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ワン・シャオシュアイ監督「在りし日の歌」中国の歴史に翻弄される家族の物語

2019年ワン・シャオシュアイ(王小帥)監督作品「在りし日の歌」を観た。

中国、一人っ子政策に翻弄された家族の、約20年にわたる激動の中国の歴史と共に描いた映画である。

実は、コロナ前、2020年の日本での映画館公開時、友人が絶賛していたのだが、やっと自分の子どもが育ってきたころだったので「子どもを事故で亡くす」という内容に、自分は耐えられないだろうと思った。
それに、185分!という長尺だったため、なかなか映画館に足を運び辛かったのもあり、その時は、少し観るのを敬遠してしまった。

「在りし日の歌」が配信で観ることができるようになった!
早く観たいとは思っていたが、なかなか「覚悟」ができず、今になってしまった。
やっとボクの子どもも小学生になり、なんとなくではあるが、上映していた当時よりも、ボクが少し、親として、ゆとりができたというか、落ち着いたのかもしれない。(いや、とはいえ、まだまだ子育ては毎日バタバタ目まぐるしい状況ではあるが)

子育てはため息と共に

覚悟はしていたが、中国の一人っ子政策を、痛々しすぎるほどにリアルに描いていた。

中国の「一人っ子政策」を調べてみると、1979年から2014年まで実施されていたが、特に1984年までの第1期の政策的な締め付けが強かったそうで、その後段階的に緩和されていった。

1976年までの文化大革命の興奮冷めやらぬ中、まだ貧しい中国で中国共産党による締め付けが厳しかった時代。

映画は時系列に沿わないで、大切な我が子シンシンを事故で失う衝撃的なシーンを先に描く。
その後、シンシンが生きている間に起こった、第二子を身籠ってしまい、周囲から激しく攻められ、堕胎させられるシーンを描くことで、その時の夫婦のやり場のない怒りが観ている人に強烈に印象に残る。
その後、幸せな周囲の仲間に耐えかねて逃げ出した先で、やっとつかんだ養子とのささやかな家族の生活までも、ある日壊れてしまう、やり場のなさ。

ヤオジュンとリーユンの夫婦は、映画の中で、繰り返し、暗いリビングの粗末な椅子に並んで座って、そして、深いため息をつく。

我が子を亡くし、養子のシンシンもいなくなった時には、一言、「死んだと思え」。

ヤオジュン役のワン・ジンチュンさん、以前に観たディアオ・イーナン監督「薄氷の殺人」で拝見していたが、

ホント、眉毛をへの字にして、困惑と疲労が滲み出た表情が、演技が上手いというか、板に付いた演技である。

国家に翻弄され、子どもまで失いながらも、雇用主である国営企業は無情な人員整理を行い、二人の生活を全く守ってくれない。

そんな中国社会の中で、ヤオジュン夫婦が感じた「諦め」や「困惑」は、現代の日本でボクが感じるものとは、比較にならないほど大きいものなのかもしれない。

だがしかし!

この映画は、そのため息の根底に、人類共通の「親」としての「諦め」や「困惑」として繋がっていることを、まざまざと思い起こさせてくれる。
思い返すと、ボクも子育ての中で、何回ため息をついてきただろう。そしてきっとこれからも思わぬ困難や壁にぶつかり、ため息をつきながら子育てに奮闘することだろう。

引きの画で見せる中国の情景

シンシンが水難事故で亡くなる衝撃のシーンは、河畔からの引きの画角と、声のみで描かれる。

病院に運び込まれたシンシンとやり場のないヤオジュン夫妻の悲しみと、第二子を堕胎させられる衝撃的なシーンも、病院の印象的な緑色の壁の長い廊下の先で、引きの画角で描かれる。

まだシンシンが生きていた頃、同級生ハオハオとの他愛のない遊びの回想風景も、ポプラ並木がある中国の古い塹壕か何かの建物を背景として、印象的な引きの画角で描かれている。

廃墟の闇にシンシンは怯える。
ほんの少しのエピソードだが、シンシンとハオハオの関係性を無駄なく上手く描写している。

「一人っ子政策」の巨大な看板の前での堕胎させられたリーユンの複雑な思いも印象深い。ヤオジュン夫婦にとって耐えがたい看板だと思う。

やがて、時代も変わり、夫婦は中国南部に逃れて生活環境も変わる。
ボロボロの家電が転がる、雑然とした風景と、ヤオジュンの乗る汚れたトラックが超リアル。

そこにも苦難が待ち受けており、絶望したリーユンは自殺未遂までしてしまう。
そのリーユンを抱えて病院へ走るヤオジュンも、再び引きの画角で描かれる。

この映画における、美しく印象的な引きの画角は、その美しさもさることながら、雄大な中国の情景の中で、人間の小ささ、無力感を印象的に描いているように思える。

時は流れ、心の希望と共に、幕を閉じる

時代に翻弄され救いの無い閉塞感と共に物語は進行するが、時は流れ、中国社会も変わっていく。
映画を観ていると、本当にあと数年、生まれる時代が違っていたら、ヤオジュン夫婦は悲しみを味わうことは無かった、少なくとももう少し順風満帆で平和な生活だったのだろうと、忸怩たる思いがしてくる。

飛躍しすぎかもしれないが、何となく、「就職氷河期世代」に生まれたボク自身の人生も、なんとなくなぞらえてしまい、共感してしまう。
中国の「一人っ子政策」という舞台設定ながら、この映画は、観客それぞれに、生まれた国、社会、時代に翻弄された自分の人生を思い返させてくれる。

経済発展する中国と、立派な医者になったシンシンの幼馴染ハオハオの姿。それは経済格差でもあり、残酷な一面でもあるのだが、悲しみと痛みに耐えてきたハオジュン夫妻は、最後にその全てを許し、受け入れる。

ハオジュン夫妻の苦しみ、悲しみ、痛みを、具に丁寧に描いた映画だからこそ、それを観てきた観客にとって、そのハオジュン夫妻の「すべてを受け入れ、許す」という姿は、決して不自然なものではなく、痛みを味わったからこそ他人に優しくなれる人間の「心」に、最後に強く胸を打たれる。

最後に人間の暖かさと希望を灯す、本当に秀逸なエンディングだと思った。

いやぁ、ホントに素晴らしい映画でした。

他にも、ヤオジュンが美しいモーリーと一度限りの恋に落ちてしまうシーンや、

メイユーのカップルが、西欧音楽を検閲されてしまうシーン、

随所で流れる「蛍の光」の音楽(スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」の中国版「友谊地久天长」)の印象的な響きなど、いろいろ書きたくなってきますが、今回はこの辺で。
中国好きなら、是非オススメの映画です!


ムーニーカネトシは、写真を撮っています!
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