20240422 映画『そこのみにて光り輝く』二本立て上映@キネカ大森
『そこのみにて光り輝く』は十年経ってることにまず驚いてしまったのですが、十年ぶりに再び。
北の港町で、事情を抱えた今は仕事を辞め、日々を無為に過ごしている男、佐藤達夫を綾野剛が、そして佐藤と偶然パチンコ屋で知り合う青年拓児を菅田将暉、その姉千夏を池脇千鶴が演じている。
病気の親と、傾いた家計。弟は保護観察中の身で千夏は腐れ縁の男の不倫相手をし、身体を売り、家族を支えている。わかりやすく苦しく、先の見えない日々に荒む感情や憤り、それでも家族を捨てられないと思っている彼女の心が痛いほど伝わってくる。若く、そんな境遇に身を置きながらも美しい彼女の最大の生きる術がその身体なのだろうということも。
東京、だけでなく、もっと大きな都市部の街であれば感じないだろう息苦しさが作品の中にずっとあって、港町特有の寂しさや、北国の少し重たい空や海の色がそれを後押しする。
町の有力者である男との公然の不倫も誰も咎めないし、だからこそ誰も千夏を救ってやれない。千夏は問題を抱えた弟のためにもそんな腐れ縁を切りきれないのだろうと思う。
ちなみに、この有力者の男を高橋和也が演じているのだけれど、これがまた上手い。地方都市で権力を持つ男の粗雑さと身勝手さ、紙一重のところにある狂おしい千夏への感情が、この狭い町から逃れられない蔦のように千夏に絡みつく。怖さも、縋る男の情けなさも良かった。
そんな中、達夫と千夏が出会う。
姉ちゃん、姉ちゃんと声をかける弟が、いつまでも手のかかる子どもなのだろうな、でもきっとずっと世話を焼いてきたのだろうなと、初めて自宅に達夫を拓児が連れ帰った時に感じる。どうしようもない現実と向き合いながら、千夏は父にも母にも、弟にも愛情を注いできたことが伝わって、息が苦しくなった。
どうしても二本立てで観たので、『花腐し』の栩谷と達夫を比べてしまうのだけど、比較的ビジュアルは近い(短髪黒髪の髭面)なのに、その人間が全く重ならないところが綾野剛のすごいところだと思う。
撮影した年数を比べたって栩谷を撮影している時が十は上なのに、そんなの全く分からないし、なんなら達夫の方が大人に見える。何かを任されたことのある人間特有の肝の座り方とでもいうのだろうか。千夏に惹かれ、そして千夏が置かれている過酷な状況を知り、自分にできることが何か考えたのだろうとわかる。ずっと逃げ続けていた現実に向き合おうとする姿は、この状況を打破する光に見えた。
好きな場面が二つあって、達夫と拓児、千夏でビールを飲む食堂の場面が一つ。この、どうしようもない現実を打ち破れるのではないかと思わせてくれる良さがある。
そしてもう一つは、達夫が煙草を投げ捨て、拓児を抱き寄せる場面だ。
この二つ、どちらも達夫が兄、の顔をしていると思う。千夏と、千夏の抱えた人生を引き受けると決めたことで、拓児は達夫の弟になったのだ。カレーを子供みたいにかきこむ拓児を見る表情も、そしてすべてが終わってしまった後に、拓児をただただ抱きしめる姿も、立派な兄貴で、それがこのどうしようもなく、救いようのない世界を少しだけ救う。達夫の寡黙な優しさは、尤も、現実には何も救われていないのだけど、でも、それが人と人が交わって生きると言う事なんじゃないかと思わせてくれる。
この作品は結局のところは救いがない。社会的に弱い立場になってしまえば、そこから状況を変えることは難しく、また努力ではどうにもならないことが沢山あるのだと、何度も何度も教えてくる。愛では、ある日の夕飯に寿司は頼めても、人生を仕切り直させてはくれない。この息苦しさってすごく文学的だと思うし、そんな社会環境や人となりが、苦しくなるほどに丁寧に描かれた作品だと思う。
美しい音楽と映像、そしてそれをもってしても乗り越えられない人生の苦しみが胸に迫る。