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他人の良い子チャンの私なんかクソ食らえ。

 おっと、、、序盤から汚い言葉使い失礼。私の本音が出てしまったようだ。まぁ気にしないでくれ。

 皆さんは他人からどう思われているか気にしたことがあるだろうか?おそらく多くの人が経験あるはずだ、そして皆さん、もとい私が求めているのは他人からの高評価。つまり良い人に思われたいということだ。

 良い人とは。あなたにとって良い人とはどういったものなのか少し考えてみて欲しい。そうだな、約三分間ほど。考えが思い付いただろうか、伺ってみたいものだが今この場では不可能なため、差し支えなければコメントに残して頂きたい。
 因みに私にとっての良い人とは、忘れ物をした時見せてくれる。不満が溜まったとき文句も言わず黙って愚痴を聞いてくれる。寂しい時には近くにいて、一人の時には適度な距離を置き放置してくれる。私が空腹と聞けば好物を作ってくれるし、行きたいところには何処にだって連れて行ってくれる,そんな人間だ。まぁ私の人間性が腐っているだけかもしれないがはっきり言おう、要するに“都合の良い人間”である。
 考えてもみてくれ。忘れ物なんかするなって話だし、もういい大人が自分の機嫌くらい自分でとれよって話だし、コンビニでも電車でも使えよって話なのだ。でもそれをしない、都合の良い人間がいたらな。(まずい、私のクソさが露出する笑)

 客観的にみれば分かることなのに私達は良い人になろうと試みる、なぜか、、それが美徳だからだ。小さい頃から教えられてきたはずだ、良い子になりなさい、と。親にとって迷惑になるような行動を取れば、ダメな子の烙印が押される。大人になっても同じこと。職場では良い人になれるように自らを押し殺し精一杯に勤める。まるで“良い人間になれ”という呪いをかけられたように。抵抗すればするほどアナコンダに首を絞められる、、苦しい苦しい・・・。そうしていつしか私たちは抵抗することを諦めてしまったのだ。
 かくゆう私もそうである。良い子、良い友達、良い部下、良い孫、とにかく全てだ。さらに言えば私の場合それ以上にひどいかもしれない。周りから幸せそうだ、と思われたい。凄い人なのだと思われたい。褒められたい。認められたい。。。あぁ、私は承認欲求の怪物だったんだな・・。
 
 私は自分が嫌いだ。勉学もスポーツも嫌いで避けてきた、かといって秀でた才能があるわけでもない、凡人なのだ、何もない空っぽだ。そんな自分が嫌いだ、憎い。憤りで胸が苦しい。自分を認められない、悲しさ虚しさ。他人と比較し、勝手に落ち込む不甲斐なさ。はは、、、分かるだろう?だから私には他人の評価が必要なんだ。人から認められる事でしか自らを肯定出来ない。
 断言しよう、私のほぼ全ての決定打は [他人に誇れるか否か] だ。そのために他人の意見を全て聞き入れ実行してきた。学校も職場も住かも。言わば私は、私自身の人生という名の皮を被りながら、他人の人生を生きてきたのだ。そんな簡単なことかと思うだろうが、私がこのことに気が付いたのはつい最近のこと。それくらい他人の評価を気にする姿勢は、私が歳を重ねるごとに潜在意識として刻まれていったのだ。恐ろしいだろう、、だがこれが事実である。

 ではなぜその事実にたどり着いたのか。ある事柄に思考を巡らせたからである、、
“他人は私が思うほど周りの人間に興味が無い”
“自らの言葉に責任を持とうとしない”

                                                                       この二点だ。
 まず第一に人間は他人に感心が無い、もしくはあったとしてもそれが長くは続かない。よっぽどのゴシップ好きで他人の話題をおかずにお茶をすすっているような人間は除くが笑 例えば高校時代の同級生が○○社に入ったという話を聞いたところで、へぇで終わる話である。あなたはその一瞬のへぇを聞くためだけに努力して認められようとしたのか、と問いたい。
 二点目に他人はあなたに対して発した言葉に責任を感じていない。むしろあなたに対してアドバイスした言葉すら覚えていないかもしれない。その場の自分の気分や見栄で適当に判断した言葉なのかも、、。
 仮に私たちが言われたとおりに動き失敗した時、彼らは何というのか「実行するかどうかはあなたの判断だから」。この魔法のフレーズ、なんて楽なのだろう、私も今度使ってみるか笑
 冗談はさておき、これで何となく分かるだろう。彼らはあなたがどうなろうと正直どうでも良いのだ。自分が責められる義理も無ければ、傷つくことも無い。高見の見物である。

 私にこの事実を受け入れるきっかけを与えてくれた人物、私の姉。彼女も以前は私のような人間であったらしい。だが彼女は母の死を経験した際に自らが本当に没頭できるものに出会った、絵を描くことだ。それこそ他人になんと言われようとどんな評価をされようと関係無い。なぜなら自らが真に自らの絵を愛しているからだ。彼女は言った「私、今が一番幸せ。こんなに幸せでいいの?」と。
 あぁ、これかこれだったのか、私が求めていた幸せって。紛れもなく彼女は彼女の人生を生きている、そこには他人が踏み込むことが不可能な程の彼女の世界が広がっているのだ。私には自らの人生を自らの力で切り開く姉の姿がやけに輝いて見える。それと同時に羨ましく思う。
 さぁ、私も今日から始めてみよう私だけの人生を・・・。そう思った私の頭の中に一つの文章が浮かんできた。
      “他人の良い子チャンの私なんてクソ食らえ。”と。
                                   

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