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第四巻~オオカミ少年と白薔薇の巫女~②-2
2
シスタは谷間に位置する町だった。
すり鉢状の地形のくぼみに家々がひしめき、四方を緑豊かな山が囲んでいる。その山々もところどころ黄色や赤で色づいているところを見ると、秋が深まっているのを実感できる。
「お腹、ぺこぺこ~。早くなんか食べたーい」
町に入るなり、ランが騒ぎはじめた。
時刻はもうすぐ昼。お腹がすいても当たり前の時間だ。
「なんか、がっつりしたもん食べた~い。食べたいよ~」
「うるさい!」
ぽかっ。
「あう〜、お腹がすいて痛さ倍増だよ」
とほほな気分で頭をさすると、豪快にお腹の虫が「ぐ~っ」と自己主張をした。
ランを叱ったものの、正直アージュも同じようなことを考えていた。
ここ二、三日、ずっと簡単な携帯食料で済ませてきたので、ちゃんとした食事をして、お腹を満たしたい気分だったのだ。
「しょうがないわね。どこかで食事にしましょう」
「賛成!」
わーい、とバンザイして、ランは元気良く先頭を歩き出す。
「なにか名物料理があるといいね」
アルヒェもお腹がすいたと見えて、少し元気がない。
一行は食堂を探して歩いた。だが、どこも店が開いていなかった。食堂だけではなく、なぜか服屋や道具屋、金物屋などすべての商店が閉まっている。
《妙だな……まだ陽があるというのに》
さらには家々の扉も固く閉まり、窓もひとつも開いていない。
誰も歩いていない町は、まるでゴーストタウンだ。
「ここ、誰も住んでないってこと?」
「いや、そうじゃないと思う。ほら……」
アルヒェが指し示した方向には宿屋の厩があり、馬が飼い葉を食んでいた。
馬がつながれているということは、
「飼い主がいるってことよね」
アージュが訝しげにつぶやき、
「じゃあ、この町の人、みんな寝てるってこと?」
ランが首をひねる。
《昼間から寝る人間などあまりいないと思う。それに町の人が全員となると、もっとありえないことだ》
「とにかく、あの宿屋に行ってみよう」
が、その宿屋もやはり門戸は固く閉ざされていた。
どんどん、とアルヒェが戸を叩いてみるが、中から誰も出てくる気配はない。
「日が暮れる前に宿屋に入らないと困るのになあ……」
女の子にこれ以上、野宿をさせるわけにはいかないよ、とアルヒェがアージュを見る。
これまでの旅程でアージュが何度も「野宿で構わないわよ」と言っても、学者であるアルヒェはそれなりに紳士なので、首を縦に振らなかったのだ。
彼にとっては、今回の三日三晩の野宿の旅は仕方なく承知しただけであって、こうして宿があるのに入れないのは、いささか腹立たしいものがあるようだ。
「すみませーん、誰かいませんかー?」
どんどん、どんどん。
しつこくアルヒェが叩く。
すると、ようやく中で音がし、扉が薄く開けられた。宿の主人らしい髭面の男が、面倒くさ
そうな顔を出す。
「誰だ、こんな時間に」
「こんな時間って……まだ、昼間ですよ」
アルヒェの声に、主人は大きなあくびをひとつしてから、目をこすりこすり言った。
「昼間だから、寝てるんだろうが……ふぁあああ……」
「寝るのは、普通、夜でしょう?」
アルヒェがイライラと当たり前のことを言うと。
「……ん?」
主人は扉を大きく開き、ランたちの顔と服装をまじまじと眺めた。
ランは金髪、アージュは深紅の髪、アルヒェは栗色――と、まったく統一感がなく、着ている服の刺繍も、ランのには鳥の羽、アージュは炎を模したもの……と、お国柄もバラバラ。
この宿の主人にとって見慣れているのは、同じアーキスタ出身のアルヒェが着ている服に施された一見、双葉に見えるナッツの刺繍だけだ。
「……ああ、あんたたちは旅の方かい。紫蘭月に旅をするなんて、物好きだね」
「宿を取りたいんですが、部屋は空いてますか?」
「ああ、全部空いてるよ」
この時期に旅をするなんてよほどの変わり者だなと、ぶつくさ言いながら主人はランたちを中に通す。
「それから、なにか食べるものはありませんか?」
「昨夜のスープの残りとナッツ入りのパンでよければあるよ」
「じゃあ、それをいただきたいのですが」
「いいよ、今、用意するから部屋に荷物を置いてくるといい」
部屋の鍵を預かると、二階に上がり、さっそく荷物を置いた。
それからすぐに食堂に戻ると、主人は食事の用意をして待っていてくれた。
「いただきまーす!」
ランとアージュとアルヒェは食卓につく。
メニューは予告どおり、ナッツ入りのパンとオニオンスープだ。簡素な料理ではあるが、携帯食ばかりだった一行にとってはありがたいものである。
「うわー、このたまねぎ、トロトロだよ~~」
「うん、よく煮込んであって、うまいね」
「このパンもおいしいわ」
アージュはパンに練りこんであるナッツをつまみ、口に放り込む。
「こんな残り物でよければ、いつでもご馳走するよ……ふわわ」
宿の主人は眠そうに目をこする。
それにしてもどうしてこんな時間に寝ていたのだろう。
さっきから気になっていたことを、アルヒェが代表して主人に訊いた。
「ご主人、この町の人はみんな昼寝をする習慣があるんですか」
「いや。昼寝とは言わねえな。紫蘭月の間だけ、生活が昼夜逆転してるだけだ」
「昼夜逆転? また、どうしてそんなことが――」
「魔除けのためだよ」
「魔除け?」
「ああ、一晩中、みんなで騒いで、魔物が町に入ってこないようにするのさ」
主人の話によると、この町は紫蘭月の間だけ昼夜逆転の生活をするらしい。
人々は夜明けに眠り、日暮れとともに起き出し、夜通し舞踏会に明け暮れるのである。
これは夜通し踊ることでこの町に魔を寄せつけないという、一種の魔除けの意味があるそうだ。
「おもしろい習慣ですね。いつ頃から続いているんですか」
「そんなのは知らねえ。ひいじいさんも物心ついたときにはあった、って言ってたしな」
「歴史があるんですね。……ああ、そういえば、前に聞いたことがあります。この町がそうだったんですね」
興味深げに話を聞いていたアルヒェは手帳を出し、なにやら書き込みはじめた。
こういうところを見ると、「アルヒェはやっぱり学者なんだなあ」とランは思う。
「日が暮れる前に出かけるから、あんたたちは好きにしててくれ。この時期はどこの店も休みだからゆっくり寝てるといいさ」
夕飯も材料があるからそれを使って台所で勝手に作って済ませてくれ、という主人に、アージュとアルヒェとランは三人同時に首を振った。
「ううん、あたしたちも行くわ」
「そうだよ、こんな興味深い催しに参加しないなんてもったいない」
「なんか楽しそうだし、オレも行きたい!」
三人が嬉々として、「連れてって~」と目で訴えると、主人が軽く肩をすくめた。
「参加費さえ、払えば誰でも行けるよ」
「え? 参加費がいるの?」
倹約家のアージュが少し口を尖らせると、主人が「いや、ひとり銅貨一枚でいいんだ」と教えてくれた。
舞踏会の会場となる館はこの町に四つあり、それぞれの館で「一晩一枚」ではなく「ひと月一枚」なのだという。
「よし、決まり。夜は舞踏会に参加よ」
そうと決まれば話は早い。
食事を早々に済ませたランたちは、部屋に上がり、昼寝のためにベッドにもぐりこんだのだった。
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夕方まで仮眠を取っていたランたちは、宿屋の主人に起こされて目を覚ました。出かけるときに声をかけてくれるよう、頼んでおいたのだ。
「じゃ、おれは今夜は北の館に行ってるから。あんたたちのことは館の方たちに話しておくよ」
主人が出かけていくと、ランたちは仕度をはじめた。仕度といっても、顔を洗ったり髪をとかしたりする程度なのだが。
主人の話では、この町の東西南北に館がひとつずつ建っており、それぞれの館で同じように舞踏会が毎晩開かれるのだという。舞踏会と銘打ってはいるものの、そんなに堅苦しいものではなく、特に盛装する必要もないらしい。
「いやあ、本当におもしろい慣わしだよね。楽しみだなあ」
「うん、おいしいものいっぱいあるかな」
《ランの興味はやはり食べ物なのだな》
「だって、タダ同然でおいしいものがお腹いっぱい食べられるなんて、まるで夢みたいな話じゃんか。せっかくなんだから、オードもいっぱい食べなよ」
舞踏会の食事は立食式で、大皿に盛られた様々な料理を好きなだけ取って食べられるのだという。
《食べるのもいいが、私は舞踏会も楽しみだ》
「オードは踊れるのかい?」
アルヒェの質問にオードは少し照れたようにつぶやいた。
《ああ、騎士のたしなみのひとつだ》
「わあ、さすがだね」
「うん、楽しみ~。オレ、オードが踊るとこ、見たーい」
そんなふうにわいわいやっていると、部屋の隅でなにやらごそごそしていたアージュが、
「さてと、そろそろ、出かけるわよ。はい」
とアルヒェとランに木箱の包みを差し出した。
「なにこれ」
「商売道具よ。いいから、黙って持つ」
男ふたりに荷物を押しつけ、アージュがさっさと部屋を出ていく。
《商売とは、もしかしてアレを売るのか》
「そうよ、いい機会じゃない。あたしたち、ツイてるわよね~。作ったばっかでいきなり売る機会に恵まれるなんて」
ご機嫌なアージュを先頭に、一行は外に出た。陽はすっかり落ちている。
オードが人間の姿に戻ってから、ランたちは宿からいちばん近い北の館へと向かった。
しばらく歩くと、白い壁の大きな館が見えてきた。紫蘭月の夜なので、さすがに通りに人の姿はない。
入り口を入ってすぐの受付で宿の主人の名を出し、銅貨を四枚払って、中に入る。
会場には大人から子どもまで老若男女問わず大勢の人たちが詰め掛けていた。人々はみんなそれぞれ談笑している。普段着姿も多いが、お洒落をしている人も多数見受けられた。
「この町にはこんなに人がいたのね」
「いったいどこに、これだけの人数がいたんだろうね」
「ここの場所だけでこんなに人がいるんだ。他のところもきっと大勢の人が集まっているんだろう。思ったよりもこれはすごい祭りだな」
アージュとアルヒェとオードは建物の奥まで視線をめぐらし、ひとしきり驚いている。
一方、ランときたら、
「わーい、ごちそう! ごちそう!」
会場に並べられているごちそうにすでに目が釘付けた。
立食式の舞踏会は、宿の主人に聞いていた通り、会場の端に料理が盛られた大皿がいくつも並べられていた。
どれもこの地方で採れたものだろう。サラダにスープ、肉料理、魚料理……と様々なものがあったが、ナッツを使った料理が多く見受けられる。すべておいしそうな物ばかりだ。
お酒も飲めるらしく、バーカウンターも設置されていた。そこには宿屋の主人が座り、数人の男たちと話をしていた。主人はダンスをするというより、今夜は気心がしれた仲間と飲み明かすといった感じだ。
そうこうしているうちに、会場に優雅な音楽が流れはじめた。近くにいた男女が手を取り合いダンスを始める。
「アルヒェは踊れるの?」
「いや、僕は無理だよ。アージュは」
「あたし? あたしは踊らないわよ。だって、ここに来たのはアクセサリーを売るためだもの」
「え! ごちそう食べに来たんじゃないの」
「それも食べるけど。だって、タダ同然なんだから」
あたり前でしょ、と言って、アージュはオードを見た。
「オード、あんた、金持ちのご婦人やお嬢様を捕まえて、売り込みをしてちょうだい」
「私が? なぜ、そんなことを」
「決まってるでしょう、路銀を稼ぐためよ」
オードは明らかに困惑した顔になった。
「しかし、今までそんなことをしたことがないぞ、私は」
「簡単よ、こうやるの」
すると、アージュはオードの手を取り、ダンスをする真似をした。
「踊っている最中に『あなたにふさわしい指輪があるので、ぜひ見ていただきたい』って言うの。もちろんやさしい微笑みを浮かべるのを忘れないでね」
「断る」
困惑顔を引っ込め、オードは即答した。
「そんな詐欺のような真似はしたくない」
「詐欺? 立派な商売よ、これは」
「いいや、詐欺だ。女性を噓の微笑みで口説くのは騎士道に反する」
「まったく頭がカタイんだから」
「カタイとかやわらかいとか、そういう問題ではない」
アージュとオードは視線をバチバチと戦わせた。
険悪なムードに、ランとアルヒェは苦笑いを浮かべるしかない。
「あー、オレ、ごちそう食べに行ってこようかな……」
「あ、僕も行くよ」
ふたりがそーっと場を離れようとしたとき、
「ちょっとよろしいかしら?」
と品の良い女性の声がかかった。
その声に振り向くと、ごてごて着飾った老婦人がいた。老婦人は自分が北の館の主であると言い、ちらりとオードを見た。
「そちらの方は、どこぞの騎士様とお見受けしますが……」
「はい。私はグランザック王国王立騎士隊のオードレック=クルスト=エルゼストと申します」
胸に手をあて、オードは恭しく礼を取った。
「まあ、やっぱり。グランザックといえば遠い異国ではございませんか……オードレック様はどうしてこの町に」
知識と教養のあるらしい老婦人は、グランザックのことを知っている様子だ。
「見聞を広めるため……遊学と申しましょうか。国の命により、二年前から旅の身の上にございます」
これはオードが作った設定だが。もちろん、そんなことは知らない老婦人はオードをいたく気に入ったようで、孫娘とのダンスを申し込んできた。
「よろしければ、うちの孫娘と踊っていただけませんこと?」
老婦人は後ろに隠れるように立っていた少女を紹介する。
少女がオードに視線を向けたとたん、その頬がポッと赤く染まった。
「私でよければ喜んで」
オードは孫娘に歩みより、礼を取ってから、手を差し伸べた。
優雅に少女をリードする姿は、さすがは騎士だ。とても紳士的で決まっている。
「オード、かっこいいー」
ランは瞳をキラキラさせて感動した。
いつのまにかふたりは注目を集めていた。
可憐な少女と凛とした雰囲気の騎士。
絵物語の挿絵を彷彿とさせる、誰もがうらやむ組み合わせだ。
しかし、踊っている当人のオードはまったくそのことに気がついていなかった。
先ほどまでアージュとケンカしていたことも忘れ、彼は純粋にダンスを楽しんでいた。
久しぶりのダンスに心が躍り、ステップも軽い。
「……今夜は来てよかった」
オードは他意のない笑顔を少女に向ける。
「……はい」
少女は頬を染め、恥ずかしそうにうつむいてしまった。
それを見ていたアルヒェがフッと笑う。
「オードも罪作りだなぁ」
オードに注目が集まっている中、アージュは館の老婦人にそっと近寄り、ホールの一角のテーブルを陣取りアクセサリーを見せた。
「お孫さんはダンスがとても上手ですね。将来はきっと、素敵な方と結婚しておしあわせになりますよ」
「あらま~、そうかしら。ありがとう」
「そうですよ。きっと奥様に似て、美しい女性になられると思いますわ」
「あらあら、そう言われるとうれしいわあ」
「美しく成長したお孫さんには、薔薇がとても似合うと思うのです。ほら、こんな指輪をしていたら、もっと美しさが際立ちますわ。オードもきっと似合うといいますわ」
すかさずアージュは自分が作った薔薇の指輪を取り出す。
「あら、素敵じゃない。確かにあの子に似合いそう」
婦人は指輪を手に取り、にこにこと見つめている。
「今なら、このブローチもおつけしますわ」
「まあ、いいの?」
「ええ。だって、いちばん似合う方に身につけていただきたいんですもの。この館にいるどのお嬢さまより、いちばん輝いていらっしゃるから……」
アージュはとどめとばかりにオードと踊っている孫娘に目を向けた。
自分の孫がいちばん、と言われて老婦人はこの上なくご機嫌な顔になった。
「それなら、いただこうかしら」
「ありがとうございます」
アージュは満面の笑みで、指輪とブローチを包んだのだった。
一方、ランとアルヒェは食い気を満たすため、料理をたらふく食べていた。
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皿の上に山盛りに料理を載せ、ランは豪快にほお張っている。
ほっぺが膨らみ、まるでリスのようだ。
「ねえねえ、これ、本当に魔除けなの? みんな、のん気に遊んでるだけにしか見えないんだけど」
「魔除けというのは迷信だと思うけど、魔の月に怯えることなく楽しく過ごすなんて、いい考えだと思うよ。僕はこうやってみんなでわいわい遊ぶのが好きだから、こういう魔除けは大賛成だね」
アルヒェが早くもデザートのムースに手をつけながら言う。学者のくせに、どこかのんびりした考えの持ち主だから、海賊たちとも仲良くやっていたのだろう。
「そうだね~、いい考えだよね。これなら、毎年、紫蘭月が来るのが待ち遠しくなるよ」
「大学に戻ったら、今度はちゃんと調査に来ようかな」
ふたりがお腹を満たしている間も、オードは次々とダンスを申し込まれ、アージュはご婦人方を捕まえてはアクセサリーを見せ、熱心に商売している。
――こうして、シスタでの最初の夜は、更けていったのだった。
(第二話②-2.5へ続く…)