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第四巻~オオカミ少年と白薔薇の巫女~②-1

第二話 「秋の夜長と舞踏会と秘めた想い」
 
      1
 
 森の中に、ちらちらと炎が揺れている。
 アスタナを出たその夜、ランたちは道から少し外れた森の中で、焚き火を囲んで休むことにした。
 アスタナから次のシスタの町までは、細い峠道が続く。
 歩きで移動すると三日かかってしまう道のりだ。馬車で移動するという手もあるが、お金がかかるし、道幅が狭いために脱輪の危険がある。どちらにしろ、歩くしかない。
 昼間のうちになるべく距離を稼ぎ、夜はなるべく月明かりの届かない場所を選び野宿をする。野宿するときに注意しなければならないのは魔物だ。
 呪われた血を持つランとアージュとオードは特に問題はないが、ただひとり普通の人間であるアルヒェはそういうわけにはいかない。
夜は冷え込むということもあり、焚き火をして魔物を寄せ付けないようにする必要があるのだ。オードが寝ずの番ができるので心強いが、一晩中、焚き火をするに越したことはない。
 寝ずの番も兼ねて、オードは今夜からランに剣の稽古をつけることにした。
 簡単な食事を摂ったあと、訓練開始。
 焚き火の向こうから、アルヒェとアージュがそれを見学する。
「ラン、がんばれー」
「すぐ音を上げたら承知しないわよ」
 ふたりの声援を受け、ランはやる気満々な瞳でオードと向き合った。
「よろしくお願いしますっ」
「よし。では、はじめるか」
「わーい」
 待ってました、とばかりにランがオードに手を差し出す。
「ん? なんだ、この手は」
「オードの剣、貸してよ。オレ、持ってないし」
 オードがたちまち眉を吊り上げた。
「なにを言っている。剣を持つのはまだ早い。まずは体力作りからだ」
「えーっ」
「えーっ、じゃない。サキトだって毎晩やっていただろう」
「そうだけど~。オレ、体力あるしー」
 明らかに面倒くさがっているランをオードが厳しい目でにらむ。
「そういう問題ではない。文句を言うならやめるが?」
 そのとたん、ランは背筋をピンと伸ばした。
「わー、ごめんなさい! がんばります!」
「よろしい。では、まず腕立て伏せ百回から」
 というわけで、ランは腕立て伏せから挑戦することになったのだが。
「三十二~三十三~……うう」
 半分もいかないうちに腕が悲鳴を上げ始めた。
「我慢しろ。百回できるようになるまで、次の段階には進まないから、そのつもりで」
「ひえ~~、オードは鬼教官だ~~!」
「鬼で結構」
「わーん」
 涙目になりながらも、ランはなんとか百回こなした。
が、終わったときには、ぜえぜえと苦しそうに肩で息をしてしまう状態だ。
「よし。では、次の段階に移るか」
 この調子でランは腹筋と背筋を、それぞれ百回ずつやらされた。
「あ、明日、絶対、筋肉痛間違いなしだよ……」
 長旅で足腰を鍛えているとはいえ、こういう運動となると使う筋肉が違う。
 背筋を終え、ランが地面に転がっていると、オードが見下ろしてきた。
「では、次の段階に移るか」
「えー、まだあるの?」
「嫌ならやめるか? 次は剣を持たせようと思っていたのだが……」
「わー、やります、やりますっ」
 ランは飛び起きて、しゃきん、と背すじを伸ばした。
 オードが焚き火の向こうのアージュを振り返る。
「アージュ、悪いが、君の剣を貸してくれないか」
「あたしの? 別にいいわよ」
 アージュがそばに置いておいた剣を持ち、ランに放った。
「わっ」
 受け止めたランは目を丸くした。
「え? 結構重いよ、これ」
「それを軽々と扱えるようにならないと、一人前の剣士にはなれないわよ」
 アージュがこともなげに言うと、
「ラン、がんばれー」
 と、アルヒェがにこにこと声援を送ってくれた。
「うん!」
 鞘から剣を抜くと、焚き火の炎が剣先にきらりと反射した。
「わーい、やっと剣が持てたよ〜」
 が、わくわくと瞳を輝かせるランに、オードは厳しい声で言った。
「では、構えの基本から」
「また基本なの? なんか、地味〜」
 オードはまたまたムッと眉を跳ね上げた。地味でもなんでも、
「基本は大事だ。剣の修行はすなわち、己の心を磨くことでもある。己の心と向き合い、まずその『地味~』とか思う、雑念を払うことだ」
「えーっ」
「えーっ、ではない!」
 一喝され、ランはびくりと肩をすくめた。
「オード、怖い……。サキトにはやさしかったのに」
 オードはひとつ大きく息を吐くと、理由を話した。
「彼の場合は長く教えている時間がなかったからだ。それに自己流であれ、筋もよかった。君の場合は剣を持ったこともないだろう。だから、基礎からやらなければならないんだ」
「でも、早く上達したいんだもん」
 ランはうつむき、すねたように口を尖らせた。
 オードは前髪をかきあげ、困ったように苦笑する。
「ランと私にはまだ時間がある。だから、じっくり教えるよ。上達したければ焦りは禁物だ」
 わかるだろう、とオードはやさしくランの頭に手を置く。
 オードが自分のためを思って厳しくしていることがわかり、ランは心があたたかくなるのを感じた。
 身体中痛いのに、不思議と心が元気になる。
「うん、わかった。オレ、地道にがんばるよ」
「そうだ、焦ることはない。君は君のペースで強くなればいい」
 オードは大きくうなずいた。
 
 オードが自分の剣を抜いて構えてお手本を見せ、その横でランがアージュの剣を構える。
 その様子を見ていたアルヒェが、ふとアージュを見た。
「アージュはランに教えてあげないのかい」
「あたしが?」
 なんで? とアージュはアルヒェに怪訝な目を向ける。
「だって、君も凄腕じゃないか。ディスターナで君の試合を見たオードが『アージュは名のある師匠に習ったに違いない』って言ってたよ」
「……だからって、教えるのがうまいとは限らないわ」
「そうなの?」
「そうよ。人になにかを教えるには、教える才能がいるの。知識や経験を教えるだけでは人は成長しない……人を成長させるためには〝愛情〟も必要なの」
「愛情ねえ……」
「あたしは自分のことで手一杯よ。人に与える愛情なんて持ち合わせちゃいないの。だから、オードみたいに相手のことを考えてあげられる人が先生には向いているのよ。素直に人に愛情を注げる人がいちばんなの」


 アージュは焚き火を見つめている。
 その横顔はどこか、憂いを含んでいるように見えて――。
「アージュは大人びた考えをするんだね。感心しちゃうよ、僕だったら、そんなこと思いもつかないな……」
 ふいに、アルヒェがアージュの頭を撫でた。
「ちょっと、なんで撫でるのよっ」
「いや、まだ子どもなのに感心感心と思って」
「やめてよ、子ども扱いしないで!」
 アージュは撫でられた頭をバババッと自分の手でかきまわすと、真っ赤な顔で憤然と立ち上がった。
「気が変わったわ。あたしもランを特訓してやる!」
 アージュは言うが早いか、ランたちの元に走って行ってしまった。
 
 だだだだだっ!
 ものすごい勢いの足音が聞こえてきたと思ったら、次の瞬間、ランの腰にアージュの膝蹴りがお見舞いした。
「腰がひけてるわ!」
 蹴りが入った瞬間、手から剣がぽろりと落ち、
「うぎゃあ~~っ!」
 悲鳴を上げ、ランはもんどりうって地面に転がった。
「痛ってー、なんだよ、いきなり!」
 腰をさすりながら、ランは涙目でアージュを振り返る。
 アージュは腰に手をあて、エラソーに言い放った。
「なにって、指導してやったのよ。いい? 剣はね、腕の力だけで振り回すものじゃないの。全身を使うのよ。足から腰、腰から肩、腕……そして、手首。この流れを意識してごらんなさい、だいぶ違ってくるから」
 剣を持つフリをして、アージュは構えの姿勢をとってみせる。その姿はとても様になっていた。
 剣を拾い上げ、ランは素直に真似てみる。
「えーと……足から腰、肩、腕、手首……」
 ぶつぶつ、つぶやいていたランがなにかに気がついたように「あっ」と叫ぶ。
「なんだ、畑仕事と一緒じゃん!」
「畑仕事?」
「そうだよ、鍬! それに、銀掘ってたときのツルハシも」
 つい先日まで、ランはセルデスタの鉱山で働いていたのだ。ツルハシを構えて岩石に振り下ろす所作は確かに、それに似通っているかもしれないが。
「そんなわけないでしょ! 剣術はもっと繊細なものよ」
 アージュはぽかっと、ランの頭を叩く。
「あたっ。なんだよ~、似てるじゃん。ね、そう思うでしょ、オード」
 助けを求めると、
「まあ、似てなくもないな」
 オードは苦笑いを浮かべた。
実にランらしい発想だ、と半ば感心、半ば微笑ましく感じたのだ。
「ほら、そんなことより、さっさと構えなさいよ。あたしも見てあげるから」
「えーっ」
「えーっ、ってなによ、えーっ、て!」
 アージュがバシッとランの肩を叩く。
「しゃっきりしなさい! これからはあたしとオードで教えてあげるんだから、気合入れて練習するよ」
「ええっ! いつ決まったの、それ」
「たった今」
 ぎゃあぎゃあ言い合うふたりを見て、オードは「はあ……」とため息をついた。
「稽古ぐらい、落ち着いてやれないのか」
 ――と、まあ、こんな感じで、夜は剣の稽古。昼はできるだけ移動して距離を稼ぐという日を繰り返し、三日が経ち……。
 四人は魔物に出くわすこともなく、無事にシスタの町に到着することができたのだった。

(第二話②-2へ続く…)


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