できるだけ怖がらない、隙間だとしても
それとなくスーッと6月が終わった。
考えるより動いてしまった方が早いのかもしれないね、と思っていた月日を超えて、すぐに7月。2021年の半分がもうすでに過ぎていっただなんて。
恐ろしいくらい早い。
夏は、長いなと余裕こいてるとあっという間に過ぎ去る、が例年の流れだったけれど、今年は、今年こそは冒頭から本当にあっちゅうまに終わっちゃいそう。
できるだけ楽しい夏の計画たくさん立てなきゃ。新しい水着でも買っとく?
夢を見た。それも同じような夢を2度見た。
はるか昔の記憶の中で埋もれていた、はるか昔に大切だった人が出てきた。
現実では行けないような場所と、状況だったので、普段ならあっという間に夢だったね、と思うのだけれど、今回の夢は「夢だね」と思うまでに起きてからも少し時間がかかった。
1度目にその夢を見たときはびっくりし過ぎて、昼過ぎくらいまで心がドブ色みたいになっていた。
その人、びっくりするくらいそのまんまの姿でそこにいて、元気に過ごしていた。
大丈夫、もうこんな風にはならないよ。
そんな感じのことを言われた。
夢の中で大丈夫、と、改めて言われると「本当に大丈夫なの!?夢の中だからなんか逆っぽくない?!」と思って疑心暗鬼。
疑心暗鬼っていうか、夢の中は割と受動的に物事を捉えることが多いので、起きてから「いや、大丈夫かよそれ本当に!?本当に大丈夫か!?」と必要以上に心配になってしまった。
結果、心は昼過ぎまでドブ色。自分で引き寄せたことなのに、もう本当に勘弁して〜と心の中で泣いた。
人には、それぞれの結末がある。でもその結末は、誰かの中継地点の可能性もある。私は物事を”スタート”と”ゴール”で分けたり切ったりするのが、ちょっぴり苦手。
終わりのある物事や、仕事も遊びも、はじめまして!から、ではさようなら!という瞬間に幾度もあってきたけれど、
できたら、このさようなら!が、中継地点であったらいいな、といつも自然と願っている。
「サヨナラは、次会うまでの、ホニャラ…」といった言葉があるように、どんなことも誰かにとって、ホニャララであってほしい。
なんでも断定したり、頑なに譲らず終わってしまうのは、なんかもったいないよね。
中途半端とか、そういうことじゃなくて、物事の終わりにも中継地点。誰かと誰かの歴史。あなたと私の歴史。そうやって組んず解れつでいきたい。
人と出会ったときは中継地点だと思っていこう。そんな感じ。
(いや、でも本当に苦手な人は「大丈夫。ここまでで大丈夫です」という考えだということには変わりない。)
そんな考えにたどり着いてから、2度目に同じような夢を見たときは「大丈夫、うん。大丈夫よ、あなたも私も」と起きて思うことができた。
そして、ちゃんと大切にしてるよその気持ち、といった感じ。
人からの影響を受け過ぎたくはないけど、自分の心の葉をスクスクと成長させるには、幾つになっても学びが必要だ。ありがとう。ちゃんとそういう気持ちを教えてくれて。
あなたがいたので、今ちゃんと毎日が最高で、毎日が楽しいよ。
ま、勝手にあなたの夢を見てるのは、私なんだけどね。
それはまぁ、それで。
次回の記事は2021年7月24日(土)です。
次回は、連れ去ってくれる人、について、書こうと思います。