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人はなぜ他人を「ディスる」のか?

   ~他人をディスらないためにできることはなにか~


脳の奴隷

最近のネット社会では、他者を「ディスる」とか他者から「マウントを取る」とかそういう負の連鎖が続いているようです。人はなぜそんな一見無益思えるようなことをするのでしょうか?

制裁を加える本人にもたらされる利得は何か。リベンジのリスクがあるにもかかわらず、それを行うのは何らかのインセンティブがあるから、と考えざるを得ない。(中略)実は制裁を加える本人の脳に分泌される報酬(ドーパミン)だけだろう。何の関係もない人をバッシングして何の得があるのか、とよく言われるが、脳内の報酬という得があるのだ。

中野信子「脳の闇」

私たちは自分の脳を使って物を考えたり、行動したりしていると思っていますが、実は我々は限りなく脳に使役されている存在なのです。脳を使っているのでなく、脳に「使われてしまっている存在」なのです。ドーパミンが欲しいという脳の欲望を満たすために、我々は脳の指令に従って他人を傷つけたり、差別したりしているのです。ではなぜ様々なリスク冒してまで脳はドーパミンを欲するのでしょうか?

ルールを逸脱している「汚染」を排除しなければ、集団全体に感染してしまう恐れがある。ルールの無効化をもたらし、ひいては集団そのものを崩壊させてしまうかもしれない。
だから、崩壊の引き金になりかねない「不謹慎」=「汚染」を排しておかねばならない。もちろんそれは一人でやっても意味はなく、集団内の個体が協力して汚染に対処する必要が出てくる。これは、すべての集団で起こり得る現象だ。

同書より

私たちはこれまで、一定の「社会」という集団形成して発展して来ました。それは猛獣のように優秀な武器を持たなかった我々の先祖が、他者との協力関係を築くことでそうした強い存在に対抗しようとしたためです。人間のは、その社会を維持していくために不必要と判断する要素、例えば異形の存在、考えを異にする存在、身体的、精神的に苦痛をもたらす存在、社会のリソースを奪おうとする存在などを「汚染」と規定して、それらを積極的に排除することで社会の安定担保しようと努めてきたのです。日本人特有?とされる同調圧力も、実はこのために平然と生まれるのです。個を犠牲にして集団を守るために。

脳の奴隷と化さないために

ネット社会で他人をディスる行為は、まさにこれが原因なのです。自分にとって、あるいは集団にとって都合の悪い物は排除しなければならない。ドーパミンはそのための「エサ」なのです。私たちのは、常にその餌を欲しています。汚染を排除する傾向は生理的な欲求ですので、人間の本能の一部だと言えます。ですから、こうした傾向を出来るだけ抑えるためには、各個人が脳に「意識」的に働きかけるしかないのです。脳は個人が所有するものです。社会が働きかけることは出来ません。あくまでも自分の脳意識させないといけません。ですから皆さんお一人お一人の不断の努力が必要なのです。本能に抗うことは並大抵のものではありません。男子にとって、美人を見たら好きになってしまうのは当たり前です。ネットでも頻繁に「美しすぎる〇〇」という文字が踊りますね。私もついクリックしたい欲望にかられます。しかし脳の欲望に逆らうためには、それは許されません。私にとっては実に辛いことです。意識しなければ脳の欲望の赴くままに行動してしまいます。それは脳の思うツボなのです。脳に意識的に働きかけるとは、「考える」ことに他なりません。AIやスマホに答えを求めるのでなく、自分の頭を駆使して考えるのです。徹底的に「思考する」のです。今、自分がやろうとしていることはどういうことなのかを。確かに、脳は私たちを使役する存在ではあります。しかし同時に私たちは考えることによって、脳に「選択肢」を与えることが出来ます。選択肢が広がれば、脳は判断に迷います。そこに私たちがつけ入る隙があるのです。他者をディスる、マウントを取るような行動が果たして是か非か、考える余地が生まれます。

そのための不安

しかし現在、私たちは思考することを放棄してしまってはいないでしょうか?自分の頭を酷使して行動を取ることなく、安直にスマホやAIに答えを要求する。これでは脳がどんどん劣化していきます。人間の器官は、使わなければ退化していきます。それは誰でも知っていますね。歩くのを止めたら、足腰が弱って歩けなくなりますね。それが嫌だから、わざわざ人間はお金を出してフィットネスジムに通っているのですから。一休さんの時代は、お伊勢参りをするのに京都から歩いて行きました。(お金持ちは馬に乗れたでしょうが)当然、現代人よりも健脚だったことでしょう。全く同じ理屈です。使わなければ劣化します。劣化した脳は、自分を使われることを嫌がるでしょう。益々デジタル技術に依存するように仕向けます。デジタル技術は、ものぐさな人間の脳が欲して生み出された技術なのです。偶然ではなく、必然によって生まれたテクノロジーなのです。デジタルを使えば脳は劣化する。劣化すれば益々デジタル技術を必要とする。卵が先か、鶏が先か論争と似ていますね。もはや人間にとって、デジタル技術は手放すことが許されない存在なのです。

思考することの必要性

私たちは人間である以上、善人であれ悪人であれ、他人をディスる可能性があります。他人をディスっていることをディスることもあります。私たちは脳に使役されている存在ではありますが、唯一「思考する」ことによって、脳の選択肢を増やし、一歩を踏みとどまることが出来ます。しかし、近年その思考することが人間にとって厄介ごととなりつつあります。脳の欲望に決して負けてはいけません。その先にはとてつもなく恐ろしい世界が待っています。いずれ、人間のがなぜ思考を嫌がるのか、それによって人間はどうなってしまうのか、その辺りのことをエッセーに書きたいと思っています。

                              おしまい

参考文献

中野信子著「脳の闇」(新潮新書)


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