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心のベクトルと繊細さん

わたしは人の感情の機微、特に負の感情の動きにとっても敏感なのである。

IQが高く、心理の知識にも長ける彼女からはそれを「能力」と言われるくらいなのだが、今までそれを喜んだことも自慢に思ったことも、当たり前だがない。

知らぬが仏

とはよく言ったもので、見過ごせれば気にせずにいられることも、勝手に感じてしまう人の感情に、自分の心が動揺してしまうことは、日常よくあることだし、下手すれば人間関係にも影響を及ぼしたことも多かった。

「意識と無意識」

彼女からはそんなことを教わったことがあった。

人は無意識が9割で、たった1割の意識の上で人と交流をしている。そして大概の負の感情は9割の方の無意識下にあるもので、そこを触ることは傷を触るようなものなのだと。その、本人も気付いていない無意識下の傷にわたしは、気付いてしまうのだそうだ。

世間ではどうやらこういった傾向にある者を「HSP」とか「エンパス」とか言うらしいが、確かにHSPチェックをしてもいつも90点は超えるし、昔年下の友人から「鈍感力」なる、意図がよくわからない本をプレゼントされたこともあるくらいなのだから、まぁ間違いなくそうなんだろうとは思う。

だがエンパスというのは、正直感覚的によくわからない。エンパスにはスピ系のニオイがするが、わたしはスピ系は肌にあわない。人の心の目に見えないものは大事にしたい方だが、理屈に合わないことは大事にもできない。

そもそもエンパスとはなんだ??

調べると、エンパスというのは「共感力」に長けた人なんだそうだ。そもそも「共感力」とはいったい何だろう?・・・と、そんなことを考え始めると夜も眠れなくなるのだが笑

エンパスとは英語のempathyから来ている。empathyとは直訳すると共感とか感情移入、だと辞書にある。共感とか感情移入。その感情移入、という言葉の方を辞書で調べれば、「自己の感情を、対象の中に投射して、その対象と自己との融合する事実を意識すること」と、出てくる。

自己の感情を対象の中に投射、か。

いや、わたしの場合、感覚的には逆だな。うん。
感情移入=共感、だとすればわたしのは共感ではない。

そして他にも色々と検索していたらこんなサイトを見つけた。
https://www.direct-commu.com/terms/empathy/

このサイトの共感には下記説明があった。

相手が考え、思い、感じていることを、「同じように」感じ取り、理解することであって、同じような感情を認知すること。

同じように感じ取る、同じような感情を認知する、か。
やっぱりわたしのは共感ではないな。

それに、
「自己の感情を対象の中に投射」
という流れには、危険も感じる。

勘違い。

つまりは、相手の感情を自分の感情と勘違いすること。相手と自分の心の線引きが出来ない、心理学でいうバウンダリーがない人に多い現象だ。

いやいやそれはお前の感情で、相手の感情ではないからな。

そう思ってしまう場面は多々ある。そういう人に限って自分をHSPだと勘違いもしがちだったり。心に傷を負う人の中には、自分を守るために起こる感情が、HSPのそれに似ていたりもするからだ。

わたし中で起こっていることは、またまったく違う。

例えば、不幸なニュースがテレビで流れてきたとしよう。誰しもそれを観ていて、嫌な気持ちになったりもするだろう。そこに自分の過去や、自分にももしもな未来を投影して、悲しくなったり不安になったりもするだろう。

それはもちろん、わたしにもあるのはある。ないわけではない。

だけどわたしが敏感なのはそっちではない。

例えばそのニュースの当事者の写真が流れたとしよう。その写真から流れてくる何かわからない負の空気感と、そのニュースの内容が合わさった時の嫌なイメージ、と言ったら伝わるだろうか。その人に自分の感情を投影するというよりも、その人の何かわからない空気感が勝手に漂ってくる、というのが一番わかりやすいかもしれない。そしてニュースの内容と合わせて考えて、なんかものすごく嫌な思いになるってことかな。

わたしが敏感なのは負の感情。そんなものは正直、貰いたくない。
共感力?empathy?共感なんてしたくねーよ笑
欲しくないけど流れてくるものに気付いているだけだ。気付いたら考えるじゃない?これは一体なんだろうって。

わたしは決してエスパーではないから、目の前の人が勝手にイライラしていも、何でイライラしているかわかるわけではない。説明してもらわないとわからない。だけども、イライラを隠していたとしても、ちょっとした空気の波動みたいなもので、さっきまでの違いを感じ取る、というか流れて入ってきてしまう。それが気になる人であったなら、凸凹特性を持つわたしは、気になってしまうと最後、「なになになに???」と扉をガンガン叩いてしまうこともある。

今は心理の知識と技も身に着けたので、そういう時の対処法も心得てはいるが、それで人間関係がおかしくなったことも過去には多々あった。

だからこんな能力は、邪魔なもんだと思っていた。

職場の近くの席に座る人がイライラしていたとしよう。だけども他の誰も気づいていないレベルだとしよう。目の前でちょっとした指の動きや物を置く強度でイライラしていることに気付く自分。その人は別段、こちらにイライラをぶつけているわけでもなく、抑えながら鼻歌を歌って仕事をしているとしよう。

鼻歌、歌ってるくらいだからほっときゃいいじゃない。

そう、大抵の人は思うのだろうな。

イライラしている時の人の周りの空気感というのに、わたしは耐えれない方だ。一緒に得も言われぬ、その人の負の部分が漂ってくる。そんな感じが嫌いだ。そんなものをわたしに送ってくるな!…とは思っても、相手はあえて送ってるわけじゃないのも知ってる笑 もしや自分が何かしたんだろうか?聞いた方がいいのだろうか??いや、関係なくても自分に今何かできることはあるのだろうか?こんな時はどう明るくしたらいいのだろうか??お菓子でもあげてみるか??いやいや、子供やないねん。鼻歌の続きを歌ってみるか?いやぁぁぁおかしいだろうっ

そして疲れ果てる・・・笑

また、別の場面。

自分が仕事をしている後ろを通った別の部署の人間が、大きなため息を付きながら通ったとしよう。別の部署の人間だ。自分と関係はない。だけど、なんかものすごく、グレーで重~い空気が漂ってきたぞ。重いじゃないか!!!って、きっと気が重いんだろうな。なんだろう。どうしたんだろう。でも、わたしが話しかけるのも迷惑かもしれへんしな。そっとしておいた方がいいのかな。わたしじゃ、何の役にもたたんかもしれへんしな。そもそも別の部署だしな。無関係の人間に話せないことかもしれないしな・・・うーん・・・

そして疲れ果てる・・・笑

そんな時、鈍感力を発揮できれば、気にせず流してそっとしておくこともできるし、その間に相手が自己解決できれば、なんてことない時間になる。

だけどもわたしにはそれができなくて、勝手にしんどくなって疲れることが多く、そんな自分にずっと悩んできた。

わたしがなんかしたか?いや、別のことだろうな。
だけどわたしが何かご機嫌とらないとあかんか?
いや、返って迷惑かもだし、突っぱねられたら傷つくもんな・・・
はぁぁぁぁ嫌だなぁ・・・

すぐそんな気持ちになる。
だからかつての友人はわたしに「鈍感力」なる本をくれたのだろう。

そんなわたしに彼女が言った言葉は・・・

「仕方ないじゃない。敏感なんだから。鈍感力なんてそもそも持てないわよ。だって、花粉症の人にくしゃみをするな、って言ってるようなもんじゃない。感じ取ってしまうのは、感情に敏感な特性なのだから。花粉症の人が薬でくしゃみを抑えるように、あなたに必要なのは知識と技術で対処をすることよ」

目から鱗だった。対処療法か。そのために知識をつけるのか。

人の心理の9割を占める、無意識の領域に持つ負の感情。
それを感じて拾った時に自分のなかで何が起こっているのか。
そして、拾ったものを「心理学」という人類史上が築いた統計学に当てはめて、考察して、相手に投げかけるものを選ぶ。

それだけでいいのだ。

最近世の中には、偽エンパスやらエセHSPじゃねーか??って思う人や情報も溢れてる気がする。「敏感」だとか、「繊細」だとか、人の気持ちがわかってしまう、だとか・・・もうえぇねんっって思うこともよくある笑
そんな時に、正しい情報や人を選ぶ一つの指標が、

その人の心のベクトル(方向性や目標目的)がどこに向いてるか?

ってことなのだと思う。
これは、彼女にも教えてもらった大切なことだ。セラピストと謳いながら、仕事用のブログやHPで自分のことをやたらと書いているのだって怪しい、と。セラピストはクライエントの方を向いてないとダメなんだよね。自分の特性根掘り葉掘り書く必要もない。そんなのは個人ブログで、クライエントが読まないところで書けばいい。下手に書くとクライエントが気遣う必要を感じてしまったらどうするのだ。

そしてベクトルが自分にしか向いていない人ほど、自分のことを繊細だとか敏感だとか思ってしまう。だけどその根本にあるものは、その人の心の傷によって放っておかれた、かまってちゃんの傷ついた子供だったりする。被害者意識のかまってちゃんが、かまってもらうことに敏感に叫んでる、ということなのだ。

ま、ね。

言葉は何だっていいんだと思う。

自分が持つ特性や能力はそりゃぁ大切にした上で必要なことは・・・

「世の中や人が、わたしに何をしてくれるか」ではなくて、
「この自分が持つ特性を、目の前の人や世の中に、どう活かしていけるか」なのだ。

能力だなんだと、目に見えないものを言葉にしようとして、ブンブンと振りかざして人を集めようとする、いわゆる「かまってちゃん」になるよりも。

ただ静かに。名もなき役立つ下っ端の力の方が、
はるかにはるかに、心強いってこと。

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