった。 周りの人もみんな立ち止まってしばらくそれを見ていた。 スケッチのために外に出たのだった。 鴨川デルタまで行ったのだけれど、連日の雨で川
あちらこちらに花が落ちていた。 雨に打たれて散ったのだろう。 バケツをひっくり返したように降っていた雨は幾分か落ち着いた。山の麓に住んでいるから一時は避難もしたけれど、特に大事は起こらなくてよかった。 夕刻の太陽が濡れたアスファルトを照らしていた。せっかく晴れたのだから外に出ようと思って、大学に本を返しに行った。 穏やかな西日。 包まれるような暖かさに、なんだか自由な気持ちになった。土の中から出たばかりの芽はこんな風にのびのびとした気持ちになるのだろうか。 雨ばかりだ
晴れた。 もう梅雨は開けたのか、それとも今週がまぐれなのかはわからないが、とりあえず天気予報に晴れマークが多くて少し嬉しい。 雨は嫌いじゃない。 例年、梅雨はワクワクする。 ただ今年は(というか今年から)天気の不安定さが心身に響いてなかなかに困る。 洗濯物が早く乾いた。 風が強くてカーテンが勢いよく持ち上がるが、レールにひっかけた服たちのせいで半分しか持ち上がらない。やわらかいカーテンが折れているみたいに見える。 なんだか不格好で嫌だなと思ったので、服を開けてない窓側へ移
最近、キッチンに腰を下ろすことが多い。 わたし一人が立つだけで十分になってしまう狭いキッチン。床に体育座りして、ぼーっとしたり考え事をしたりする。 これを書いているのも、お風呂上がりに温かいお茶を飲みながら、落ち着く定位置というものがちゃんとあるのでちょこんと座る。 少しおしりが痛いなとか、外の音が聞こえる、風呂の匂いがする、隣人さんが何かやってるなとか、自分のテリトリーだけれど、ちゃんと外の音が入ってくるというところを気に入っているのかもしれない。 もともとそういうところ
2021年4月8日、今日をあんぽんたん記念日とする。 ◇ 寝惚け眼をこすりながらごみ捨てに行った。 早朝でも、すっかり春の陽気であたたかい。山から風が降りてきて、脳内にやわらかい緑が芽吹いた。 今日は午前中に諸々の予定を終わらせて、午後は本でも読んでゆっくり過ごそうと決めていた。 本当は春課題を進めた方が良いのだけれど、気持ちより体調を優先させた。PMSがなかなかに厄介で困ってしまう。漢方が効いてくれたら嬉しい。 大学で少しだけ用事を済ませて、それから買い物。少し歩い
雨の日は無性に泣きたくなる。 それは悲しいとか虚しいとかそういう冷たくて孤独なものではない。 「帰りたい」と思う。 わたしはいま下宿先、つまりは自分の家にいるから帰っているし、実家に帰るとはまた違う。実家にいるときだって雨の日はそう思う。 帰りたい。 一体どこに帰りたいんだろう。 ◇ 恵文社さんに行った。 いつもInstagramで本はチェックしているのだけれど、行くたびに目的の本を探し回るのは違うなと思って結局違う本を買う。 その時のその時の出会いを大切にしたいのだ
下宿先に帰ってきた。 京都に入ると「ああ、京都だな」と思う。 その感覚は毎度の事ながら不思議だ。 街並みのせいか、あるいは歴史のせいか、昔あったものを大切に残そうという意識がそういう空気を作り上げているのかもしれないね、なんて父と話した。 今日はさすがに疲れが溜まった。 早い時間に実家を出て、京都に着いてからは喘息を診てもらっている病院に行って、それから一度下宿先に戻り、父が仕事を終えるのを少し待ってから買い物に出かけた。 新しいお皿を3枚買ってもらった。 食器はハマっ
窓を開けていた。 日曜日にふさわしい雨。 二度寝から起きてしばらくの間、ベッドの上で雨の匂いと鳥の声に微睡んでいた。 雨の日の寝起きの空気は、どうしてあんなにも至福で満たされるんだろう。湿気の多い空気とどこからか運ばれてきた土の匂いで、ぬるいお風呂に浸かっているときのような、ぼうっとして緩んでいくような。 ずっとこの時間が続けばいいのになあ、と思いながら重い身体を起こした。 街ゆく人が、傘をぷかぷかと浮かせていた。 車のワイパーが規則的に揺れて音楽みたいだと思った。 今日は
今日は雲も厚いし、夕日は拝めないかなと思っていたらすごい空を見た。 厚い雲と山際に挟まれて、太陽の光が扇状に向かって広がっていた。こんな夕暮れもあるのだということを19年生きて初めて知った。 ◇ 夕方、散歩に出かけた。 何を見るでもなく上の空で歩いた。 暑いと思って半袖で出たら風が冷たくて、早々に帰った。 桜はもうほとんどが葉桜になっている。 桜の花びらの絨毯は気持ちが良さそうだった。 春には桜の、秋にはイチョウの葉っぱの絨毯で眠れたらどんなにか気持ちいいだろうなという
実家に帰る度に、ちまちまと本を読み返している。 昨晩は頭が冴えて眠れなかったので、森沢明夫の『虹の岬の喫茶店』を読んだ。 ちいさなライトをベッドの上に置く。窓を開けて、寝転がって読む。おお、贅沢な時間だなあ、虫の声にやさしい言葉に、なんて思っていたらいつの間にか寝ていた。 わたしの部屋には、祖父お手製の大きな本棚があって、その中央部3列は小説やら漫画やらで埋まっている。ほかは父の本とアルバムのスペースになっている。 持っていた本は、ひとり暮らしを始めるときに半分ほど処分して
家にこもっているのもなんだしなと思って、夕方に少しだけ近所を散歩をした。 散った桜で道が綺麗に彩られていた。 風に吹かれてコロコロと転がる花びらは、まるで追いかけっこをしているようだった。可愛らしいと思う。 桜は満開の頃より少し散ったくらいが好きだな。 若葉が出てきた桜の木はやさしさの塊みたいで見ているとホロホロになる。 花びらの絨毯を歩いたり、風や車の通りで舞い上がってキラキラとしているのを見たりすると嬉しくなる。 散り際まで美しい。桜は紛れもなく春の主役だった。 道
3月も終わり。 久しぶりに空を撮った。 いつも18時に日が落ちるからと思って空を見たらまだ太陽がいた。今日の日の入りは18時12分だった。 意気揚々とカメラを構えたら建物が映る。 おかしいな、撮るの下手くそになったかなと思ったけれど、日の入り場所が北に少し傾いているのだった。ちょっと撮りずらいなと思いながらシャッターを切る。 季節の変化を感じた。 ◇ 久々にほぼ日手帳を開いて、予定やら何やらを書き込んだ。それだけで冷や汗が出た。 カレンダーが文字で埋まっていくのは怖
散歩に出かけた どこを見渡しても春だった 目が回りそうな でもちょっと愉快な気持ち 「幸せだなあ」という言葉が自然にこぼれた この一年間、人間は大変だったけれど 自然はそんなこと知らない どこまでもどこまでも美しくて豊かだった 2021.3.27
雨上がり17時。 部屋に射し込む光を見て外に出なくちゃ!と思った。 急いで着替える。 最近買ったばかりの白いTシャツに黒いパンツ、お気に入りのカーディガンを羽織って。 左のポケットには飴玉3つ、右のポケットには携帯と頓服薬。手には水筒。それがわたしの外出セットだ。 近くの池のある公園に行った。 いちばんの目的はこの子だった。 まだ満開ではなかったけれど、可愛らしく咲いていた。 つぼみは今にも弾けそうだし、これから樹木はぽわぽわになっていくのだろう。 花びらが夕陽を透かし
ひこうき雲が追いかけっこをしていた。 やわらかい春の夕空。 ** 夢を見た。 死に関する夢で、初めは死ぬのが怖い怖いとばかり思っていたけれど、最後は光になって満たされた気持ちのまま消えていくという夢だった。 死に関する夢をよく見る。 ただ怖いだけの夢もあるけれど、いい夢のときは、みんな光になって消えていく。目覚めた後は満たされた気持ちだけが残る。 身体から抜け出したら、人は光になるのかもしれない。 もし魂という存在があるのだとしたら、それは光そのものなのかもしれない
あー、春が来たなと思った。 花がポンポン咲いていくみたいに、いろいろなことが一斉に動き出す。 春風がピューっと吹いた気がする。その爽やかさに負けて泣いてしまった。 大学からのメールが途絶えない。 新学期に向けての連絡事項。 履修、ガイダンス、健康診断、その他諸々。 大学に行くはずだった。 心療内科にも行くはずだった。 全部行けなかった。 ここ数日、ベッドの上で唸っていた。 体調がずっと悪い。酷い頭痛と身体のだるさ。 こんなご時世でいろいろなことが頭をよぎる。身体は重くて