畑中章宏さん「網野善彦ナイト」@三鷹UNITÉ
10月18日(金)三鷹の書店「UNITÉ(ユニテ)」で開催された、民俗学者で編集者でもいらっしゃる、畑中章宏さんの「網野善彦ナイト」イベントに参加して参りました。
レポート書くの遅いよー!!こんなんじゃ、大学だったら単位もらえないよー!・・・涙
しかも、レポートを書いている間に、日本では衆議院議員選挙が行われ、あれよあれよという間に、アメリカ大統領選も行われ、どんどんと書きたいことが増えてきてしまいましたが、ごめんなさい!!
非常に遅くなってしまいましたが、自分の備忘録もかねて、拙筆で、ひじょーに長文ながら、その感想レポートを書き残しておきたいと思います。
ボクなりの畑中章宏さんご紹介
「何故ボクが今、民俗学なのか?」については、末筆で書かせていただくとして、まず、畑中章宏さんは、ボクが民俗学に出会って宮本常一さんに傾倒し、その後、宮本常一さんに関する本を出されていて、何冊か読んだ。
ちょうどその時期、NHK「100分de名著」の宮本常一さん「忘れられた日本人」の回を解説されることを知り、もちろん視聴!
その後、2024年6月9日に黒鳥社で開催された、若林恵さんとの「『忘れられた日本人』の編集論 〜編集寄りあい」を視聴させていただくと、NHKでの畏まった解説者とは異なり、黒鳥社から発刊されているジョン・バージャー「第七の男」のお話から、スーザン・ソンタグの「写真論」まで、若林さんの厳しい(厳し過ぎw)ツッコミをものともせず、正に宮本常一さんが書いた「寄りあい」の如く自由に語られる姿を拝見し、是非とも直接お話を伺いたい!!と思った次第である。
「『忘れられた日本人』の編集論 〜編集寄りあい」は、youtubeでアーカイブ配信されているので是非!
実は、後で知ったのだが、畑中章宏さんは、平凡社で月刊「太陽」の編集をされていて、荒木経惟さんの全集の編集に携わっていらっしゃったことや、ボクが敬愛し、ボクの人生に多大に影響したPIZZICATO FIVE小西康陽さんが月刊「太陽」に写真に関する記事を連載していた時に、畑中さんも携わっていらっしゃったなど、ボクも知らず知らずのうちに畑中さん編集の文章を読んでいたということを今更ながら知った。
畑中さんは、現在関西を中心に活動をされていらっしゃるので、鉄は熱いうちに・・・ではないが、畑中さんが関東でイベントをされるなら、この機会を逃す手はない!と思い、今回の網野善彦ナイトへの参加となった。
三鷹UNITÉへの道!?
このnoteを読んでいらっしゃる方はご存じかもしれないが、ボクは岡山出身で、PIZZICATO FIVE小西康陽さんに憧れて東京を目指しながら、神奈川県より東に進めなかった(笑)という経歴の持ち主である。
中央線沿線といえば、DEEPな東京!
新宿を起点に、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻久保、吉祥寺・・・憧れのサブカルやロックの聖地が並ぶ沿線。
しかし、「三鷹」って、いつ来たっけ?という、もちろん、「三鷹市」の中心都市でありながら、何となく三鷹以降は、「小金井」「国分寺」など、多摩エリアの入口であり、地形図的にも武蔵野台地の境界線の地。
武蔵野といえば、国木田独歩!
自然派の文学を育んだ情景が頭をよぎりながら(全然都会でしたが!)、三鷹駅から真っ直ぐ南へ歩いた道の先に、ステキな書店「UNITÉ」があった。
こじんまりした書店ながら、厳選した本はどれも興味を引く書籍ばかり!
先日吉原遊郭の「カストリ書房」さんでも感じましたが、知的好奇心をくすぐる、書店の新しい形だと思うし、是非とも応援したい。
驚くほど広がっていた「無縁・公界・楽」の「場所」と「人々」
ボクは今回のイベントに臨んで、網野善彦さんの本を初めて読んだ。
以前に宮崎駿さんが、「もののけ姫」を作品制作したころ、網野善彦さんとも対談をされていたので、確かそこでお名前を知ったと思う。
今回、畑中さんのトークショーのテキストとなった「無縁・公界・楽」には、天下統一から江戸幕府の力が強まる以前の中世の時代、時の権力や世俗の主従関係、血縁の親族関係から「縁を切る」=「無縁」の場という「アジール」ともいうべき場所がさまざまな形で存在していたことが書かれている。
「寺」夫と離縁したい女性、さらには罪科人、下人まで匿う「駆込寺」。
「市・宿」商い、芸能をするものなどが集まる「公界」「自治都市」。
「山林」≒僧の山林修行「寺」のある場所として。⇔人里、村、野良。
「墓所」葬送の地、「穢」の場として。
「家」不入権を持つ敷地として「垣の内は氏神の守る聖域」。
さらに、「場」だけではなく、性としての「女性の無縁性」、職業としての非農業民である「職人」「芸能民」=「公界人」から、「倉庫」「金融」の無縁性に至るまで「人」や「集団」の中にも「無縁性」を見出していく。
本を読んだ第一印象として、江戸以前の中世において、「無縁」の思想はかなり浸透しており、その場所の多さ、種類の多さで、日本全国かなりの広範囲にその「公界」、「公界人」が存在したことに驚かされた。
しかもその中では、現在の西洋思想で語られる自由と平等に似て非なる「自由」と「平等」を体現するような人々の営みがあるのだ。
罪人でさえ、その罪から縁を切ることができ、その「公界」の中まで追われることが無い!というのは、現代の倫理観からすると、ちょっと理解しがたいのではなかろうか。
「無縁・公界・楽」は理想郷なのか?→理想郷ではない!?
トーク後の質問で、
「当時(江戸以前の中世)の人々の、『公界』との距離感はどんなものであったのか?そういうものがあることをみんな知っていたのかどうか?」
という質問をされた方がいらっしゃった。
確かに、単純に「理想郷」であるならば、人々がそこに際限なく流入していきそうなものだが、決してそんなことはない。
しかし、「公界」には自由通行権もあり、身分も固定化されたものではなく、流動性もある。
その質問に対するボクの意見として、
「現代において、新宿歌舞伎町(さらに言えばトー横周辺など)が、アジールとしての役割を担っていて、現代の我々一般人と新宿歌舞伎町との(心理的)距離感が、当時と似たような状況なのではなかろうか?」
という意見を申し上げた。
しかしながら、今回の畑中さんのトークの骨子の一つとしても、現代の感覚を持って、「アジール」を理想化するのは、少し慎重にならなければいけない、ということをお話しを頂いた。
畑中さんもトークの後、X(旧Teitter)上で、
ともおっしゃっている。
網野義彦も「無縁・公界・楽」の中で、アジールの「理想郷」化には慎重に書いていらっしゃるし、そのあたり、もし機会があれば、もう少し畑中さんの話をお伺いしたかったし、ボクとしても自分なりに勉強をしたいところではある。
中世の日本で隆盛を極めた「無縁・公界・楽」ではあるが、天下太平の世になるとともに、その「場」と「人々」を戦国大名たちは、権力の支配下に収めていく。
そして、江戸幕府による統制の強化、さらに、明治維新後の近代化の中で、
国家としては、年貢から近代における税制、富国強兵、徴兵のための戸籍制度などを制定させていく上で、「無縁・公界・楽」の原理は、相反することになる。
今、正に、その延長線上のさらに進化した管理社会に生きるボクらが、「無縁・公界・楽」との距離感や、その「自由」を想像することは、かなり難しくなっているのかもしれない。
江戸以前の中世の戦乱の世の中という、人々が生き残るための極限の状況に追い込まれたからこそ、権力の戦乱に巻き込まれず、生き残るために、「原始の自由」への復帰の希求が、先鋭に顕在化したものが、「無縁・公界・楽」の原理なのだ。
逆説的だが、現代の「管理社会」を受け入れ、「原始の自由」への希求などせず、与えられた、形骸化された「自由モドキ」に甘んじているならば、もしかすると、多くの人にとって、明日の食い扶持に困ることはない、何も考えなければ「生きやすい」社会構造ということもできるのかな、とも思う。
しかし、それに甘んじてしまっては、芸能や職能を研鑽したり、自由な交易による文化の交流は、本当の意味ではできなくなってしまうのであろう。
ボクが習った「日本史」と、網野善彦、民俗学の伝える「日本史」
ボクとしては、「おお何と!!ボクも日本史を、網野さんが書かれたような民俗学的見地から学んでいたら、もっと興味を持って、深く理解できたのに!!」と、強く思った。
ボクは、幼少時から、何となく「日本史」に苦手意識があった。
高校時代は、「宇宙の誕生を、真理を解明したいのだ!!」と思って理系コースに進学し、「世界史」を専攻した。
何となく、「世界史」を専攻していれば、その中の「日本史」は、中学までの知識で把握できるだろう、と思っていたのだ。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康・・・例を挙げるまでもなく、戦国から江戸に至る武将の歴史は、日本人に愛され、何度も文学や映像に描かれてきた。
まぁ、戦国武将たちの、勇猛果敢な姿や、戦略を巡らす人物像、戦乱の世に残された逸話などに魅力を感じる人が多いのも、もちろん理解はできる。
愛好家もたくさんいらっしゃるし、日本各地で今も甲冑パレードが開催されたり。
そういえば、ボクも先日伊勢原の甲冑パレードを観てきたばかりだ。
そして、ボクの写真拙作「ムーニー劇場」でも、甲冑をテーマにした作品を制作した。
昨年も、弓道家でもある萩原舞さんの甲冑姿を写真に撮らせていただいた!
ムーニー劇場とはまた違った魅力で、ステキな写真になった!
しかし、ボクは、何となくその「日本史」に、違和感と申しますか、深く興味を持つことができなかった。
NHKの大河ドラマも、司馬遼太郎の歴史文学も、何となくボクは、苦手意識を持って、敬遠してきた。
後述する、「何故ボクが今、民俗学なのか?」に通じる部分なのだが、学校で学習するいわゆる「日本史」(に限らず、世界史もそうなのかもしれないが)は、つくづく権力側から描かれた歴史だよなぁ、と、何だか学んでいてボクは興味が持てない・・・。
権力闘争をして、勝った!負けた!を基準に、立派な言葉で言えば、「啓蒙主義」「覇権主義」的に歴史を語られることに、違和感、どちらかというと「嫌悪感」のようなものを感じてしう。
おそらく、ボクが「ゲーム遊び」全般が嫌いな性格だということも関係していると思う。
敵と「勝った」「負けた」と対戦したり、ポイントを貯めたり、攻略したり、テレビゲームに限らず、スポーツでもトランプでも麻雀でも、とにかくその「ゲーム性」と言われるものがそもそも好きじゃないのだ。
結果として、ボクは日本文学を専攻し、学生時代に柳田国男「遠野物語」を読んだりはしたものの、その時には「民俗学」というものにピンとくることが無かったのだが、それから何年も経って、民俗学の魅力にハマって、今改めて、日本の歴史ももっと深く学んでみたいと思っている次第である。
下手人は火あぶり
話は脱線するが、今回本を読んで、ふと思い出したのは、ボクが幼少時に親と見た時代劇「大岡越前」のなかで印象に残っている1話である。
「下手人は火あぶり」
非常に簡略にあらすじを書くと、金持ちの主人にいじめられていた貧しい少年が、主人からのお仕置きのいじめで、縛られてしまったため、その縄を明りの炎で切ろうしたところ、故意ではなく過失で、火が倒れて主人の家が火事になってしまう。
江戸時代、「付け火(放火)は火あぶりの刑」と定められていた。
大岡越前の守も、世間の世論としても、正直で真面目な貧しい少年に同情的で、また、故意の放火ではなく、過失(事故)の火事であると誰もが信じているのだが、証拠が無い。
大岡越前は、熟慮を重ねた結果、少年が主人に借りていた多額の借金に目を付けた。
悪徳な主人は、少年を騙して逃がさないため、無理に借金をさせて、その金額、利率は、少年には返済不可能なくらいに高額になっていたのだ。
そこで、「借金は返済しなければならない」という定めに基づき、多額の借金が完済できるまでの約80年間火あぶりの刑を遅らせる=80年も経てば、少年は寿命が尽きているだろうから、結果的に、火あぶりになることはない、という、見事な大岡裁きをするという話である。
多少WEB上等で調べたが、TVを見た頃の記憶で書いている部分もあるので、詳細が間違っていたらごめんなさい。
子どもながらに、この話を見て、自分に近い年齢の少年が、悪徳な主人につかまり、借金をさせられて逃げられない主従関係に追い込まれてしまう江戸時代は、恐ろしいと思った。
また、最初に観たとき、「火あぶり」は火の上で「熱い!熱い!」と苦しむだけと思ったら、父親から「最後は焼いて殺すんじゃ!」と教えられ、なんと惨いことをするのだ!!と、やはり江戸時代は恐ろしい時代だと思った!
さらに、当時「大岡越前」や「遠山の金さん」のラストで罪人にしょっちゅう申し渡されていた「シチューヒキマワシノウエ、ウチクビゴクモン」の意味が、幼少時はわからなかったが、小学生くらいになると、「市中引き回しの上打ち首獄門」=結局「死刑」!!
放火しても火あぶりで「死刑」、盗人も「死刑」、殺人はもちろん「死刑」!(たまに「島流し」もあったが・・・)
ボクがちょうど「日本史」を習い始めたころ、強く印象に残ったのは、江戸幕府、封建社会の強権的支配、前近代的で残忍な刑罰!
時代劇でこのように描かれると、江戸の庶民は、封建社会の強権的で、刑罰をもって人々を支配する、社会の息苦しさを、日々感じながら生きていたのだろうと想像させられていた。
その上で、権力者、支配者たちの「日本史」を学習したところで、なんとなくボクは、シラケた思いがしていた。
何故ボクが今、民俗学なのか?
今回のトークショーを通じて、現代の日本において、我々が何気なく使っている自由・平等・平和の概念について、もう一度問い直すきっかけとなった。
「無縁・公界・楽」を通じて、近代化の中で西欧から持ち込まれる以前に、日本に存在した原始の「自由」「平等」「平和」を希求する人々に、いわば光を当てているのである。
学校で習う「日本史」の歴史観では、権力により抑圧され、差別され、自由を奪われたかに見えた庶民、民衆の歴史が、民俗学では異なった見方から、生き生きと語られるのは非常に魅力的である。
宮本常一さんの本を読んだ時も、村の「寄りあい」に見られる、日本の合議制による原始の「民主主義」的な姿に目から鱗だった。
また、宮本常一さんは、封建社会の中で抑圧されていたとされる日本の女性の根底に流れる「主体性」や「強さ」にも目を向けてくれる。
現在は、過去の積み重ねであり、過去を使って現在の成り立ちを解く、民俗学から現代を読み解く面白さはここにあると思う。
ただし、今回の「無縁・公界・楽」を読んでも書いてある通り、過去に「理想郷」があった、というわけでは決してない。
日本人の西欧「民主主義」概念との乖離を埋めるためには?
世界中で「民主主義」への不安感が増大しているといわれる昨今。
この文章を書いている間にも、日本では衆議院議員選挙が行われ、53.85%という投票率は低迷したまま、裏金議員やポピュリズムともいうべき候補が当選。
さらに11月に入るとアメリカ大統領選が行われ、共和党トランプ大統領が再選・・・。
特に日本においては、民主主義を自ら勝ち取った歴史ではない。
明治以降の近代化の中で、西欧から自由・平等・平和の概念が輸入され、先の敗戦後、日本国憲法によってもたらされた、自由選挙による民主主義。
戦後79年を経て、本当に日本人に馴染んだのだろうか?
言い方を変えると、日本人は、民主主義、自由、平等、平和を自分のものにできているのだろうか?
ボクは、西欧からもたらされた民主主義、自由、平等、平和の概念は、日本人自らの努力なしに日本に馴染むことは無いと思うし、今現在においても、様々な乖離があるのは必然であると思う。
だがしかし!!
ボクはこのまま日本の民主主義、世界の民主主義の危機を諦めたくはないのである。
現代における日本人の「民主主義」との乖離を、少しでも埋めるためにどうすればよいのか?
そう考えたときに、一方的に、西欧的民主主義にばかり目を向けす、民俗学を通じて、日本人、しかも、権力者ではなく、人々の間で太古から脈々と受け継がれる思想、原理を探っていくことは、非常に大切なことだと思う。
岸野雄一さんの言葉をお借りするならば、現代の日本において「民主主義のエクササイズ」をする上で、日本人の根底にある原理、考え方の中に、ヒントが埋まっているのでは?
いや、ヒントではなくとも、今一度、日本における「自由」「平等」「平和」などを見直しながら、西欧の自由、平等、平和をブラッシュアップできるのでは?
・・・と考えるのである。
ボクはそうやって、少しでも日本に「絶望しない方法」を探していきたいのである。
と、まぁ、今回は長くなりましたが、まだまだ不勉強で拙い文章ながら、感想文を書かせていただきました。
ここまでお読みいただいたみなさま、ありがとうございます!
次回はもう少し短く纏まった文章を書こうと思います!(←と、毎回言っているような気がする・・・)
ムーニーカネトシは、写真を撮っています!
日々考えたことを元にして、「ムーニー劇場」という作品を制作しておりますので、ご興味ございましたらこちらをご覧ください!
https://moonybonji.jp